新宿少数民族の声

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12月18日 その2 日本大学アメリカンフットボール部問の廃部の決定についての関係者の声:

2023-12-18 15:56:50 | コラム
日本大学の学内とフットボール関係者の声を聞けば:

先頃、日本大学理事会が「継続審議」としていたアメリカンフットボール部を廃部とする決定を下した。この決定については学内でも異論を唱えておられる向きもあると聞いているので、関東大学リーグ1部リーグでの経験者が得ている複数の取材源からの情報や、彼らの意見と批判等々を訊いてみた。その結果を下記のように纏めて紹介しようと思う次第。

彼らは「今回の日本大学アメリカンフットボール部の違法薬物事件で、まず確認しておきたい事がある」と言われる。それは、この事件は日本大学アメリカンフットボール部の寮で起きた事案であるという点なのだそうだ。この寮は120数名の部員の中から20名程度しか寄宿しておらず、残る100名近い部員はこの事件に無関係ではないかと見ているのだ。廃部ともなれば、日本大学に入学し、アメリカンフットボール部に入部する計画で推薦入学を決めた現在の高校3年生にまで連帯責任を問う事になるのが、正しい判断なのかという疑問を呈しているのだ。

廃部の決定をした理事会では「アメリカンフットボール部を廃部にするが、現役の部員らについては活動ができるよう受け皿を設ける」と取り決められたとも報じられていた。それにも拘わらず、NHKのニュースでは「大学当局は関東学連を脱退する」と報じていた。何処からそういうニュースを得ていたのか。

この報道には矛盾があり、大学当局は学生たちを欺こうとしているとすら疑いたくなると言われていた。学連を脱退して、理事会の決定のように来年になってから新組織を作るのであれば、改めて加盟を申請する手続きを踏む事になるのではないのだろうか。この場合には、1年目は準加盟にしかなれないと規定されているので、実質的に来季も出場停止と同じ結果になってしまうのではと懸念を表明していた。即ち、再加盟できても2年目には3部に出場できるだけなのだ。

それで、学生たちが納得したとしても、3部リーグに参戦では既存の大学には迷惑がかかるのではないと危惧する意見が出ていた。常時甲子園ボウルを目指していたようなティームが、最下部のリーグに参加したら、かえって危険が誘発されるのではないのかと危ぶむ意見が出ていたそうだ。何よりも問題になるだろう事は「甲子園ボウルを目指していた在学生や新入生の受け皿にはなり得ない」という点ではないかと言われていた。

彼ら大学フットボール界の事情に明るい人たちは「このような最悪であろう事態を避けるためにも、下記のような行動を一刻も早く起こした方が良いのではないか」と示唆していた。

*日本大学理事会と当局に向かって「新しく組織されるアメリカンフットボール部が、そのまま今日までのアメリカンフットボール部の学連加盟を引き継ぐように強く要請する方が良いのではないか。譬え『廃部』を決定しても、それは日本大学内部の問題でしかないように思える。脱退の申請をしない限り、学連は脱退させないのではないか」という意見が出ていた。

彼らフットボール界の事情に通じている者たちは「廃部にした後で、新しい組織ができるまで、学連の事業継続に支障のない対応さえ出来ていれば、脱退の必要はないはずだし、学連もそれで問題ないはずでは」と見ていた。事件には無関係な現役生と、連帯責任を問われるべきではない新入生には、入部への保障されるべき権利があるはずだと見ていた。譬え学連のルールが「廃部にしたら脱退する」となっていても、学連に配慮を求めて脱退を免れるように最大限の努力をするのが、受け皿を約束した大学側の責務ではないのかという意見も出ていた。

*関東学連に向けては、事件に無関係な現役生と連帯責任を問うべきではない新入生を救済するために、日本大学当局が不当な脱退を申請した場合には、受理しないように要請しておいた方が良いだろうとの考え方を示す人もいた。その根拠は「関東大学アメリカンフットボール連盟は、学生のための団体なはずです。日本大学が、法的な根拠を持たない罰則を事件に無関係な現役生と、連帯責任自体が存在しない新入生にも問うというのであれば、それを救済する側に立つのが道理ではないか」と主張する人もいた。

*さらなる手段としては「一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS ユニバス)とスポーツ庁に対して、廃部と関東学連の脱退の不当性を訴え、このような場合に関する指針を示してもらう」事もあるだろう。日本大学はユニバスに加盟していない由だが、学生スポーツを統轄する団体が現時点ではユニバス以外に考えられない以上、ユニバスに救済を求めるのは正当な手段ではないか進言していた。またスポーツ庁は、まさに日本のアスリートを統轄する組織なはずだから、ここに救済を求めるのも必要ではないのかの見解だった。

*文科省に対しては、日本大学でアメリカンフットボール部に所属する心算で推薦入学を決めた高校生への救済を要望する方法があるのでは。日本大学理事会と当局が、責任の存在しない高校3年生にまで、不利益を及ぼうそうとする危険性が見えている以上、これは大学入試業務に関する問題であり、文科省に救済を求める事もあり得るのではないかという見方すらあった。

*主要な報道機関に対して、あらためて日本大学理事会と当局の廃部決定の判断の不当性と不適切性をも併せて訴えて、世論を喚起する事までも考えても良いのではという意見すら披露する人もいたそうだ。そうまで言われる理由は「法的根拠がないのにも拘わらず処罰され、連帯責任を取らされ、権利を制限され、不利益を被ったりする事などあってはならない」点にあるのだと聞いた。「その点を遍く一般社会にも認識して貰えれば良いのだ」という事であるそうだ。

現状を何とか打開するためには、現役の部員とその保護者及び卒業生が糾合して、大学当局との交渉をする組織を可及的速やかに結成して、行動を起こすべき時ではないのかと言及する人もいた。

廃部に賛成した11人の理事たちは、試合もできない準加盟の新組織を設ける意図だったら、甲子園ボウルに出場することを夢みて入学してきた新入生たちの心中を何と考えていたのか理解不能だとの批判も出ていた。もしも、そう認識しているのであれば、アメリカンフットボール部、フェニックスに関しては無知ではなかったかと疑いたくなると言う。廃部に賛成された11人の理事一人一人の見解と説明が聞きたくなるそうだ。

日本大学理事会と当局が誠意ある善後策乃至は改善策を速やかに取採る事を期待したい。「廃部」がフェアーな姿勢かとの疑問をあらためて申し立てていた。

近頃一寸気になった事

2023-12-18 07:53:53 | コラム
「あれはBrooklyn Dodgersじゃなかったか」他:

Brooklyn Dodgersだった:
大谷翔平がDodgersへのFAの移籍が公になって以来、大袈裟に言えば「有り難い事に、我が国を代表してアメリカに渡った大谷翔平選手が国威をより一層発揮してくれた」と感謝しているかの如き賞賛ぶりだ。結構な事ではないのか、裏金問題のニュースを朝から晩まで聞かされるよりも遙かに心地良い話なのだから。

その事自体には特に異論はない。だが、マスコミ報道に欠落している点があるのが気になるのだ。それは「ロサンゼルス・ドジャース」(=Los Angeles Dodgers)とは言うが、この球団が1930年に発祥して1957年までフランチャイズにしていたのは、New YorkのBrooklynで“Brooklyn Dodgers”と名乗っていた事」に触れない点だ。片手落ちだ。ブルックリンとはボーリングでヘッドピンの裏側に入ったときに言うあの「ブルックリン」と同じ綴りだ。

Anaheim Angelsだった:
同様にLA Angelsは、そもそもAnaheim Angelsだった事にも触れていない。言わなくても良いが、あれほど騒ぎ立てるのだったら、触れておいても良くはないのかな。Angelsは何故かAnaheimからLos Angelesに移転していた。アナハイムにはかのDisney Landとそのホテルもある。所謂観光名所である。必ずしも、大谷君が在籍したので我が国で遍く知られた訳でもないと思う。アナハイムのエインジェルスだったことに触れても良いのでは。

手前事になるが、当方は1978年にAnaheimで開催されたconventionに参加して1週間滞在し、何と一夜デイズニーランドが参加者全員を招待したので、大人も充分に堪能したあのランドを経験した事があった。

水原一平氏の通訳は素晴らしい:
現地では「メモも取らずにスラスラと多くの人名まで間違える事なく通訳していたのは素晴らしい」と賞賛されていると報じられていた。私は既に「水原氏の英語は我が国で学んだものではない、native speakerの英語で立派である」と褒めておいた事があった。それは、テレビで偶々部分的に流れた音声を聞いて判断したものだった。

今回はあの大谷翔平に記者会見で初めてその全容に接した。後難を恐れずに言えば「凡庸の我が国のNPBの球団に在籍している通訳業の方とはものが違う。一級品である」のだと思う。だが、アメリカの報道機関が「メモも取らずに」と褒め称えたのは気に入らないので、一言申し立てておこうと思った次第だ。「メモを取らない事くらいに感心しないで欲しい」のである。私も水原氏と同様の「メモ取らない派」の一員であるのだ。

言いたい事は、私は「メモを取れば、取る事に神経を使ってしまう嫌いがあるので、語り手が言った事を聞き漏らす危険性があると思うので、一切メモは取らなかった」のである。それは、私は通訳の訓練を経た訳ではなく、交渉の当事者でありながら、我が方の取引先の方の承認を得て両方の通訳を務めていただけの事。だから「通訳も出来る交渉の当事者」と称していた。

故に、聞いた事をメモするなどは夢想だにしなかった。聞こえた事をそのまま別の言語にするだけの作業だった。慣れるまでは多少苦しめられたが、慣れて来れば「頭の中を真っ白にして聞こえた事を瞬間的に記憶できて、その記憶をそのまま別の原語にして口から出てくるようになっていった」のである。後年、通訳を生業にしておられる方々が何か書き取ってから語るのを見て「何をしているのか?速記?」と奇異にすら感じていた。

だが、上司がこの「頭の中真っ白の記憶一辺倒方式」に疑念を抱いて、東京事務所に駐在していた副社長に「あのメモを取らない通訳を信頼して良いのか、同席して確認を」と依頼した事すらあった。結果としては「間違いない」と承認されたが、アメリカ人たちの常識では「記録を取って、それを読みながら訳す」のがプロの通訳なのだと認識されているようだと分かった。

水原氏が通訳としての訓練を経ておられるのかどうか知らないが、私と同じやり方をしておられる様子を見れば、そうではないのだろうと推察している。メモは取らないと言ったが、英語の場合は日本語と数字の表し方が違うので、そこだけは書き留めておかねばならなった。例えば、1億は100 millionだし、150,000は「150 thousand」という具合だ。これが億や兆の単位になると、覚えてはおけなくなるのだ。

事の序で言わせて貰えば「3日でも続けて通訳を続けていると、欲求不満(frustrationであり、stressではない、念のため)となって「少しは俺自身の考えで発言させてくれ」となってきて、通訳をしていない時になると妙に怒りっぽくなってしまうので、自分を抑えるのに苦労した。