”fafu”とは「ハーフ』の意味だったとは:
本日は「俺はこんなに物を知らなかったのか」と嘆くと共に、恥じ入った事に出会った。それは、何時ものように帰りのバスの時間までに余裕があったので、ジムのサロンでThe New York Timesを見出しだけでもと読んでいた時の事。
そこには「日本でidentityに悩まされている“hafu‘を取り扱った記事に出会ったのだ。最初は「何の意味」と戸惑ったが、記事を少し読んで初めて「ハーフ」をこのような綴りにして、英語として通用させているようだと知ったのだった。知らなかった。
帰宅して、直ちにWikipediaで調べれば、”hafu”について詳細な解説まであり、そういう題名の映画があった事も紹介されている始末。「へー、そうだったのか」とだけしか言えなかった。
戦後間もなくから英語に慣れ親しみ、英語を良く知っているつもりだった。しかも、アメリカの大手製造業の会社で20年以上も仕事をしていたのにも拘わらず、hafuを聞いた事もなかったのには「何たる事か」と唯々驚くだけ。
生憎とジムには近用のメガネを持っていっていないので、字が小さい記事の内容まで読めなかったが、滅多に日本関連の記事を載せないNYTがこういう「ハーフ」の悩みを記事にしたのも印象的だったと言うか、「意外だな」と受け止めた。
「ハーフ」や「混血」という表現は、言うなれば蔑称ではないのかと、使うのを躊躇っていたのに、英語の世界では堂々と”hafu”としてNY Timesまでが使って記事にしていたのにも衝撃を受けたのだった。何時、何処で勉強をさせられるのか解らないものだと、改めて悟った次第。