新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カフェイン(Caffeine)

2015-12-24 07:42:37 | コラム
カフェイン抜きの暮らし:

先日、カフェイン入りのエナジードンリンクを飲み過ぎて亡くなった方がおられたという痛ましい例が報道されていた。私は2006年1月の最初の心筋梗塞発祥の際の入院中に看護師さんから「もうこれから先に退院した後ではコーヒーは一日に一杯が限度で、出来るならば飲まない方が」と教えられていた。その意味が心臓に良い影響を与えないのだろうとは理解した。だが、その教えを守ろことなく喉元を過ぎた退院後には、何時の間にかおかわりが出る喫茶店やレストランなどでは何杯も飲むようになっていた。そして、別段何らかの悪影響が出てきたとは思っていなかったが、二杯目を飲むことは避ける程度には注意するようにはしていた。

ところが、一昨年の12月30日の不運だったと自分で決めつけている食中毒による血栓の発生と言うべきか三度目の心筋梗塞とすべきか迷うが、重大な病から何とか退院出来た後では、兎に角カフェインの摂取は極力避けようと思って調べてみれば、コーヒーどころか、日本茶も紅茶もみなカフェイン入りだったとわかって認識不足を反省せざるを得なかった。コーラの類にもカフェインを含んでいるのも学習した。これでは飲めるものがないではないかとなるが、そこで行き着いたのが「カフェイン抜き」即ち"decaffeinated coffee"という当たり前の結論だった。

そこで街に出て探してみれば、案外に通称「カフェインレス」のコーヒーは粉でもインスタントでも容易に手に入らないのだった。やっと発見できたのがNESCAFEの"GOLD BLEND"の「カフェインレスと表記されたインスタントコーヒーだった。だが、この商品も高田馬場まで遠征しないと入手できず、常に在庫があるとは限らず、また価格も妙に変動するのだ。だが、それ以外には選択権がないので、買える時に買っておくようにしている。

意外だったのはカフェインを含んでいる飲料が多かったことだった。特に、国際医療研究センター病院の栄養相談で厳しく指導されたので、今年の前半からは減塩食の励行は言うに及ばず「これでは水とスポーツドリンク以外飲めるものがないではないか」と嘆いたものだった。今年2月の退院後は外食などという冒険をする気力もなかったので、飲み物の選択に迷うことはなかった。そこにあの死亡事故の報道があってあらためて「カフェインとは」と学習した次第だった。

ここで、またアメリカの話だが、かの国ではコーヒーを飲むときに"Decaf"(ディーキャフ)と言って注文する者が多い。"decaffeinated"では長いので省略したらしい。今にして思えば、その連中は「心臓に何らかの問題を抱えていたのだろう」と察している次第だ。因みに、Oxfordには"caffeineless"という言葉は載っておらず"ーsee also decaffeinated"となっていた。また"caffeine"は"a drug found in coffee and tea that makes you feel more active"となっていた。

12月23日その2 YM氏と商社マンと懇談した

2015-12-23 17:04:43 | コラム
二人の友人と個別に語り合った:

YM氏と:
20日に約1か月振りで出会う機会があり、短時間だったが彼から色々と聞くことが出来た。私としては、矢張り気になるのがアメリカの現状で、特にFRBがゼロ金利を解消する決定をしたのが如何なる影響を与えるか等を聞きたかったが、実際には景気、失業率、大統領選挙等に触れたところで時間切れになったのは残念だった。彼はアメリカの景気は確実に好転しつつあるが、それほど先行きには楽観をしていないようだと私に解釈できる語り方だった。その主たる根拠は失業率が改善されているのは確かに良い指標ではあるが、問題はその中身だという。

それは、私が在職中からW社の内部でも取り上げられていた問題点である。アメリカでは極言すれば「マネージャー級と担当者及び事務員(clerkとでも言えば良いのか、身分の垂直上昇が望めない階層)との間で技術系でも事務職でも実務を十分にこなし実績次第ではマネージャーの肩書を取れそうな若手が致命的に不足している」ということである。我が国の会社組織と異なる感覚なので表現が難しいが、希望に燃えてその会社のその事業部に職を得ても、身分の垂直上昇が約束されていない立場という意味だ。故に、若い新卒の者たちには魅力に乏しいが、働き方次第ではある程度の収入は得られる職という意味でもある。YM氏が現在に至ってもそういう指摘をするのは、最早30年以上もそういうアンバランスな失業率事情(職業選択事情?)があるということだ。

それは、私が常々指摘してきたアメリカ全土の精々5%の人たちが占める支配階層には失業の危険性はあるが、能力のある人材は大袈裟に言えば何時でも売り手市場に近い状態にある。一方の対極にある労働組合員は法律による保護もあっても景気次第では何時工場が売却されるとか、事業が閉鎖されるとか、M&Aによるリストラという名の合理化が襲ってくるかの見通しは難しい。だが、景気さえ好転すれば失業率は改善されることになるのだ。

他に話題に上ったのが住宅事情で、相変わらず中古住宅は値ごろな物件は売れているが金融機関が抱え込んだ高級住宅の売れ行きはもう一息で、全体的には動きがあり、景気好転の恩恵は受けているとのことだった。実は、ウエアーハウザーはつい先ごろ残していた紙類、パルプ、日本との合弁事業の新聞用紙の売却計画を公表したとの話もあり、紙パルプ産業の先行きの暗さが一層際立ってきたし、同社がそもそもの出発点だった木材とその製品の専門の企業に回帰することが明らかになった。このことは住宅産業にはまだ未来があるということかと語り合った次第。

商社マンと:
21日に毎月の昼食会で語り合った。彼は元は輸出入を本職としているが、一時ヨルダンに駐在していたので、中近東というかアラブというかイスラム圏の事情には当然明るい。我々が知り得ることのない裏話というか、オスマントルコ以来の事情をもとに解説してくれるので、非常に興味深い話が聞ける。私は彼と同じ部門には彼と同時期にバーレーンに駐在していたやり手がいたので(既に定年してしまったが)彼ら二人から聞くアラブ世界の実情話には大袈裟に言えば「目から鱗」的なことが多かった。

今回は彼が新大久保まで来てくれたので「イスラム横丁」を案内したが、そこに行き着く前に「懐かしいスパイスの香りがする」と懐かしくなさそうに一言?バーレーン駐在経験者も中近東事情については全く同じことを指摘していた。それは「学校で世界史を本気になって勉強してキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が現在に至るまでどのような歴史を経てきたのかを知らないと、パレスチナとイスラエルの対立などは分かり得ようがない問題だ」である由。尤もだとは思うが、いかんせん不勉強だった当方は頭を下げてでも解説してもらうしかなかった。

彼はイスラム社会を民主化すればアラブに春が来るなどと思うこと自体が疑問であったが、民主化?してしまった結果が現在の混乱の状態であるという。ではサダムフセイン等の排除されてしまった圧政的な統治者を残しておけば国民は押さえつけられたままだったろうし、IS等の台頭を許した現在の何れかを選ぶかと訊かれれば、彼らアラブの民は迷うだろうとのこと。但し、イスラム教徒はあくまでも教義に従って動くので小さな事には動じないが大きなことには反応するだという認識が必要なのだそうだ。

だから、小さな窃盗などは看過するが、イスラム教と教徒に対する大きな辱めやアッラーを侮辱したりする者には、テロ行為のような大きな反応を示すと思えば、やや極端ではあるが解りやすくはないかと教えてくれた。書いている私自身が中途半端な理解しか出来ていないので上手く表現できていない点をお許し願いたいが、イスラム教徒自体は本質的には凶暴な人たちではないと彼は認識していた。

話は古くなるが、当時というか今でも「サダムフセインはクエートに侵攻したが悪いことで、クエートは被害者だ」という認識が多いが、アラブ世界での認識はむしろ正反対なのだそうだ。「イラクはクエートに無法にも奪われた土地や資源を取り返しに行ったのであって、イラクに正義はあったのだ」と、当時本社にバーレーン駐在から帰任してきた「やり手」にも解説してもらった。商社マンはそれほどアラブとパレスチナとイスラエルの絡みの問題の正しい理解は難問であり、アメリカ等の欧米の諸国からの介入はご覧の通り容易ではないのだと締めくくった。

さて、私はこの懇談会の内容を上手く纏めきれたのか、この一文を以て読者諸賢に伺うという一寸不安な企てをしている次第。宜しくご理解のほどを。

カタカナ語の氾濫に思う

2015-12-23 08:01:38 | コラム
漢字文化の破壊に繋がるのではないか:

昨22日の会合でサッカー協会の「Jリーグ・アウオーズ」の表記を快挙と語ったところ「貴方は何故そこまでカタカナ語否定に執着するのか。寧ろ嫌味だ」とかなり厳しい反論に出会った。しかもこの方は私の年来の主張を承知で言っておられるので議論を決着させるまでに少しく論争したが、何とか無事に収まった。念の為に申し上げておけば、私の持論は「カタカナ語を誰が何時どこでどう使おうと妨げるつもりはない。ご勝手にだ。だが、その99%は元の英語にはない言葉であり表現であり、またわが国で先人が知恵を絞って作り上げた造語であり、英会話か英語で何か書いて表現される時には通用しないことがままあると思っていて頂きたい」なのだ。

だが、近頃のテレビや新聞報道もさることながら、一般人は言うに及ばず一国を代表しておられるだろう国会議員や閣僚までもこれらの誤った表現であるカタカナ語を当然のように使って粋がっている傾向が日を追って激しくなっているのを見て聞いているのは、悲しくもまた情けないと思えてならない。そう言う理由は、そのような行為はわが国固有の漢字を使用して物事を表現する文化の破壊であると考えている点にある。私はカタカナ語を漢字の熟語のような含蓄があるというか言外に暗示するものがあるかの如くに使っているのではないかと疑っている。英語の単語にはかかる性質はない。または、漢字を学習しきれずに安易なカタカナ語に助けを求めているのではないかとも疑っている。

ではどのような例が私の気に障っているかを、思いつくままに採り上げてみよう。「トラブル」の濫用はそれこそ日進月歩ではなかった日進濫用である。「揉め事」、「事故」、「故障」、「何らかの製品の品質問題」、「諍い」等々はすべてそれぞれ別個の内容であると思うが、すべてを簡単に「何かトラブルを抱えていませんでしたか」などと表現している。また「スタッフ」も完全に戸籍を得た日本語として定着した。私はファミリーレストランから居酒屋のような場所で(テレビでしか見聞したことがないが)「ホール・スタッフ」という役目を人がいると聞こえたときに"whole staff"とは何のことかと一瞬判断に迷った。ここでは「職員、部員、局員、社員、従業員」という意味でアメリカでは「参謀」をあらわす単語がカタカナ語されてあれほど普及したのには驚く以外なかった。中には「チーフ」などとの役職もあるが"the chief of staff”とは「参謀長」を意味するのだ。

すでに何度も採り上げてきたが、これらの他にも「シンプル」、「ノミネート」、「コンパクト」、「カジュアル」、「コラボ」、「何とかアップまたはダウン」、「アップ(ダウン)する」等々は完全にマスコミ、特にテレビに出てくるタレントとやら言われているアホどものみなら普通(マスコミ用語では一般人)の人までが真似させられているのは、私は漢字文化の破壊の第一歩、いや二乃至はそれ以上に進んでいるかと憂いている次第だ。

試しにこ、こに挙げたカタカナ語を漢字化してみれば「シンプル」は”解りやすい、簡単な、単純な、易しい”等が当たるだろうか。「ノミネート」は言うまでもなく”推薦”だが「~賞にノミネート」という表現は厳密に英文法で言えば体をなしていないのだ。「コラボ」というのは私を驚かせてくれたカタカナ語だった。"collaborate"か"collaboration"という「(文芸・科学の分野で協力(共同する)、合作する、共同で研究する」とジーニアス英和にある言葉を知らなかったわけではないが、日常でも社内の報告書にでも使った経験もなければ使われていた例をほとんど知らなかったからだ。それが「コラボ」などと省略した形で芸人の行為の表現に当たり前のように使われている豊富な単語の知識に驚いたという皮肉である。

「アップとダウン」も動詞のように濫用され過ぎだ。確かに副詞には「上方か、下方か」の意味はあるが、あの使い方は「何故素直に漢字で表現しないのかな」と思わせてくれるだけだ。だが、使う方の各人のお好みに介入する権利も資格もないと思うので「自分が使わなければそれで良いか」と半ば以上諦めている今日この頃である。最後にお願いしておくことは「カタカナ語は英語となまったく別個の存在で単なる日本語であるとご承知おきください。そして漢字文化をもうこれ以上破壊しないようご注意を」である。

サッカー協会の快挙だ

2015-12-22 07:05:33 | コラム
Jリーグ・アウオーズの発表:

昨21日に都内でサッカー協会が表彰式を開催したと報じられている。この表彰を「アウオーズ」としたことはカタカナ語排斥論者の私から言えば「サッカー協会の快挙」である。

何故快挙というかと言えば、英語の"award"はこれまで繰り返してマスコミが、いや多くのテレビ局も新聞も「アワード」と全く言語の発音や辞書に明記された発音記号と異なる表記をしてきたのである。私はこれを繰り返して批判し、何とか通信社の「外来語ハンドブック」にでもそう表記せよと指示されているのかと皮肉を言ってきた。また、マスコミの担当者は手元に英和辞典すら持っていないのかとも指摘した。

私は"award”をあのようにカタカナ化するのは我が国の学校教育の科学としての英語」が如何に正しいことを教えていないのか、ローマ字読みの悪影響なのか、さらに教えていたとしても効果が上がっていないのか、または教えている人の発音が不正確なのか何れかとも言ってきた。そこに、この度のサッカー協会の(だと思うが)この「アウオーズ」という表記に接して「流石、我らのサッカー協会」と朝から気分が良いのである。

念のため申し上げておけば、私は何度も「カタカナ語を使うのは各人の勝手であり、それを阻止する意図など毛頭ない。カタカナ語は最早我が国の文化の一部となって定着してしまっているのだから。だが、カタカナ語は元の英語と比べれば言葉の誤用や和製語や誤った発音の表記があって全く別物であると承知でお使いになれば」とも言ってきた。だが、誤った発音の表記をするのは良いことではあるまい。

因みに、Oxfordには"award”は”(often in names of particular awards) a prize such as money, etc, for ~ that has done"とあり、Academy Awardと単数で出ていた。何れにせよ、英語では「アワード」とは言わないことを確認して終わりたい。

12月19日と20日の出来事

2015-12-21 08:06:04 | コラム
サンフレッチェ広島は偉い:

実は18日の午前中から、おそらく私の不注意でPCを故障させてしまい、その対策を富士通に長々と電話で相談した結果で19日の午前中に修理のために引き取って貰うことに決めていた。19日の午前中には宅配業者に引き渡した後で高田馬場のSクリニックに新宿区の高齢者健康診断の結果を伺いに出た。結果は良好でまず一安心。午後1時半にはここまで迎えに来てくれた愚息の車で家内とともに代々木上原のYクリニックに向かった。

それから急遽新宿駅西口のビックカメラで部品を購入して臨時の代替用PCをセットアップしてもらった。完了後慣れないソフトの使い方を教えられて終わってみれば夜も11時。翌日からは不慣れなIMEのソフトと戦うかと胸を躍らすことなく就寝。

新?PCはプリンタに接続不能とかで生じた問題があった。それは年賀状の宛名書きを手で書かねばならないこと。どうなるかと恐る恐る試みれば1時間で20枚で、何とか先行きの見通しが立ったと勝手に一安心。だが、前夜にも苦戦したがバックアップをとっていなかったので、誰のメールアドレスも入っていないPCを抱えたことになってしまった。この問題は21日に愚息と佐藤氏のご協力で一部解決したのは有り難かった次第。

21日の午前中は愚息の依頼であった和文英訳でほぼ終わったが、長い間離れていた英訳には情けなるほど手間取った上に和文の解釈が不味くて、午後に何度か訂正版を送信せねばならなくなって少々自己嫌悪に襲われた。それでも何とか渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」への投稿を終えて、期待していたサンフレッチェ広島対広州広大のサッカーに間に合った。何を期待していたかといえば、広島が中国代表に勝ってくれることであるのは、言うまで!もあるまい。既に私には未だに指導力のほどが見えない監督率いる寄せ集めの日本代表よりも単独テイームの広島の方が力があると思うと指摘してある。

一方の中国代表のクラブは中国とは言うが、中心にはかのブラジル代表選手がパウリーニョの他何名かいるし、監督のスコラーリもブラジル代表を率いていた実績もあるし、韓国代表までも入っている当に「クラブ」である。だが、広州がFCバルセロナに手玉に取られていた様子を見ていたことと、広島がリーヴェルプレートに善戦健闘した力から判断すれば、冷静な評論家としては勝機は十分にあると予測していた。

しかし、前半に私が冷静に広島のアナであると決めつけていたGKの林の判断の誤りで捕るべきシュートをパンチしたこぼれ球を、フリーで待っていた相手に蹴り込まれてしまった。だが、私は広島がDouglas(と書いてポルトガル語では「ドウグラス」と読ませているようだ)を温存してあったのでまだ望みを捨てないで済むと冷静に判断していた。

結果的には後半からドウグラスを投入した森保監督の作戦が功を奏して、彼と浅野の働きもあって見事に2点を取って世界第3位のクラブの座を勝ち取ったのは「偉い」と褒め上げるしかないと思う立派な出来だった。しかも広島にはドウグラスの他にはクロアチア人のミキッチがいるだけで、後は純粋に日本育ちであった。茶島のようにJリーグの試合には使ってもらった実績がない者が良い働きをしていたように、世代交代というよりも若手であり良い交代選手を数多く育てておいた森保監督の手腕も褒めておくべきだと思う。確かに青山や佐藤寿人のような優れた存在もあるが全日本的に傑出した名手ではなく、彼らを活かしまたこの2人が全体を上手く機能させているサッカーは、日本代表よりも優れていると思いたくさせてくれるのだ。

広島の勝利に大いに気分を良くさせて貰った後で、日テレが中継開始後30分も試合開始まで引っ張られたことにも腹も立てずに、FCバルセロナ対リーヴェルプレートの決勝戦を楽しく観戦することができた。結果は試合を見るまでもなく十分に予測できていた。残る関心と興味は準決勝に出てこなかったメッシとネイマールとスアレスが組めばどれほど楽しませてくるかにあった。

結論としてはリーヴェルプレートはバルセロナの敵ではなかったことが無残に立証されただけで、私にとってはバルセロナはこれまで見た外国のサッカーのテイームの中で最も素晴らしくて、また上手過ぎるとひたすら感心しているだけだった。南米のサッカーの上手い国の代表を数多く集めてメッシのような、どういう感覚をしているのかと思わせる優れものと組ませればあれほど凄いサッカーができるのだと感心して楽しめた。

終わってみれば9時半頃だっただろうか、長いサッカー漬けのようだった日が終わった。だが、実は昼飯前に高田馬場駅前のビッグボックス内のUNIQLOにHEATTECHの新製品と聞いた暖か下着「極暖」のズボン下(で良いのかな)が35%引きのセールをやっているとチラシで知らされていたので、好機逸すべからずと徒歩で!買いに行っていたのだった。と言うのも、こうでもしないと日課にしている散歩の時間が取れないほど多忙だった一日だったのだ。