新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月24日 その2 一触即発の危機

2017-04-24 16:16:57 | コラム
アメリカがDPRKに先制攻撃をかける正当性があるのかな:

トランプ様がシリアの空軍基地にミサイル攻撃を仕掛けたのには驚かされました。あの攻撃は勿論UNなどを通していなかったのですが、善くぞ何処からか「国連憲章違反だ」などという苦情が出なかったものです。トランプ様は仮令出たとしても、当然のようにTwitterででも「シカト」されたでしょうが。余談ですが、Twitterが何で「ツイッター」になるのでしょう?

ところで、本日は何も夜のPrime Newsまで待たずとも、テレビ各局は競って4月25日問題を採り上げて専門家(何の?)を沢山招いて色々とご意見を承っています。ところで、アメリカはレッドラインか何か知りませんが、DPRKのミサイル基地(可動性のものに対してはどうするのでしょうか?)を先んじて攻撃する場合には「宣戦布告」でもするのでしょうか。

私は戦争を開始する場合には「ただ今から貴国に対して宣戦を布告して爆撃を開始すから左様心得よ」とでも通告する国際的な手続きがUNにでも定められているかが疑問だと思うのです。アメリカは未だDPRKと戦闘状態にある訳でもなく、核を使った不穏な行動に出そうだから叩くのだとしか思えないのですが、それは国際法上で正当化されるのでしょうか。良いことならば、やっても良いという理屈でしょうか。

我が国のように(アメリカ同様にか)DPRKと何も未だ軍事的に事を構えている訳でもなく、極端な断交状態にある訳でもない現時点で、アメリカが先制攻撃をかけた場合にDPRKに「日本列島を沈めてやる」と言われたり、撃ち落とし損なった核弾頭付きミサイル等で大きな被害を被るのだとすれば、一寸不条理が過ぎる気がします。同盟国で、安保条約で保護されていれば仕方がないことなのでしょうか。アメリカから攻撃開始の30分前には通告があるとかですが、その後直ぐにDPRKから無数の(?)のミサイルが飛んでくるのでは、逃げて地下駐車場に駆け込む時間的余裕などあるのでしょうか。

何処かのチャンネルで「緊迫感という名の緊迫感があるが、実感に乏しい。これは本当に現実になるのか」と言っていたキャスターがいましたが、妙に迫力がありました。何れにせよ、トランプ様の「オバマ大統領がグズグズしていてやらなかったことを皆やってやろうじゃないか」政策がこんなに危険極まりないとは考えておりませんでした。浅慮でした。韓国では毒ガスマスクが売れまくっているそうですが、我が国で入手可能でしょうかね。

現代の日本語の問題点を考える

2017-04-24 13:29:34 | コラム
言葉は時とともに移り変わっていく:

4月22日の渡部亮治郎氏主宰のメールマガジン「頂門の一針」第4332号に、渡辺好造氏の「日本語をなぜ“片仮名文字”にする」と題されたカタカナ語批判の一文が掲載されていた。1990年からカタカナ語を批判し孤独の排斥運動(?)を続けてきた私からすれば誠に結構なことで、少なくとも私と同じ事をお考えの方、イヤ同志が現れたことは有り難いのである。

これまでに寄せられた多くのご意見は「最早日本語の一部とかしているのだから四の五の言うことはないではないか」という類いの冷淡もものが多く、支持者は先ず現れなかったのだ。私は決して一歩譲った気はないが「お使いになるのは勝手だが、それらのカタカナ語の99,99%は本当のEnglishとはかけ離れた純粋の日本語で、もしかして英語で会話などをなさる時にお使いにならないよう」とだけ言うようにしてきた。それでも、渡辺様がご指摘のようにこの種の奇っ怪な言葉は増える一方で、日本語を破壊しようとする輩は後を絶たないのだ。本当に嘆かわしい。

今回は既に何度も何度も採り上げてきた「和製英語(造語)とカタカナ語」を再録するのではない。それよりも昨年の今頃採り上げてきた「新日本語」をあらためて論じてみたいのだ。その前にどうしても触れておきたいことは「我が国の外国語教育の程度は世界でも最低の部類だと思っているし、多くの大学で教えておられる仏文学のTK博士もこのことを真っ向から指摘しておられる点」である。

私もアメリカのみならず、東南アジアの諸国を回ってみて、本当に遺憾ながら我が同胞の英語力はこの地域の人たちにも遠く及ばないと認識させられている。それでも、教育を司るお役所は小学校3年から英語を教えて国際人を養成するとか戯言を言っているし、未だにTOEICなどに執着する人々が多いのだ。

話を元に戻そう。私の持論は「言葉は耳から入ってくるものであって、いくら沢山読んで(黙読して)も決して簡単に身につくものではないのだ」である。何処かに赤子に言葉を教えて話せるようにした人がいるだろうか。あれは皆耳から入ってきたのではないか。そうなっている以上、テレビなどに登場する有り難い有識者や大学の先生や評論家や大臣などが嬉しそうに如何にも自分は如何に博学であるか、外国語を覚えていて知識人であるかを見せようと誤ったカタカナ語を使って語れば、それが罪なき一般の方々の耳に入り、定着して広まってしくのだ。

そこで新日本語である。昨年の今頃「~して貰って良いですかって何」と題して新日本語の批判をしておいた。私は、日本語の乱れと言うべきか、新たに出てきた表現が気になってならないのだ。その一例として採り上げたのが「お会いする」で、(こう入力しただけでAtokでは「お目にかかる」という他の敬語に切り替え可能と出てくるが)その敬語もどきの婉曲さに違和感を覚えていた。その辺りを敢えて採録すると、

>引用開始
「お会いする」への疑問:

私はこの言葉遣いが気になるのだ。敬語のつもりで政府高官からAHOなテレビタレントまでの間で広く使われているのだと思うが、違和感がある。大体からしてローマ字にすると「oai 」で母音ばかりでは、「青木」=Aoki が「エイオキ」になってしまう外国人には、まともに発音して貰えないかと危惧する。

Atokでは「お会いする」と入れると「お目にかかる」という敬語があると注釈が出てくるのだ。私もその方が自然だという気がする。「会いに行く」や「会ったことがある」では失礼に当たるとでも思っている人が多いようだ。そこで、「お会いする」への疑問を解決すべく、多くの大学で国文学を教えておられるKS氏に伺ってみた。その答えを下記に引用すると

<「お会いする」について:
基本的に、自分の動作やそれによって生じた結果に、「お」をつけるのは敬語としては間違っています。 ですから、本当なら「お返事をさしあげる」も誤用です。「お会いする」の場合、「会う」の主語は「私」ですからこれも本来は正しくありません。おっしゃるとおり、「お会いする」は「お目にかかる」と言う方が無難です。>

となっていて一安心だった。そこで、さらに常日頃疑問に感じていた現代人が多用する「私的には」についても質問したところ、以下のように解説して頂けたのだった

<これは近年生じた新しい表現と言えます。すこし前の解説者は「自分としては」の意味で「わたくし的には」とよく言っていました。「わたくし的には」がずいぶんバッシングされたので、それに代わる言いまわしが発生したのだと思われます。

また、何処かの野球解説者が言い出したのか、あるいはテレビタレントか知りませんが、「私の中で」というのも一般的になった気がします。これは「私が思うには」、「私か感じたところでは」、「私の意見では」、「私の感覚では」、「私の捉え方では」、「私の脳裏には」等々のように具体的な記述が出来ないか、思い浮かばないのか、あるいはそこまで国語を知らないのかの何れかで、国語教育の至らなさを聞く気がします。

私のように、日常的に古文に接している人間には、「新しい言いまわし」が生まれてくるのは止められない、という諦念があります。が、それにしても。江戸時代の書き言葉と現代語の乖離は、19c英語と現代英語のそれと比較にならないほど隔たっています。

きちんと勉強しないと、日本語をきちんと話せるようにも、書けるようにもならないという意識が、現代の中等初等教育の現場においても希薄過ぎる気がしてなりません。>
>引用終わる

以上のような回答があった。KSさん、有難う御座いました。

これらの他にも気になっている言葉遣いに「~おります」がある。私はこれは自分のことを言う場合に謙って使う表現だと思っていた。ところが、テレビに出てくる言うなれば有識者から政治家から大学の先生方のような知識階層も、AHOなテレビタレントも「~おります」を他人のことを言う場合に使うのだ。即ち、「あの社長がこう言っておりました」という具合に。わたしは「こう言っておられました」であるべきだと思う。だが、今やテレビという媒体を使って「~おります」が普通の言葉遣いとして戸籍を得てしまった。あーあ。誰か何とかして下さい。


トランプ大統領のアメリカ

2017-04-23 08:19:27 | コラム
アメリカは本当に北朝鮮に先制攻撃を仕掛けるのか:

近頃、このアメリカ(というかトランプ大統領と言うべきか)と対北朝鮮のことが、会う人ごとに話題として取り上げられる。大方の関心というか寒心事は「果たして、トランプ大統領が本当に先制攻撃をかけてしまうのか」にあるようだ。確かに、トランプ大統領は元はといえば軍人の閣僚や顧問団に囲まれて、カールビンソンの船団を派遣するような圧迫材料を使うし、習近平に陰に陽に圧力をかけてDPRKを牽制せよと仕向けている。

これだけを採り上げて考えても、これまでのトランプ大統領の衝動的なというか、アメリカの大統領としては前任者のオバマ大統領とは異なる新機軸としか見えない手法から見れば、明らかに本気と見えるのだ。私はこのことが話題となるたびに述べてきたことは「確かにその気配はあるが、就任後100日にも満たない間に彼がやって来たことを仔細に検討すれば、矢張り”unpredictable”と言う他はないと思う」だった。

この新大統領が打ち出してきた多くの政策(なのだろうか?)の特徴は「一貫性」(consistency)に乏しく「安定感」(stability)が見えないと私は見てきた。即ち、一件ごとに前後の脈絡がなく打ち出されてくるのだが、見方によればその時々の情勢の変化に即応して硬軟取り混ぜて突如として発令されるか実行されてきた感が深い。中には選挙キャンペーンの公約を何としてでも具体化させようとばかりに大統領令として発令され、物議を醸してしまった例も何件もあった。

このような統治能力(英語ではgovernanceなのだが、何故政治家もマスメディアも「ガバナンス」などと嬉しそうにカタカナ語で言うのだろう?)乃至は統治の手法を不動産、宅地造成業(ここでも何故かデベロッパーが使われる)の業界のように、一件ごとの(これぞ、まさしくcase by caseなのだが)決着を狙って処理しようと意図されたようにも見えて、多くの有識者や評論家に批判されている。

だが、別な見方をされる一派は「トランプ大統領は“アメリカ第一”と“アメリカを再度偉大に”を実践する為に、新たなパラダイムを導き出すべく行動しているのであって、その意味では首尾一貫している。衝動的だの、一件ごとのデイ―ルだなどという批判も非難も当たらない」と強硬に唱えている。確かに彼が打ち出した新機軸とも見える政策等は明らかに彼の支持層であった非富有階層や所謂恵まれない人たちの支持に応えようとしているのは確実だ。

だが、私はトランプ大統領が打ち出す新機軸の政治の問題は「そういう低層に属する人たちが対DPRK問題や不均衡貿易改善にどれほどの知識や関心があるのか」という点にありはしないかと思うのだ。中国を抑え込んで対アメリカの非耐久消費財の輸出を関税の賦課等で激減されれば、当面困るのは彼らであるし多くのアメリカの消費者ではないか。また、我が国からの自動車の輸入に高率の関税をかければ、彼らだけではなくアメリカ全土の需要者も困るのではないだろうか。

何、「その分だけアメリカでの生産分を増やして”job“(これを「雇用」と訳すのは誤りだ、念の為)を増やせば問題ないだろう」と言うのか。私はこれに対しては、韓国や中国の妄言の真似をして「アメリカこそ対日貿易の歴史認識が不足している。今更何を言うのか」と真っ向から唱えるべきだと思っている。自分たちの至らなさを他人の責任に押しつけて恥じないのは誠に不遜であると言いたい。

ここまででは、如何にもトランプ大統領に対する批判ばかりの如くに聞こえるだろうが、私はトランプ大統領がその大目標である”America first”と”Let’s make America great again”に向かってまっしぐらであることは十分に理解しているし、それなりに評価はしている。だが、如何に目標が良くても、その実現の為の手段がおかしければ何とならないのだ。万人が「将に新時代の偉大な大統領」と評価出来るものでなければなるまい。

また、既にある商社マンを例に挙げて批判したが、政権移行テイ―ムに不備があった模様で、彼が指名し議会が承認する大臣や諸官庁の幹部となる官僚の任命が膨大な数で果たされていないというような内政面の「管理能力不足」は厳しく非難されるべきだし、一向にこの問題を採り上げて報じない我が国のマスコミの姿勢にも疑問を呈したい。

しかしながら、先の大戦中にはとても考えられなかったような生命の危機が我が国民を襲ってくるかも知れないような作戦を本気でアメリカの大統領が選択するのだろうか。私に答えさせれば「矢張り”unpredictable”では」なのだろうか。だが、”predict”している有識者や専門家がいるのが怖いのだ。


本当は怖い便利な世の中

2017-04-22 09:19:51 | コラム
コインの裏側を読まねば:

もう30年以上も前のことだが、藤沢に住んでいた頃には、アメリカ出張となると余り何も考えずにABCに電話をしてスーツケースを成田空港に送って貰い、空港で受け取ってチェックインしていたものだった。そのサーヴィスを知ったのは確か何かのCMで「便利な時代になりました」と言っていたような記憶がある。確かに便利だった。

その頃は現在のようにトローリーケース(キャリーバッグは何処かで誰かが作り出した奇妙なカタカナ語だ)などなかったので、重たいスーツケースを如何にも軽々と持っているかのように見せるのが「旅慣れている」事の証だと誇りに思っていた。だが、他にもブリーフケースなども持って行かねばならないし、航空会社から貰ったオーヴァーナイトバッグなども肩にかけていたので、海外出張はは大変な重労働だったのだ。故に、ABCのサーヴィスは言わば福音のようなものだった。

私が頻繁にアメリカと日本の間を往復していた1993年一杯は未だこのスーツケース等を自分で運ぶ重労働の時代で、ABCのサーヴィスのようなものが、今日のヤマトの宅急便のような便利な事業にまで成長発展していくことなど考えても見なかった。ましてや、通販のような便利な(なのだろう)業態が現在のようにあまねく普及するとは想像も出来なかった。

AMAZONにしたところで、私の在職中の1994年1月末まではシアトルの南の外れの、言うなれば寂れたようなところにStarbucksとともに新興の事業会社の本社があったという程度の記憶しかなかった。話は違うが、1980年代にはマイクロソフトもシアトル空港の南にあるサウスセンターというショッピングセンターの広い敷地の隅に本社(だったのだろう)があって、「何の会社」と同様に尋ねれば「何かコンピュータのソフトだかを造っているらしい」という程度の認識だった。

以前にも取り上げたが、大和運輸は三越の配送を請け負っていた会社だったが、そこを離れてから宅配事業に進出し、ここでも「これまでになかった便利さ」でアッという間にあれだけの地盤を築き上げていった。「直ぐに配達する」という便利さを業者も消費者も最大限に活用し、時代の変化を楽しんでいたと思う、アマゾンのような業態があれほど世の中を変化させてしまうまでは。

アメリカにも(で良いのかな?)Federal Express(=FEDEX)もあれば、UPSもDHSもあって、世の中の便利さの先頭を走っていたと思う。W社でも私が転身した1975年には既に東京からこの種の”Courier service”を利用して本社に翌日に書類が到着するという離れ業を演じていたので、こういう時代の変化に疎かった私は「流石、世界のWeyerhaeuserは違う」と感心していたものだった。

我が国ではヤマトの黒猫便の対抗で佐川急便が進出してきた頃までは、佐川などはそのドライバたちの高収入が世間に知れ渡り、「金を稼ぎたいならば佐川に」などと言われていたような記憶があるほど、宅配便は日本全国に普及していった。私が思うには「消費者がその便利さを満喫していた」時代になっていったのだった。

だが、その輝くコインの裏側に潜んでいたことが週刊文春に潜入体験のレポートとなって、ユニクロとともにヤマトが取り上げられてからは様相が一変した。それは億の単位で配送される一般の消費者の荷物の他に、アマゾンのような時代の最先端を行っている業態が「送料無料」を引っ提げて参入してきたからだ。その便利さと魅力的(なのだろう)な価格は「今時の若者」の需要を引きつけてしまったのだった。

その宅配の普及の裏、即ちコインの裏側に何があったかをここで私が事あらためて解説するまでもあるまい。要するに「便利さ」の裏側には、それを支えてきた事業者側の努力と創意と工夫があったのだが、それを今日のような形にまで利用する事業者が現れるとは、恐らく計算外ではなかったのか。また、デイジタル化とITC化がここまで進んだ時代に生を受けた若者たちは紙の新聞も取らず、固定電話も置かず、商品に触らないでも買えるネットを利用するのだった。これもICT化の裏側に潜んでいた現象ではないか。

この変化を予測せよと言われても、予測すべき側の者たちは彼ら新時代の若者が軽蔑してきた「団塊の世代が中心だった頃」の人たちが主力ではなかったのか。だが、その時代は間もなく終わり、遠からず我々後期高齢者には想像も出来ない新時代の精鋭が世の中を支配するようになっていくだろう。だが、その連中ですら「コインの裏側を読み切れなかった」と嘆くような時代も直ぐにやってくるだろうと私は考えている。Facebookだか何処かが「脳の動きを読み切って文字にして打ち出すシステムを作った」と報じられている時代だ。

だが、心配する必要はないのだ。我々はその頃にはこの世にはいないのだから。

英語は易しい言葉を使って表現しよう

2017-04-21 08:51:40 | コラム
易しくて簡単な言葉で言えば:

“Are you all right?”
解説)「大丈夫ですか」なのだが、色々な場面で使える。体か体調の具合を尋ねることも出来れば、何か物事が上手く行っているかを確認も出来るという具合で、便利な表現。心配しているのだったならば、そのような感情を込めて言えば、相手に伝わるだろう。”Are you in good shape?”などという言い方もある。

“It is not my true wish to see him fail.”
解説)「私は心から彼が失敗すれば良いと願っていた訳ではない」なのだが、何となく回りくどい言い方だ。だが、この日本語の方を見せられて、これを英語で言って見ろと言われれば七悩むだろうと思う。”to see him fail”を入れ替えれば、色々な表現が可能になる。”It was not my true wish to visit Washington D.C. during my first trip to the United States of America.”のように。

“It’s my turn. Not yours, Donald.”
解説)「僕の番だぜ。君の番じゃないよ。ドナルド君」とでも言おうか。ここでは、”turn“は「順番」の意味で使われている。「回転」ではない。順番が回ってくると考えれば解りやすいか。

“This is strictly between you and us.”
解説)「この件は貴方と我々だけの間の秘密事項だ」で良いと思う。これも日本語から英語にしろと言われると難しいと思う。”For your eyes only”などというジェームス・ボンドの映画の題名があった。これ以外にも”Don’t use this against me.”などとも言うし、”Don’t let this matter go out of this room.”などというのも聞いた記憶がある。厳しい内容だから、誰も誤解しないように簡単な言葉で言うのかなと思って聞いた。”Strictly confidential”なんていう堅苦しいのもある。

“I’m concerned but not worried about that issue.”
解説)「この問題点について気にはしているが、未だ心配するところまでは行っていない」とでもなるだろうか。ここでは”concerned”と”worried”の使い分けを示したつもりだ。英語とは極めて理屈っぽい言語だから、このような使い分けに注意する必要がある。

“We don’t see much of Americans here in my neighborhood, these days.”

解説)「我が家の近所では近頃あまりアメリカ人を見かけない」なのである。”neighborhood”は少し難しい言葉かも知れないが”vicinity”とともに「近所」を表す。この言葉を知らなかったか、思いつかなければ”in this area where I live”とでも言えば通じるだろう。ここでの肝は”much of”で、”not”とともに使えば「あまり~しない」となる。他には既に述べたが”not much of a salesman”といえば「あまり大したセールスマンではない」となる。”salesman”を入れ替えれば色々と使えるのは言うまでもないこと。

“She is a talkative person.”
解説)”talk”の後に”ive”を付けると「話し好き」になる。「おしゃべり」だという意味にも使えるようだ。

“Hold this umbrella for me a minute. Will you? Thanks.”
解説)これは実際に経験した会話。「一寸この傘を持っていて頂戴。有り難う」なのだ。最初は命令形だが”Will you?”となって依頼する格好になった。この”Will you?”が英語の微妙なところで、やや高圧的に入ったかのようで、チャンとお願いになっている。後に”please.”を付ければもっと良いだろう。こういう言い方には屡々であったものだった。ということは、こういう言い方が自在に使えるようになれば格好良いのだ。

もしかして、既に使ったような表現があったかも知れないが、今回は易しくて簡単な言葉を特集したつもりなのでご理解賜りたい。