新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今年最後の一働き

2015-12-27 10:55:18 | コラム
ニンニク注射で元気十倍:

昨26日は珍しく朝5時過ぎまで目が覚めなかった。どうやらそれほど疲労が蓄積されていた模様。そこで、朝食後は11時過ぎまでベッドに寝転がってテレビをつけまま、その音を子守唄のように聞きながらウトウトと。これが意外と快感で少しは疲労が抜けたかの感があった。

13時過ぎに最早土曜日の定期的行動となっている当アパート前19分発の高田馬場駅行きのバスで家内とともに出発。何故近い新大久保駅に向かわないのかと言えば、この山手線最古の駅舎にはエスカレーターもエレベーターもないので、ヘルニアで足が弱っている家内には不向きだからである。新宿で小田急に乗り換えて代々木上原駅前の吉田クリニックにプラセンタ・エキスの注射を受けに行く。

熱烈なフットボールファンの吉田先生は2週間を経た今でも、あの甲子園ボウルでの早稲田が第4クオーターで犯したと判定された「アンスポーツマンライク・コンダクトが本当にあったのか、何故その反則の場面が放映されなかったのか」と不満を述べておられた。確かに中継でも出てこなかったし、テレビのニュースでも映されなかったので小生にも解らない。先生は毎回診察の後に熱心にフットボールを語られるので、後の患者さんのことを考えて当方が冷や冷やしてしまう。また、22日に語り合った早大学院出身の早稲田大学OBもあの見えざる反則と判定に憤慨しておられた。NHKの中継の不手際を責めたい。

私は先生に「疲労がたまった感があり、午前中はぼんやりと過ごした」と訴えてみたところ、元気回復の静脈注射があるからプラセンタ・エキスと一緒にして帰りなさいと言われ、それを受けたのだった。看護師さんの説明では所謂「ニンニク注射」のようなものらしかった。その注射を受けただけで直ちに元気百倍は過大で10倍くらいの気分になって、帰路には総武線の大久保駅で降りて我が家から一番遠い薬局で日清紡製のトイレットペーパーを買って帰った。これまでにいろいろのメーカーの製品を試してみたが、この「シャワートイレのためにつくった」となっているこの製品が、多少厚薄があるが(製紙業界の用語で紙の厚さにバラつきがあるという意味)最も優れていると思っている。日清紡はもちろん製紙会社ではないが、昔から製紙も手掛けていたメーカーであるのも面白い。

念の為に確認しておくと「シャワートイレ」は旧INAX(現LIXIL)の商品名である点が面白いのだ。同じ洗浄便座でもTOTOは「ウオッシュレット」となっているので、日清紡のトイレットペーパーはLIXIL製品専用なのかもしれない。我が家の便座は偶々INAX製品であるので、適正なペーパーを買っているのかも知れない?!

しかし、一般論としてこのトイレットペーパーの12ロール入りのパッケージは持ち歩きが非常に不便なのだ。メーカー側は工夫を凝らしたつもりだろうが、天辺(テッペン)のところの言わばハンドルのようなところに穴を二つ開けて「そこに指を通して持ち帰りください」とでも気を遣って見せる。だが、これが私にとっては指が痛くなるだけで持ちにくくでかなわない。そこで思いついたのがリュックサックに押し込んで背負って帰る手法だった。これでは両手が自由になるので他の買い物もできて便利なので、昨日もこの手でいった次第。日清紡だけではなく三大メーカーと言われている日本製紙クレシア(クリネックスのメーカー)、大王製紙(エリエール)、王子(ネピア)等にもあの穴あけ以外の包装を検討願いたいものだ。

帰宅して3時半。そこから気を取り直して投稿用の原稿に着手。それを終えてから富士通から郵送されて来たPC修理のついての諸条件が記載された同意書を読んでみた。事前に電話で説明を聞いてあったが、初期化して修理するのでデータの取り出し等に難しい点があるとか。アナログ世代の当方の手には負えず、愚息の指導がなければ迂闊に署名捺印はしないと決め、彼が来るまで保留にした。電話で聞いた概算でもデータの取り出しにはかなりの費用が掛かるし、また抜き出せる保証もないようで不安が残る事態だ。特に、Emailのアドレスや溜まっていたワード文書のファイルが失われては困るので厄介だ。何れにせよ、修理が終わるのは来年の1月第3週中になるようなので、当分はこの一寸不自由なIMEのソフトで書くしかないのだ。

夜は9時前に横になったようだったが、羽生結弦が2度も転倒しても優勝できたのも、浅田真央が5位でショートプログラムを終えたのも知らずに寝てしまったようだった。

12月25日に

2015-12-26 16:57:28 | コラム
街はクリスマスで賑わっていたが:

昨24日で過去12年間になかったことだった約90枚の年賀状の宛名と一寸した添え書きの手書きを漸く終えた。これはPCを修理に出している為であり、この愚息から借用している代車ではなかった代PCはプリンタと接続されていないのであるから。早朝に目出度く葉書を投函して何か借金でも返せばこんな気分かと考えていた。兎に角、12年前に止む無く導入したPCのお陰でというかPCのせいでと言いたいのだが、手で字を書く機会が激減していた為に腱鞘炎になったかと思うほど右手が疲れ、PCのキーを打つ手つきまで怪しくなってしまったのは小さな驚きだった。

悩みはそれだけには止まらなかった。アメリカの友人・知己から頂いたクリスマスカードにも何らかの形で答えねばならぬ仕事もあったのだ。これもまた手書きとなるのだ。そこで気付いたことは「英文はボールペンよりも万年筆の方が遥かに書きやすかった」という当たり前のような点だった。余談になるが、在職中から物書きの真似ごとをしていたお陰かリタイヤーに際して餞別にとモンブランのような高級な万年筆とボールペンのセットをいくつか頂戴していた。だが、間もなくお世話になっていた出版社の要望もありワープロに転向したために申し訳ないことに無用の長物と化していた万年筆が、思わぬところで大いに助けになった次第。書き上げたカードを持って郵便局に久し振りに航空便を出しに行った。

そこから10時頃だったか、バスで新宿駅西口の銀行に家内の代行で正月に備えて生活費を引き出しに向かった。流石に新宿の街は人手で賑わっており、銀行までの地下街は群衆をかき分けて進んでいたかの感があった。アベノミクスの効果だったら結構なことではないか。銀行では予約はしていなかった我が家の担当の外回りの女性行員を呼び出してもらい、マイナンバーのカードを如何に処理するのが当家にとって適切かを質問した。答えは明快で「NISA等を利用した投資の類に手を染めておらず、預金だけであれば何も写真付きカードにする必要もなく、郵便で来た番号通知の書類をキチンと保管しておくだけで良し」となっていた。これでこのナンバーについてのモヤモヤが解消し、隣の銀行のATMに向かった。

次には帰路にあるチラシが入ってきた小田急百貨店の隣にあるUNIQLOの年末大売り出しを見学に入ってみた。流石に店内は大入りの状態だで方々で中国語が聞こえていたのも「矢張りか」と印象的だった。中国で買うよりは旅費をかけていたことを度外視すれば、ここで買った方が経済的なのかななどと考えていた。UNIQLOではスーパーのように買いたい品物を籠に入れて持ち歩く衣料品を食料品や雑貨のように扱うのが、私には面白い現象に思えてならないのだ。事実、私の前にレジに並んだ満載の籠を抱えた日本の女性はクレデイットカードで3万円ほども払っておられた。当方は衝動的買いをしたのだが、それは家内の為にTシャツと下着の兼用となると男性の店員に解説された「極暖」のHEATTECHのシャツ¥999(税抜き)を1枚だけ。

そこから表に出て小滝橋通りを大久保方向に向けて散歩を兼ねて歩くことにした。しかし、時計を見れば早くも11時半を回っていたので外食と決め、長年の馴染みだった博多天神というラーメン屋に飛び込んだ。ラーメン屋での外食は今年で3回目くらいにはなるだろうか。減塩のために汁を飲まないで済む「つけ麺、替え玉付き」を¥450で。そこから先は矢張りバスで帰宅の途に。因みに、2006年2月の退院以降は外では汁付きのラーメンは食べていない。と言うべきか、もしも食べても汁は飲まないだろう。それでは恐らくラーメンを食べる意味はあるまい。それだけではなく減塩食励行のためにも食べないのだ。

午後には一休みした後で暫しPCに向かって一仕事。ここで思いもかけなかった問題が発生。それは10年ほどPCで何か書いている際のBGMのCDをかけていたミニコンポが動かなくなっていたのだった。暫らく解らないままにいじってみたがいうことを聞かないので諦めて無伴奏で?メールを仕上げた。午後3時半からは歯医者さんの予約があったので、礼儀上も兎に角、歯を磨いてから向かった。ここで治療して頂いた後は20~30分は水を飲めないので注意が必要だ。ここまでで最早4時過ぎ。病み上がりの体でこれだけ連日動き続ければ結構疲労感出てきたので、これ以上は動きまいと決めた。夕食後はテレビを見て休息し早寝にすることにした。

顧みれば、今週初頭から亡父の祥月命日の墓参り等を含めて細か慌ただしく動いた日が続いて疲れはしたが、本日は何となく理解出来ていなかったマイナンバーに対する疑問が解決しただけでも、何とか意義があった忙しさだったと思っている。

12月25日 その2 岸田外相28日訪韓

2015-12-25 13:06:28 | コラム
慰安婦問題の行く手に変化の兆し:

産経には「妥結意欲探る」との見出しが一面に打ってあった。総理もその気になっておられるだけの背景があるとか。それ自体は大変結構なことかと思うのだが、何分にも韓国側の交渉相手はあの世界遺産登録の際に煮え湯を飲まされた札付きのユン外務大臣では、如何なる姦計を裏に秘めているか等解ったものではないと思ってしまうのだ。産経の加藤前支局長の無罪判決を韓国の対日姿勢の変化と読めないこともないがだが、事はそう簡単に運ぶのだろうか。韓国内の挺特協(だったか?)のような過激な勢力を朴大統領以下がどのように抑えて行くのだろうかも、大いに疑問に感じざるを得ない。ではあっても、確かにこの長年の日韓間わだかまる課題を年内に解決の方向に導けるのであれば歓迎すべきだとは考えられる。

私は過大な期待はしないまでも、岸田外相の手腕に一定以上の希望的観測は許されると思うし、また期待したいのだが、読者諸賢は如何お考えだろうか。

カタカナ語論

2015-12-25 07:42:17 | コラム
カタカナ語談義か「いっそのこと全部英語に」:

昨24日に中学(旧制であるが)以来の級友と電話で語り合った際に、当方の持論であるカタカナ語語排斥も話題に上った。彼はどちらかと言えば私の排斥論は行き過ぎではないかという論者だったが、否定にまでは至っていない。昨日は当方が指摘した「本来はその濫用を指摘して是正する側にあって欲しい国会議員までが嬉々として?カタカナ語を使っているのは誠に嘆かわしいことではないのか」との点では意見が一致したのだった。彼も言うのだが、彼らは「何かあのようなカタカナ語を言葉の中に入れることで恰好が良いとか、英語に精通しているかのごとくに聞こえるのではという錯覚に囚われていないかと思う」と。賛成だ。

私が90年頃に述べていたことだが、確かに当時では話の中にカタカナ語を取り入れることが何か近代的であるとか、スマートに聞こえるとか、知的水準の高さを示すような感覚があったのではないだろうか。だが、現在では漢字文化の破壊の破壊というか、小難しい漢字とその熟語を避けて何でもカタカナ語を当てはめてしまうような傾向が顕著であるという見方でも意見は一致した。この傾向は決して歓迎すべきものではあるまい。彼は「それほど英語が使いたいのならば、いっそのこと全部英語で話せば良いのでは」とやや厳しい冗句でこの話題を締めくくった。

彼は銀行のOBで海外駐在の経験もあり、中学・高校を通じて成績優秀で英語とは何であるかを良く解っている。その彼でさえも赴任先のアメリカで当初に最も苦しめられたのは「聞き取り」だったと述懐していた。即ち、話す方は何とか纏めて理解させることは出来たが、アメリカ独特のアクセントに耳が慣れて聞き取れるようになるまでには相当の期間を要したとのことだった。その原因は私が知り限りというか接触してきた多くの駐在員が嘆いていたことで、我が国の学校教育で教えられた発音(とアクセントや抑揚)の違いが最大の原因の一つである。

彼と語り合ったのだが、「我が国の英語の教員の方々は歴代の(先任の)先生に教えられた伝統的な日本式発音で育ってこられた以上、教えられる方もその発音で育ったのだから、アメリカないしはUK式等のnative speakerたちの発音についていけないのは仕方がないだろう」といった形で「聞き取り」の難しさの案件を締めくくった。彼はこちらから相手に解って貰えるような表現が出来ると「そこまで言えるのだったら、英語が理解出来るのだろうと思われて、どんどん話しかけられることがあって大変だった」とも回顧していた。これも理解できる問題点だ。

もしも、どこかで誰かが唱えている「英語教育を通じて多くの国際人を養成」などとするのならば、ここに彼と語り合ってきたような問題点をどのように解消していくかだと思う。だが、何度も指摘してきたことで「Native speaker尊重に走るあまりに、その外国人の英語がどのような品格と教養を示すかを峻別出来る方々が肝腎の行政機関にどれほどいるかもまた問題ではないかと、私からは述べておいたのだった。このようにカタカナ語から始まって結局は「英語とその教育論」になっていたのだった。

12月24日 その2 食べ物の匂いは、好みは

2015-12-24 15:29:07 | コラム
食べ物の好みは何で決まる:

佐藤隆一氏から今朝ほどの「カフェイン」について

「スパイスの香りで中東を思い出す!街にはそれぞれ匂いがあります。韓国はやっぱりキムチ臭い、台湾は場所にもよりますが、白檀のお線香の匂い、香港はウイキョウ・八角とパクチーの匂い、タイはハーブ・・・、で日本は何の匂いかと外国人に聞くと、醤油の匂いだそうです。日本人にはピンときませんが、そういうことらしいです。中東は行ったことが無いので分かりません。今度、新大久保の中東に行ってスパイス体験をしてきます。」

との意見が寄せられた。お出でになるのであれば、ハラルフードを商う店の中に入ってみることをお勧めしたい。所謂「異国情緒」も匂ってくるから。

そこで「日本の匂いは」で思い出したことがあった。それは10年以上も我が国に出張した経験がある、アメリカ人には珍しく全く躊躇することなく如何なる日本食でも「美味い、美味い」と楽しんでいた元の上司がいた。彼とは今でも家族ぐるみで交流を続けている。因みに、彼はW社をリタイヤーした後ではシアトルで大学院大学の教授となった知性派でいわば典型的なアッパーミドルである。彼がある時刺身と寿司を味わった後で言ったことが「日本の料理は美味だが、結局は醤油を味わっているのではないかと思う」だった。何となく説得力を感じて「そう言われてみればと一瞬考え込まされた。

また、矢張り日本の客先の工場等をを10年以上も技術サーヴィスで巡回して、かなり大胆に和食を味わっていた技術サーヴィスマネージャーがいた。彼はある時、お客様からの天ぷらの夕食の誘いを「なるべく先方の気分を害さないようにお断りしてくれ」と言い出した。それまでは天ぷらを好物の如くに食べていたので「何ゆえに」と尋ねた。答えは「あれほど何でも"deep fry"されたのでは何を食べても味が同じに感じられて楽しめない。今までは何とか耐えてきたが、それほど私の好みではなかった。だから今回は辞退したいのだ」だった。

これは、その個人の感性だからその通りにする以外ないだろうと、何とかお願いして変更して頂いたものだった。彼の好みは兎も角、このように、こういう場合でもはっきりと意思表示をする者がアメリカ人の中に入るのだ。そう言われてみれば、アメリカの食べ物には天ぷらのような揚げ物は少ないと思わせられた。だが、一度だけジョージア州アトランタで巨大なロブスターの唐揚げ(というのかな)をご馳走されたことがあった。「勿体ない。他の食べ方があるのに」と思ったが、非常に美味で驚かされた。