新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今週を回顧すれば

2014-12-20 10:20:43 | コラム
予定が過多だった週が終わった:

昨夜22時頃に「単なる腰痛だけではなく全身が凝りに凝っていた」と判明したスポーツマッサージから帰宅して、過多なスケジュールの一週間分だけが終わった。先日の石原君の引退会見であの激しい衰え方に愕然としたし、同情もしたし、もう無理だと同期である私に解りきっていたのに等々と嘆いていたが、あれやこれやと病気を抱えている私には今週の予定をこなすのは一種の賭のようなものだった。無事に終わったかどうかが解るのは来週以降のことだろうが。

15日(月)は08:45に国立国際医療研究センター(NCGM)に入って消化器科外科で診察を受けて「痔の手術は必要なし」との診断を頂き、ホッと胸なで下ろし、翌日の泌尿器科での前立腺肥大の診察に備えて採血と採尿に向かった。そしてICT化された機械で会計を終え調剤薬局に回って昼過ぎに帰宅。無事に終わったとはいえ、「手術せよ」と言われるのではないかとの不安感があったので精神的にはきつい半日だった。

16日(火)は08:50にNCGM着。泌尿器科で前日の前立腺の状態の検査の結果を聞かされてやや落胆。と言うのも、夜間の頻尿も問題が徐々に好転してきており、前夜などは2度で終わったので好結果を期待するに十分な理由があったから。しかし、PSAがここ2年ほどの平均値10を飛び越えて14だったので、25日の午後に造影剤を使用するMRIの検査となってしまった。検査の結果を聞くのは1月13日で当方の好む数字なので淡い期待を抱かせてくれた。

午後は思い切ってやや軽くなってきたとはいえ依然悩みの種である腰痛対策で鍼灸治療院に向かった。確かに効果はあったが、若き女性の鍼灸師に「一回で治ることではありません」と再来を促された。想定内だ。次いで雨中を15分間ひたすら歩いて最後の予約である歯科医に。ただひたすら寒かった。風邪を引かされるのが怖かった。だが、この程度のリスクを覚悟で臨まないと治らないと割り切ったのだが、長くて寒い一日だった。

17日(水)09:40にフィットネスクラブ入り。退院後は何となく精神的に萎縮していたが「これではいけない」と徒歩10分のクラブに出向いた次第。一寸だけストレッチをして腰を温めるシャワーとジャクージ(「ジャグジー」は愚かなイタリア語を読み誤ったカタカナ表記だ!)で暖めて、湯冷めしないように心掛けて帰宅。さらに16:49新大久保駅前発のバスで平河町二丁目の都道府県会館に向かった。

目的は18:15から開催される大学の同期である畏友・篠宮良幸氏主宰の水曜会で、彼から依頼された「不自由と不平等の国、アメリカ合衆国、チャンスもあるが差別もある」という難しい題名と内容での講演をするためだった。言わば病み上がりの状態ではこれも一種の冒険だったが、得意とする分野なので何時もよりも一層力を込めて、ない声を張り上げて語り終えた。

外銀勤務の経験がある会員の方が「良い話しだったが、外国の会社勤務経験者ならより一層解りやすかっただろう」と好意的なご批評を賜ったのは有り難かった。実は、「一般的な我が国の会社勤務を経験された方々には異様に聞こえることだと承知でお話しする」とお断りしたと思ったのだが、矢張り何人か興味を示さすに終わった方がおられたと知っていた。力不足だと反省。帰宅は21時過ぎ。

18日(木)は最も楽な予定の日だった。09:49のバスで柳町駅前に向かい、都営大江戸線で勝ちどきまで。そこには数十年の馴染みである我が国最大の紙パルプ専門商社がある。その会社の輸出入の専門家と月に一度の昼食会兼放談会。現実の世界に触れておられる方から、そこにどのような変化があり、世の中がが何処を向いて進んいるかを聞けるのは無上の幸せ。当然?私も豊富な?経験談という名の昔話をご披露。

帰路はバスで銀座を抜けて新橋からJR山手線で新大久保に。銀座には矢張り人が沢山出ていて、極めて陳腐なことを言えば「これでも我が国は未だ不況なのだろうか」ないしは、「外国人が「日本は本当に不況に苦しんでいるのか。この人では何のためか」と訝ったのを思い出した。

19日(金)最後の胸突き八丁。09:00に東京山手メデイカル・センター(旧社保中)の大腸・肛門科に定期検診に。実は、15日にNCGMの大腸専門の外科の医師に「こと痔となれば、社保中の方が長年の経験と蓄積があると言われている」との、極めて異例とも思えるコメントを聞いていた。診察の結果は良好で一安心。

13:30にはもう26年もも掛かりつけとなったS外科クリニックで新宿区の無料健康診断に。幸いにも最初に入ったので少し救われたが、後から後から風邪の患者さんが入って来て熱を測られるは咳をするは鼻をかむわで、うつされては大変とハラハラドキドキ。ここでは所定のコースが淡々と終わって14:20に帰宅。抜いてあった遅い昼食の後に、16:30にJR山手線で有楽町に。

17:45に愚息と落ち合ってグローバルスポーツ治療院で腰痛の治療。マッサージである。開始数秒で私にも解ったことは単なる腰痛だけではなく全身が凝りに凝り固まっていたことだった。90分間十分に治療を受けたが、ここまで悪化した原因の一つに5日間の入院中とその後今日まで身体を動かさずストレッチをしていなかったことがあると指摘された。反省。ここでも「一度では完治しない」と宣告された。想定内。

終了後に愚息と築地場外の彼の評価では回転としては一級品の寿司屋で遅い夕食。こんな機会でもなければ彼と語り合う機会はなかっただろうか。送って貰って帰宅がほぼ22時だったか。長い一日で、これで強行スケジュールの前半が終わっただけ。来週は25日まで空いた日がないのだ。気力で持たそうとは考えているが、25日は造影剤が入るMRIである。私は何分にも造影剤が小水に廻る速度が速いのが難点だ。

アメリカを再度分析する

2014-12-19 15:52:06 | コラム
100人に1人か1,000人に1人か/どれが本当のアメリカか:

これは今日までに何度か述べてきた「アメリカ人の中に極めて優秀な者がどれだけいるか」との議論だ。この件を1990年代に偶々帰路のNorthwest航空(今やDeltaに吸収されてしまったが)の機内で隣り合わせた我が国の某財閥系エンジニアリング会社のアメリカ支店長さん交わしたことがあった。実は、私は腹蔵なき極論だがとして「1000人に1人くらいしか本当に優秀と認めて良い者がいないと感じさせられている世界」と述べた。

支店長さんの意見は「優秀な者が少ないとの説には同感。だが、いくら何でも0.1%は極論である。私は100人に1人が妥当なところだと考えている」とヤンワリ否定された。それから暫く0.1%対1.0%を巡って討論を続け、結論としては1%説に落ち着いたのだった。私はこの支店長さんの幅広いアメリカ観と認識には感心させられるだけではなく、大いに勉強させて頂いたのだった。

さて、議論が終わった後の雑談で、私は迂闊にもアメリカ国内における空港やホテルでのチェックインの際や、規模の大小を問わず小売店での客への応対の杜撰さと遅さ等を非難した。要するに、我が国でごく普通に当たり前のように経験出来る素早さもなく、暗算も出来ず、兎に角時間ばかりが無駄に流れてしまうのが、生来せっかちな私には腹立たしいので、そう言ってしまったのだ。

すると、彼は笑って言った「それは自己矛盾でしょう。貴方はほんの少し前に0.1%を捨てて1.0%を受け入れたばかり。即ち、アメリカの街中では極めて優秀な者に出会える確率が1.0%だと認めたのです。我が国並みの人に出会える可能性は低いのでしょう。即ち、貴方は99%の者に出会っているだけでは」と。誠にご尤もで、恥じ入ってしまった。

何でこのような自分の失敗談を持ち出したかと言えば、多くの我が同胞がアメリカを単独かパック旅行ででも旅した場合に、本当に優れた能力者や実力者に出会えて意志を通じ合える確率はどんなに幸運にも恵まれても精々1%にも達しないだろうからだ。そこに私が考えた「層」中で、アメリカ総人口の5%を占めるに過ぎない「アッパーミドル以上の白人の層」か「ビジネスの中枢にいる人たち」を考えれば、その人たちと旅行中に出会える機会は先ず訪れないのではないか。

私が言いたいことは「我が国で多くの方がアメリカだと思って見ておられる、承知しておられる、知らされている、映像で見ている、本で読んでいる、自分で行って感じてきたアメリカは、もしかすると99%の部類というか、95%を占めているだろう4年制大学出身者とそれ以下の学歴の人の層、労働組合員等の層、少数民族等の層の人たちとその文化を『これぞアメリカ』と受け止めて、理解し、認識していたのではないのか」なのだ。

そこには「自由で平等で、差別はあっても努力しさえすれば恵まれた生活を楽しめる立場や地位を確保出来そうな理想というか、一種の夢と希望が実現出来る余地が残っているかも知れない国」という映像が、恰も現像されていないフィルム(古いかな?)のように存在しているのではないか。それを印画紙に焼き付けるのは難しいのではないか。だが、私はそれを全面的に誤りだ等とは言う勇気はない。

だが、更に言えば、貴方がアメリカに今から成功を目指して、ではなくともアメリカを楽しもうと期待して出掛けて行っても、貴方が思い描いた形が出来たとしても、これまでに別けてきた四つの層の何処に入れるか、どれを見たいのか、または何処を見られるかを予め十分に考えておく必要がありはしないか。

それよりも何よりも私が言いたいことは、これまでに別けてきた四つの層のどれを以てアメリカだと思い浮かべてきたかが問題ではないのかという点だ。私には誰でもが何とか懸命に努力してアッパーミドルと同等ないしはそれ以上の世界に定着出来て、彼等の仲間入りすることが不可能だとまでは言えないし、言う権利もないだろう。だが、そこで彼等の中で対等以上にわたりあって生き残るのは、如何なる世界ででも大いなる努力が必要だと承知しておくべきではないと思うのだが。

私はこれから先に我が同胞がアメリカに外国人として入っていくか、ないしは入ってしまう場所は、如何なる層が自らに適しているかも考慮の余地があると思う。どの層に入っていくことになるかを十分に事前に検討しておく必要もあると思う。かの地では如何なることで差別される危険性があるかなどは、実際にその場に立ってみなければ解らないことだ。現に私は何度か「アメリカの会社があのようなものだと予め承知していたら、転身しなかっただろう」と述べていた。

また、芸能・スポーツ・映画・演劇・音楽の世界で成功して引退後にカリフォルニア州でプール付きの豪邸で悠々自適の元野球選手もいたとは聞いた。だが、その人物は1億2,600万人中の何%であるかを先ず考えねばなるまい。あの層の中で競争に勝って生き残る大変さを考えずに「上手く行くこと」か「何となるだろう、アメリカに行けば」的な安易なというか、希望的観測だけで行って良い世界ではないと私は思う。

先ずは自分が知らされていた、承知していたアメリカとは一体どの層のことだったかを知る必要があるのだ。オバマ大統領が大統領になれたことを以て、差別は消えて自由な国だと立証されたか否かなどは、現在でもリタイヤーして20年も経って彼等アメリカ人と日常的に交流している訳ではない私には、容易に語れる材料など持ち合わせはない。

私の結論は、経験から纏めた手持ちの資料だけではなく、長年のアメリカ在住の経験者の意見と認識にマスコミ報道をも含めて総合的な資料を基に判断して、「何もアメリカに限ったことはないが、外国を『こんなものだろう』などと簡単に決めつけて考えることは必ずしも良い方法ではなく、危険なことではないのか」なのである。事前の十分な調査は必要だ、マイナスの意味の100人に1人にならないためにも。

なお、これは継ぎにある版を訂正したものであることをお断りしておきます。

アメリカを再度分析すれば

2014-12-19 10:42:29 | コラム
100人に1人か1,000人に1人か/どれが本当のアメリカか:

これは今日までに何度か述べてきた「アメリカ人の中に極めて優秀な者がどれだけいるか」との議論を、1990年代に偶々帰路のNorthwest航空(今やDeltaに吸収されてしまったが)の機内で隣り合わせになった我が国の某財閥系エンジニアリング会社のアメリカ支店長さん交わしたたことがあった経験談である。実は、私は腹蔵なき極論だがとして「1000人に1人くらいしか本当に優秀と認めて良い者がいないと感じさせられている世界」と述べた。

支店長さんの意見は「優秀な者が少ないとの説には同感。だが、いくら何でも0.1%は極論である。私は100人に1人が妥当なところだと考えている」とヤンワリと否定された。それから暫く0.1%対1.0%を巡って討論を続け、結論としては1%説に落ち着いたのだった。私はこの支店長さんの幅広いアメリカ観と認識には感心させられるだけではなく大いに勉強させて頂いたのだった。

さて、議論が終わった後の雑談で私は迂闊にもアメリカ国内における空港やホテルでのチェックイン、規模の大小を問わず小売店での客への応対の杜撰さと遅さ等を非難した。要するに、我が国でごく普通に当たり前のように経験出来る素早さもなく、暗算も出来ず、兎に角時間ばかりが無駄に流れてしまうのが、生来せっかちな私には腹立たしいので、そう言ってしまったのだ。

すると、支店長さんが笑って言った「それは自己矛盾でしょう。貴方はほんの少し前に0.1%を捨てて1.0%を受け入れたばかり。即ち、アメリカの街中では極めて優秀な者に出会える確率が1.0%だと認めたのです。我が国並みの人に出会える可能性は低いのでしょう。即ち、貴方は99%の者に出会っているだけでは」と。誠にご尤もで、恥じ入ってしまった。

何でこのような自分の失敗談を持ち出したかと言えば、多くの我が同胞がアメリカを単独ででもパック旅行ででも旅した場合に、本当に優れた能力者や実力者に出会えて意志を通じ合える確率はどんなに幸運にも恵まれても精々1%だからだ。そこに私が考えた「層」中で、アメリカ総人口の5%を占めるに過ぎない「アッパーミドル以上の白人の層」、ビジネスの中枢にいる人たち」を思えば、その人たちと出会える確率などは一体何%になるか考えてみたらどうだろう。

私が言いたいことは「我が国で多くの方がアメリカだと思って見ておられる、承知しておられる、知らされている、映像で見ている、本で読んでいる、自分で行って感じてきたアメリカは、もしかすると99%の部類というか、95%を占めているだろう4年制大学出身者とそれ以下の学歴の人の層、労働組合員等の層、少数民族等の層の人たちとその文化を、『これぞアメリカ』と受け止めて、理解し、認識していたのではないのか」なのだ。

そこには「自由で平等で、差別はあっても努力しさえすれば恵まれた生活を楽しめる立場や地位を確保出来そうな理想というか、一種の希望と夢が実現出来る余地が残っているかも知れない国」という映像が、恰も現像されていないフィルム(古いかな?)のように存在しているのではないか。私はそれを全面的に誤りだ等とは言う勇気はない。

だが、更に言えば、貴方がアメリカに今から成功を目指して、ではなくともアメリカを楽しもうと期待して、出掛けて行っても、貴方が思い描いた形が出来たとしての、これまでに別けてきた四つの層の何処に入れるか、ではなくともどれを見られるかを予め十分に考えておく必要がありはしないか。

それよりも何よりも私が言いたいことは、こえまでに別けてきた四つの層のどれを以てアメリカだと思い浮かべてきたかが問題ではないのかという点だ。仮に何とか努力してアッパーミドル以上の世界に定着出来て、彼等の仲間入りすることがが不可能だとまでは言えないし、言う権利もないだろう。だが、そこで彼等の中で対等以上にわたりあって生き残るのは容易ならざる努力が必要だと承知しておくべきではないと思うのだが。

私はこれから先に我が同胞がアメリカに外国人として入っていくか、ないしは入ってしまう場所は、如何なる層が自らに適しているかも考慮の余地があるが、どの層には行っていくことになるかを十分に事前に検討しておく必要があると思う、あの地では如何なることで差別される危険性があるかなどは、実際にその場に立ってみなければ解らないことだ。現に私は何度か「アメリカの会社があのようなものだと予め承知していたら、転身しなかっただろう」と述べていた。

また、芸能・スポーツ・映画・演劇・音楽の世界で成功して引退後にカリフォルニア州でプール付きの豪邸で悠々自適の元野球選手もいたとは聞いた。だが、その人物は1億2,600万人中の何%かを先ず考えねばなるまい。あの層の中で競争に勝って生き残る大変さを考えずに「上手く行くこと」か「何となるだろう、アメリカに行けば」的な安易なというか、希望的観測だけで行って良い世界ではないと私は思う。

先ずは自分が知らされていた、承知していたアメリカとは一体どの層のことだったかを知る必要があるのだ。オバマ大統領が大統領になれたことを以て差別は消えて自由な国だと立証されたか否かなどは、現在でもリタイヤーして20年も経って彼等アメリカ人と日常的に交流している訳ではない私には、容易に語れる材料など持ち合わせはない。

私の結論は、手持ちの資料だけではなくアメリカの経験者の認識に有識者の意見とマスコミ報道をも含めて総合的な判断の基準として、何もアメリカに限ったことはないが、「ある外国を『こんなものだろう』などと簡単に決めつけて考えることは必ずしもい良い方法ではないし、危険ではないのか」なのである。マイナスの意味の100人に1人にならないためにも。

アメリカを層別に分析すれば

2014-12-18 16:50:08 | コラム
アメリカを構成する「層」は:

私は1~2ヶ月ほど前に「アメリカは社会的か経済的な地位によって縦列式というか上下の関係で多くの層が形成されているものではない」との私見を披露した。即ち、そのは各層には上下関係による差別なり何なりがあるような不平等な世界であると、海外の国、例えば我が国でも良いだろう、から一般的に認識されていると考えている。

私は1972年3月から94年1月末まで合計2社のアメリカ紙パルプ大手メーカーに合計約22年在籍し、その数万人の社員を雇用する企業の社員の1人として経験したかあるいは見聞してきたアメリカの一部を語っていこうというのだ。今回はその複数の「層」とは如何なるもので、各層を構成するのは誰かという辺りを、私独特の視点から分析していく。独特と言った以上、皆様ご自身の経験や有識者やマスコミ論調によって得た「アメリカという虚像」とは異なってくる危険性が高いだろうと心得ている。

なお、これから分類していく層の間には上下関係などありそうでないことを念頭に置いていて頂きたい。採り上げる順序も上下なりなんなりとは無関係で、私の頭の中に浮かんできただけの順序不同である。さらに確認しておけば、これらの層は上下関係はなく重層的にはなっておらず、寧ろ横一線の如くに並んでいるだけだとお考え頂いた方がより解りやすいと思う。

*白人(WASPを含む)を中核とする層:
確かに白人たちの集まりで、恐らくこの中にはアッパーミドル以上の裕福な家庭を持つ者が多くなるだろう。人数を特定する術の持ち合わせは私にはないが、推定ではアメリカの3億1,000万人を超えた人口の5%くらいにはなるかと推定する。ざっと言って800万人とでもなるだろうか。恐らく彼等が経済・政治・学問の世界の中枢にあるだろうし、政・財・経・官の世界を行ったり来たりしていると見ている。

私はここで所謂「キャリヤー組」で短期間に出世していくのはMBAとPh.D,等の大学院出身者であるとあの世界に入ってから知った。その連中が経済界を支配する力を持つと経験的にも考えている。即ち、高額の学費を投資してIvy League等の一流私立大学の法科大学院(Law School)やビジネススクール等の大学院出身者「スピード・トラック」に乗って出世街道を突き進んでいく。因みに、アメリカの4年制大学には法学部はない。

*4年制大学出身者等:
所謂四大卒とそれと同等ないしはそれ以下の学歴を持つ者がその多くを占めるだろう層と考えている。アメリカの多くの大手製造業界では通常4年制大学の新卒者を定期採用するシステムを採らず、各事業部の本部長の判断で必要に応じて即戦力となる経験者を外からその燭に就けるか、社内から募集することもある。即戦力の新規採用は社内、引き抜き、勧誘、応募者の面接、ヘッドハンティング等の手法で採用していく。その際にはMBA(経営学修士)かPh.D.(博士号)を持つ者が優先されるのがアメリカ。

では一般の事務職は誰がやるのかという問題が出てくる。ないしは中間管理職的存在のスピード・トラックに乗っていく者の手足になるのは誰かとなる。この種の言わば実務担当かキャリヤー組のアシスタント的な仕事をするのが、出世しない地位に止まると覚悟して入って来た言わば州立大学の4年生出身者が多いだろうし派遣もいる。彼等の多くは地位と身分の垂直上昇はハナから眼中にないか、諦めており、「与えられた仕事だけを恙なくやっていれば良い」と割り切り、その限定された範囲内の専門家となって身分の安定化を目指す。

4年制大学出身者はいきなり大企業に採用されないのであれば、中小の企業で実力をつけるか、腕を磨くかしてその業種や業界で名も顔も知られた存在となって大手からの引き抜きを待つか、自分から希望するか狙いを定めた会社の中の自分に合う事業部の本部長に履歴を送りつつけて、何時かは欠員が生じた際に事業部長が自分の履歴書に気が付いてくれる日を待つのだ。電話が来るかも知れないと。直接売り込みだってありだ。ヘッドハンティングもありかも知れないのだ。

こういう形だから、2000年代に入って知り合ったオレゴン大学(州立大学である)にやっと入れたアメリカの男子学生が「私は高校で不勉強だったので州立大学にしか受け入れて貰えなかった。これで私の将来は半ば以上決まってしまった。ここを打開するためにはアメリカ西海岸との最大の貿易国・日本との関連がある企業、就中Weyerhaeuserのような会社を目指そう。そのためには日本語を学ぼうと決めた」と言った。

彼は3年時に明治大学政治経済学部に編入した。私が情けないと驚いたことは、彼が「アメリカで2年間だけ勉強してきた日本語の力は明大の日本語の講義に何の障害も問題もなく付いていけた」と言ってのけたこと。僅か2年でそこまでの力がつくとは。即ち、中・高と6年間も教えた我が国の英語教育の成果は何処にありや」と慨嘆せざるを得なかった。さらに付け加えれば、遺憾ながら韓国人には我が同胞よりも英語力は高いものが多いのは何故だろう。

*労働組合員等:
次ぎの一塊が「労働組合員」のような存在だと思う。アメリカの組合は社内の組合ではなく、会社側と別個の職能別に組織された存在である。また、ここは年功序列の時間給の世界で組合員ともなれば、経験で仕事の質というか内容も高度化され、時間給もそれに連れて上がっていく仕組みだ。彼等の身分は法律で保護されて、そこからサラリー制で何時何時何らかの問題を起こせば即刻馘首される危険性がある会社側に移っていく者は本当に極めて少ない。

見方を変えれば、そこでには地位や身分の垂直上昇はない世界だ。学歴が必要でないか否かは知らぬが大卒者もいる。ここでは絶対に技術を身に付けておく必要がある。最大の特色は多くの人種がいることで、白人、アフリカ系、ヒスパニック系、アジア系等々がい。動もすると英語が通じな者がいて悩まされるものだし、この辺りが問題で「識字率」だの「初等教育の充実の要あり」といった声が政府筋から上がるのもそのためだ。

*少数民族:
これが最も複雑で難しい層だろう。嘗ては少数民族(Minority、余談だが、カタカナ語製造業者は何故これを「ミノリティー」にしなかったのだろう。majorを「メジャー」と歪曲したくせに)と言われたアフリカ系、アジア系(中国、韓国、ベトナム等)インド、日系等々が間もなく3億1,600万人を超えるアメリカ人口の半分以上となる日が来るとさえ危惧されている。過半数でも少数民族というのかとの疑問が生じるのではないか。

「職業に貴賎の別なし」という綺麗事があるが、嘗ては最も単純且つ反復労働的な仕事に就いていたのがアフリカ系アメリカ人だった。だが、自由で開放的なアメリカは次第次第に移民を受け入れていったためにスペイン語系(ヒスパニック)が南米から不法も含めて急増し一大勢力となった。そこに今やアジア系で最大となった中国人も殺到し、さらに韓国からも増えてきた。インド人も増えた。中近東も増えたという具合だ。

この多くの人種間で仕事の奪い合いとなっていった事実もあるが、スポーツ界ではアメリカの三大スポーツ、ベースボール、フットボール、バスケットボールのプロリーグを見れば、さながらアフリカ系とヒスパニックが過半数を占めるかの如き有様だ。ここでは成功すれば巨万の富が得られるのだ。誰でも知っているだろう者にはバスケットボールのマイケル・ジョーダンがいる。Nikeには彼の名前をブランドにした靴があるのを承知している若者(だけか?)は多いだろう。

アフリカ系は芸能の世界にも数多く進出し、成功すれば経済的には潤おう。映画、音楽、テレビの世界では有名人が多い。だが、誤解してはならぬことは「彼等がアメリカを代表してはいない」ことだ、仮令大統領まで出した時代になってはいても。だが、我が国にはそういう者たちに憧れている傾向がある、差別も無きが如き公平だ平等な国だから。

成功者ばかりではない。アフリカ系の職場を荒らしたのが、きつい労働を厭わない韓系で、多くの大小の小売店にはキャッシュレジスター等には韓国系が多い。職を奪われたアフリカ系が反発して何時だったかのLAでの騒動が起きた。ヒスパニックも何時の間にかLAの30~40万人の韓国人がいると言われるKoreatownでは、韓国人に雇われ雑役夫となった者すら出てきたほど単純反復労働の職場を失ってきた。この少数民族間の職の確保競争は激化した。

私が聞かされた限りでも、アメリカの失業率を高めているのはこの層に属する人たちだ。しかも、合法違法を問わず、アメリカには移住、観光ヴィザ等で入って居座る者の数は多い。だからこそ、間もなく彼等が過半数を占めるとの観測が出るのだ。オバマ大統領はそこを狙ったのか新移民法を立案したが未だ議会を通過していない。邪推すれば、市民権を貰えた者が民主党の支持層になると読んで(希望して)いるのかも知れない。何しろ、そのうちに過半数となるのだから・・・。

景気復活対策は誰の責務か

2014-12-17 12:58:08 | コラム
景気浮揚策は誰がやるべきか:

つい先日「景気浮揚策は経営者というかビジネス側の責務である」と指摘したところ、専門商社の輸出入の専門家から、かのJohn Kennedyの名就任演説の一節、

「同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。」

原文では"My fellow Americans, ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country."


があったではないかと指摘された。誠に尤もだと痛感したので敢えてご参考までにここに採録する次第だ。