本当に廃部となれば誠に遺憾である、そうあってはならない:
戦後間もなくから進駐軍の陸・海・空・海兵隊が覇権を争っていた、ナイルキニックスタジアム(旧明治神宮競技場≠現国立競技場)で開催されていた「ライスボゥル」を見に行っていたほど、古くからアメリカンフットボール(以後フットボールとする)に馴染んでいた当方は、日本大学Phoenixの長年のファンであった。
念のために取り上げておくと、日本大学のフットボール部は決して精神主義を前面に押し出したフットボールをやっているのではなく、理論と実際を見事に融和させた練習に基づくプレー振りなのである。特に優れていた点は綺麗な(何処かの野球の監督さんは「クリーン」と表現された)プレーで反則が極めて少ない試合の進め方は、全大学中でも際立っていたのだ。
フェニックスは甲子園ボゥルを21回も制覇していたし、当方は故篠竹幹夫監督率いる不死鳥軍団が日本選手権であるライスボゥルの三連覇の全試合も観てきた。その歴史と伝統を誇るフェニックスを当局は「廃部にするか」と理事会にかけると発表された。
今日ここまでに至った諸々の芳しくない事態というか事情を横に置いて考えれば、この廃部云々の提案には限りない矛盾を感じるのだ。それは「大学当局は既にフットボール部を無期限活動停止」で処置したし、関東学連もリーグ戦出場を停止した言わば2部落ちも既定の事実であり、充分に社会的制裁も受けていたのではないか。そこに「廃部」とは「一事不再理」の原則から外れているのではないかと指摘したい。
大学当局がどうしても、さらに処分しなければと思案しているのならば、精々フットボール部の存続を認めて練習を許し、来年の春まで対外試合禁止程度の処置辺りが適当かと考えるのだ。「廃部」などと言い出す為には、100人を超えている在学中の部員たちと、入学希望者を如何に穏便に処置するかの配慮まで出来ているのではと考えたくもなる。前途有為の若者の将来まで考慮した「廃部案」のかと言いたくなる。
ここまではフットボール部の存続を切に希望する言わば同情論だが、大学当局を困惑させたであろう芳しくない材料も出てきたのは残念なのだ。それは「被告」と呼ばれる北畠成文が「10人ほどの部員が大麻を使っていた」だの「副学長が揉み消すだろうからと監督にささやかれた」と法廷で証言した事だ。言うまでもない事で「宣誓」した証言なのだ。
当方はマスメディアが「悪質タックル」という如何にもフェニックスが悪であるかと、事実とは異なった言い方をし続けるのも宜しくないと何度も指摘してきた。だが、当事者でもない当方が幾ら主張しても「引かれ者の小唄」にもなるまい。フットボール部員たちも既に存続の嘆願書を提出したと報じられているし、多方面での「存続」の電子署名も進んでいる。
だが、学内に何とかして廃部にならないように強力に推進する、外部の支援も受けた勢力が結集して、存続運動を起こしてフェニックスが危機を脱することを、心から希望して止まない。私はあのフェニックスの鍛え抜かれた技術と反則が極めて希な綺麗な試合をもう一度この目で見たいのだ。