キックバック問題への対応は焦眉の急ではないか:
12月8日と聞けば我々昭和一桁生まれにとっては、何としても忘れがたい響きがあるものだ。だが、つい先日も大学生風の若者に「12月8日は特別な思い出がある」と言ってみたら「何の事」と言わんばかりの怪訝な顔をされてしまった。昭和は将に遠くなりにけりだ。
松野博一官房長官は記者会見から国会答弁も含めて40回も「控える」と言い続けたと報じられていた。岸田総理も事が起きて以来言うことが3回変わったそうだが、要するに松野博一官房長官については更迭の考えはないと表明したことになっている。官房長官もこのまま職責を全うするとの意思表示もあった。
この経過を見ていて「既視感」というか「既聴感」を禁じ得なかった。そして感じたことは、何も岸田内閣に限られたことではないが、閣僚他に何か疑惑が生じた場合に、総理は直ちに更迭した例は殆どなく、全ての場合は「無理筋では」との感が濃厚な庇い立てをしてきた。そして、野党とマスコミ連合軍に責め立てられる事態となっていた。だが、総理は防戦し当該閣僚も当初は辞任の意思は見せなかった。
私はこういう情景を見て来ていて、何時も思い当たる余り上品ではない恨みがある5文字の成句があった。それは「野垂れ死に」なのである。結果として、「総理も防ぎきれず、当該閣僚も耐えきれずに辞職」という事実上の更迭となってしまうのだった。今回の事の深刻さとここまでの成り行きを見ていれば、官房長官や一閣僚の辞任で済むような簡単な事態だとは見えないのだ。
総理がここから先にどのように対処されるかが重要なのだが、松野博一官房長官は「控える」41回以上言い続けて事が終わるものではないだろう。即ち、官房長官は自らを守り切れない事態に追い込まれてしまうのではないだろうか。即ち、上記の5文字の成句がチラついてくるのだ。
特に、岸田総理は対応が後手に回ってしまった例が多いのも、危うさを感じさせるのだ。国の内外に容易ならざる事態が後から後から発生している時期であるから、陳腐な言い方をすれば「可及的速やかな総理の善処を望みたい」のである。
ところで何で「キックバック」などとカタカナ語を使うのだろう。“kickback”はOxfordには「何かの仕事の見返りに不正に支払われる金」とあり、同義語にbribe、即ち「賄賂」が挙げられている。ジーニアス英和には「不正なリベート、ピンハネ」とある。広辞苑には「割り戻し、リベート」とある。私はこんかいの一件では「割り戻し」が最も適切かと思うのだが。