新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

サッカーの話

2014-12-15 07:01:33 | コラム
往年の名選手に訊いた:

12月4日の我が高校のサッカーの会(とは言ってもOB会とは関係ない任意の集まりだが)でメルボルン・オリンピック選手(2期上)にして元K大監督のTKさんと、我が国の大学サッカー代表の戦後初の海外遠征(ドイツのドルトムントだった)の一員だったW大OB(1期上)のSOさんに少しだけ現在のサッカー界について訊く機会があった。

先ずはFC東京から代表に出てきたK大在学中の武藤嘉紀。2人とも「非常に良い」と絶賛だった。TKさんによれば「大学のサッカー部から離れるのは惜しかったが、その方が当人と我が国の代表の為になると喜んで理解して送り出した」とのことだった。

因みに、武藤君は慶応高校の出身だそうで。SO氏は普段は厳しいことを言う方だが「あれは良い。非常に良い。未だ伸びる」と全く褒めただけ。私は如何にもK大らしいスマートさはあるものの、やや力強さに欠ける気がするが、優れた素材だと認識していたので納得の評価だった。彼の今後の成長に期待しよう。

私は常に現在のサッカー選手たちの技術水準は、我々が昭和20年代に大学でやっていた頃、ないしは全国制覇し損なった頃とは全く違っていて、国際的に見ても非常に高くなっていると認識していた。この点については誇り高きSO氏でさえ「我々の頃には想像も出来なかった高い水準にある」とその進歩と変化を認めていた。しかし、そこまでの域に達していてもW杯で予選リーグすら突破出来なかったのだ。矢張りそうだったかと、やや残念な感が残った。

というような話が聞けていたのだったが、想定内であったにもせよ、当方の緊急入院などいう事故があった為にこの一種の内輪話を今日まで纏める機会がなかった。ここに敢えて公開する次第だ。

嗚呼、日本大学フェニックス

2014-12-14 17:03:53 | コラム
甲子園ボウル観戦記:

「勝負に番狂わせはない。勝った方が強いのだ」が当方の持論だ。しかし、本日の甲子園ボウルでフェニックスが55対10で負けたことに対してまで、これを当て嵌めようという気力すら失わせられた負け方だった。フェニックスが出場した甲子園ボウルは過去に5回は見に行っていたが、これほどの負け方を見たことがない、と言うよりも、当方が見た限りでは3勝2敗で、その3勝は3年連続の圧勝だった。

事前に専門家筋から「遺憾ながら今年の関西学院大学ファイターズに対しては勝ち目がない」と聞かされてはいた。だが、まさか45点もの差がつくとまでは予想していなかった。解説の元立命館大学パンサーズの監督だった古橋氏は極めて控え目に関学の強さを讃え、日大の不運を指摘していた。だがしかし、フットボール経験者ではない私が見た限りでも、日大の単なる作戦負けでは片付けられない結果だった。

今になって批判しても詮ないことだが、第1Qに2シリーズ続けて10番を付けたQBを出した作戦は私には到底納得出来ないベンチの作戦ミスだったと思わざるを得ない。古橋氏が不運と形容したこのクオーターにおける日大の2度のミスなどは、私には「弱いが故に出たミス」としか見えなかったのは非常に残念だった。弱点は試合中のここぞという時に現れるものだという悪い例だった。

大学フットボールでは常に「西高東低」と言われているが、今年の甲子園ボウルほど明瞭にその傾向が現れた例を知らない。その他の球技である野球、サッカー、ラグビ-等では明らかに「西低東高」であるので、関学がフットボールだけでも西高東低の維持に懸命の努力をしていると勝手に考えてはいる。関東勢はこれから先には余程の努力を大学当局の後援を得てまでもしていかない限り、形勢逆転は大いなる難事業かと思わざるを得ない。

昭和30年以前までの大学サッカー界での関学や神経大学等の強さを思い出せば、今日の大学サッカー界の勢力図の変化には驚かざるを得ない。現に我が高校が昭和23年の第3回国体の決勝戦で敗れた広島師範附属高の3人の強力FWは全員関学に進み、その中の1人が元サッカー協会長だった故長沼健氏だった。

かくなる上は関学ファイターズが正月三日のライスボウルで社会人代表に勝つことを祈念して終わりたい。因みに、当方は日大の出身ではなく単なるフェニックスのファンの1人だ。余談だが、中継放送したNHKのBSで過去の日大対感学の試合の模様を振り返ってくれた際に、故篠竹監督と元日大高校監督の故清水之男氏の顔が見えたのは非常に懐かしく、昔の思い出と言うか感慨に耽っていた。

12月13日にテレビで楽しんだこと

2014-12-14 08:10:27 | コラム
天皇杯サッカーと辻井伸行君:

一昨12日からこのコンクリートアパートでの早朝の室温が18度に低下して、冬の本格化を実感させられている。湿度も何もしなければ40%台に達しない状態だ。

入院中に苦しめられた高齢化による腰椎の変形による腰痛も何とか低位安定してきたので、入院中の主治医の指示通りに午前中は買い物をかねて散歩に出た。だが、ダウンジャケット着用でも寒かったので早々に切り上げた。

天皇杯サッカーの決勝戦:
午後は何となく違和感が残った年内開催の天皇杯サッカーの決勝戦をテレビ観戦。J2の6位からプレーオフを勝ち抜いて出てきた山形モンテディオが、あの張り詰めた精神力が主たる戦力の一つとすら思わせるサッカーで何処までJ1を制覇したガンバ大阪とやれるのか、あるいは試合が出来るのかに関心があった。即ち、戦後出てきたあらゆるサッカーの選手の中で最も好ましい一人と思っている遠藤保仁がいるガンバの優勢は動かないと予測していたということ。

山形は全員が勝ってやろうとの気迫と気力十分で試合開始直後から非常に素早い寄せと当たりで高度な技術を持つガンバの動きを封じ、パスの出元を押さえ込んでいた。私はこういう限界に近いような気迫が何処までと言うか、90分間も維持出来るのかと危惧していた。すると、開始僅か4分で宇佐見にほぼフリーでシュートする形を作られ、そのシュートを気迫のGK山岸が前に弾いたところを詰めてきた宇佐見に決められてしまった。

実は、結果的にはガンバが3対1で勝ったのだが、私はここまでで勝負は終わったと思っていたのだった。経験上からも言えるのだが、前半の5~10分間が最も重要であり危険な時間帯で、ここを切り抜けて初めて本当の勝負に入っていくのだ。だが、山形は上位者を相手にしてここで失点してしまったので精神的な傷は見た目よりは深いと読んだ次第だ。

その後も山形は張り詰めた精神力を懸命に維持して巧みなサッカーをするガンバの出足を封じ、パスをインターセプションし、こぼれ球を拾い続けて攻め上がり追加点のチャンスを最小限に止めた真摯敢闘振りは賞賛に値すると感じさせてくれた。古く陳腐な表現を使えば、強敵と見て怖れず持てる力を最大限に発揮して、見事な形で1点を取って決勝戦に相応しい良い試合をしてくれたと思っている。

私は3点目を取られた時には限界を超えた1人の足がつって一時退場していた間だったのが、それがガンバとの力の差であり、勝負の厳しさというかイヤらしさ、ないしはそういう力の差は、こういう形で現れるものだと思って見ていた。

辻井伸行君:
彼の評判は良く知っているし、その生い立ちも知らされているし、その演奏も再三テレビで聞いている。偶然に買ったCDには彼のラベルの曲の演奏が最初に入っていたので、あのような曲の演奏も出来るとも承知していた。昨夜はBSフジでトルコの音楽祭に招待された彼の言わば演奏旅行記と、本番でのモーツアルトのピアノソナタ#11を聞くことが出来た。と解ったようなことを言うが、解説でその第三楽章が所謂「トルコマーチ」だったのだと教えられただけのこと。

彼の演奏を画面で見ると如何にも何処か張り詰めたような緊張感を伴う力演に見えるが、CDでは綺麗な技巧派に聞こえていた。テレビでは第一楽章から全曲を聴かせてくれたので、画面を見ずに音だけ聞いていると、私には非常に綺麗な良く音の粒の揃ったメリハリのある演奏だと思わせてくれた。良い音楽は何時聴くと心温まるというか落ち着かせてくれるものがある。

昨夜聞いたのか、以前に聞いたのか何故か記憶が定かではないが、彼が弾くショパンの英雄ポロネーズなどは私の好みの曲などで十分に楽しめる。昨夜はお陰様で良い音楽が聴けて良く眠れた。辻井君に感謝だ。

お医者様の領域

2014-12-13 13:18:14 | コラム
大病院と開業医の領域:
今回の12月5日~10日までの入院中に7日の昼前頃だったか激しい腰痛に見舞われた。当方は長年スポーツに親しんでいた者としては珍しいと言われる部類で、これまでに「腰痛」らしきものを経験してこなかった。尤も、カイロプラクティックの野路秀樹先生は「本当の椎間板ヘルニアの患者などほとんどいない。先ずは筋肉痛だと思って良い」と言われた。同じ「腰が痛い」と言っても色々とあるようだが。

今回はウッスラと痛むことから始まって遂にはベッドの上がり降りも不自由になるほど厳しくなってしまった。午後に入ると熱は37.3度から遂には38.3度まで上がって、耐えがたいほど深刻になって来た。何度も看護師さんに「何とか緊急に主治医に伝えて処置願いたい」と訴えた。主治医の答えは繰り返して「様子を見る」だった。「冷たい先生だ」と恨んでいた。当方元々発熱に弱いので、グッタリと寝ているだけで我慢していた。

そして、日が暮れてから看護師さんがある程度鎮静剤の効果もある解熱剤が出ましたと言って、2錠飲ませてくれた。20時頃だったか、熱も37.1度に下がって痛みも多少軽減され、早々に眠剤を飲んで寝てしまった、翌朝は楽になっていてくれと希望して。しかし、主治医には既に「外科に回して診察して貰うことはしないので、開業の整形外科にでも診て頂きたい」と穏やかに宣告されていた。

翌朝廻ってこられた主治医に放置していた理由を解説して貰った結果「なるほど」と納得した。それは「鎮痛剤(痛み止めと思って良いだろう)は便を硬化させるとともに便秘をもたらす危険性があるし、解熱剤を症状を見極める前に出したくなかった」と言うことだった。即ち、(その時点では)痔による出血とは確定出来ていなかったが、折角3日間も絶食して小康状態にある出血を再発させるかも知れない薬を出さないことの判断だったということ。

10日の午前中に腰痛が残ったまま退院して、午後一番に掛かりつけの先生の医院に向かった。先生に主治医の話をすると「冷たいようだが、それは正解だろう」と言われた。即ち、「大病院(国立国際医療研究センター)がそこまでの病気を手がけられては、我々開業医の領域を侵すことになるから」という意味だった。そこでX線写真を撮って原因が判明し、適当な処置をして貰って帰ってきた。痛みは今日未だ少し残っていても日常生活に影響するものではない。

私には開業医の先生の解釈が正しいのかそういう仕来りがあるのか否かなどは解らない。だが、考えさせられ、学習するとことが多々あった今回の腰痛だった。

兎角この世は変化する

2014-12-12 17:51:54 | コラム
ホテルは進歩も変化するものだ:

12月4日から一泊のつもりで藤沢に行ったのだが、想定内の病が出て5日の午前中に戻って入院した。その一泊は国内では初めての経験で、藤沢駅前に10月から開業(近頃は「オープンさせた」等という奇妙な表現が一般的で嘆かわしい)したばかりの相鉄フレッサインを予約しておいた。どのようなホテルか知らなかったが、所謂ビジネスホテルだろうと想像していた。

ビジネスホテルとは勿論日本語というかカタカナ語であるし、このような形式のホテルはアメリカにはないと思う。だが、2010年1月にカリフォルニア州で”Holiday Inn Express”という”Holiday Inn”の廉価版には泊まった経験がある。確か一泊$70見当だったが、朝食は含まれており宿泊客は思い思いに食堂に入って簡単にトーストと飲み物を取れる仕組みだった。部屋も広く何の不満もなかった。

思い起こせば、国内でビジネスホテルを利用したのは大阪市内だけで、それも1970年までのことだった。我が国の最新のビジネスホテルがどのようなシステムを導入しているかには多少の興味はあった。チェックイン開始の15時前に入ったが受け付けてくれた、前金払いで。少し驚いた。カードキーを渡され「それをエレベータ内の所定の場所にかざさないと行くべき階のボタンは反応しない」と教えられた。進歩かなと感じた。

室内ではドアの直ぐ先のスロットにカードキーを差し込まないと電気が点かないようになっていたのは、温故知新ではなく「温新知古」だった。アメリカにも偶にこの手の節電方式があった気がする。ここでは浴衣ではなくパジャマがベッドの上に置いてあったし、湯沸かし器もあればティーバッグもあったと思う。テレビも32型だったかで十分だったし、俗に言う「アメニティー」も整っていて不満はなかった。

これで素泊まり¥6,500がお値打ちか否かを判断出来る物差しの持ち合わせがないのが残念だった。更に言えば、藤沢に泊まることはこれから先にはもうあるまいと思っている。

1970年以来、仕事上で東南アジアとアメリカの多くのホテルを泊まり歩いたし、国内では地方都市も兎も角、都内の所謂御三家の帝国、オークラ、オータニにも泊まった経験がある。アメリカ国内ではW社にCorporate rateを提供しているホテルに泊まるのだが、何処に行っても我が国のような斬新なシステムを導入しているところは少なかった。

ただ一度、2000年4月にサンフランシスコでHyatt Regencyにチェックインした際にフロントデスクに”Video check out”との掲示板があり「何のことか」と思って部屋に入った。そこで解ったことは、毎朝テレビをつけると、その前日までの会計の明細が表示され、チェックアウトの日の朝にその合計金額をテレビのリモコンで承認すればチェックアウトが完了し、フロントデスクの掲示板のところで領収書と明細が貰える仕組みだと解った。

「なるほど、如何にもアメリカ式合理性か」と、ある程度は感心した。しかし、残念ながらそれ以降Hyattに泊まる機会がないのでその後の変化というか進歩の度合いが分からない。2011年にYM氏と同宿したカリフォルニア州ガーディナのホテルは旧態依然たる人手に依存するシステムで運営されていた。

相鉄フレッサインの前金制度には些か驚かされたが、これはアメリカ式の性悪説に基づくものではあるまいと思う。単なるチェックアウトの簡略化をかねた日本式合理化と解釈した。言わば変化だろう。アメリカではクレディットカードを提示しないとチェックインが出来ない仕組みだ。私はこれは飽くまでも性悪説信奉国ならではのことで、無銭宿泊ないしは泊まり逃げ防止策だと解釈している。

このフレッサインもそうだったが、藤沢市内のホテルをネット探したところ、その後数日間は当たってみた複数のホテルの予約勧誘がInternet Explorerの画面にじゃらんからか直接だったか確認はしなかったが、出てきたのには流石にICT化の時代だなと痛感させられた進歩というか変化だった。その広告の内容ではネット予約以外は受け付けないとすら読めるのに参った。

そこで、そのうちの一軒に「じゃらんでしかネットでしか予約出来ない仕組みか」と尋ねると言下に否定され、「電話で直接受け付けるしその方が少しお得」と勧誘された。矢張りネットの時代の変化には後期高齢者は馴染みにくいのだと痛感させられた。