新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月28日 その2 日本シリーズ第一戦観戦記:

2018-10-28 14:51:30 | コラム
熱戦だったのは良かったが:

27日は広島対ソフトバンクの日本シリーズ第一戦を見ていたのは良かったが、余りの熱戦で引き分けに終わったのが11時過ぎだったのには参った。ご本家のアメリかではDodgers対Red Soxのウワールド・シリーズが18回までやって決着を付けたのと好対照だった。TBSの「喝」の時間にゲストで来た金田正一が「決着がつくまでやるべきだ。それにつけてもアメリカのファンは辛抱強い」と言ったのも面白かった。

一寸本筋を離れた昔話になるが、高校1年の頃だったかと記憶する事を一席。我が1組が校内の組単位対抗の野球大会で優勝したことがあった。我が組には甲子園で優勝した時の野球部員が4人もいたので強かったのは当然だが、何故か軟式野球の大会だったにも拘わらず硬式野球部員の出場が認められていた。その中の一人が甲子園でも三塁手だった脇村春夫君だった。彼は後年高野連の会長まで務めた東大出身者である。

校内大会では脇村君がいた為に、素人野球の三塁守備の名手だった当方は一塁に行くように脇村君に言われた。何事につけても生真面目な彼は、全員を守備位置につけた練習までやったのだった。そして一塁手だった私にはワンバウンド等の悪送球を捕る練習を強いた。そして厳命したことは「捕れそうもないと判断した悪送球が来た場合にはベースに拘らずに、送球が後ろに転々としないことを優先せよ」だったのだ。アメリカからの帰国子女だった彼はこのような基本から教え込もうとしたのだった。後年「流石に脇村だ」と思ったことだった。

の後逸しない原則というか常識を守れなかった松山がいたことが、広島が勝てる試合を引き分けにしてしまった原因があったと思っている。松山のあの悪い判断が好投していた大瀬良の力投を無にしたし、ソフトバンクに「やらずもがな」の2点目を献上する結果になった。守備の名手である菊地の送球も2バウンドしてはいたが、瞬時の判断で後逸を避けるべきだったと思って見ていた。イヤ、「捕れなかったのは下手だったから」と指摘した方が早いか。

その点を除けば両軍とも俗に言えば「好投・好守・好打」が連続した試合で流石に両リーグを代表して出てきただけのことはあると思わせてくれた。特にソフトバンクの育成出身という甲斐という捕手は出色で、2回も好走塁で鳴る広島の盗塁を阻止したのは立派だった。立派だったとは褒めるが、甲斐がいると知りながら2度も盗塁を狙った広島の作戦は理解不能だった。

ではあっても良く考えて見れば、両方であれだけの数の投手を出して精々2回程度までしか投げさせないのでは、如何に強打を誇る広島もソフトバンクも2点までしか取れなかったのも無理はないと思う。緒方と工藤の両監督は2戦目以降の為にジョンソン、九里、野村、バンデンハーク、東浜、中田等を温存したのだろうが、もう少し活気がある打ち合いになった方が見ている方は楽しいのだと思わずにはいられなかった。

ソフトバンクは「あんな奴に打たれる方が悪い」と酷評したデスパイネや松田を先発で使わずともあそこまでやれるのは選手層が厚いことの賜物かと思って見たが、広島ではシーズン中から打てないことが目立った田中広輔がさっぱりで、野間も安部も余り役に立っていなかった辺りに一線級との差が目立ったし、相対的に選手層の薄さが見えた気がした。この試合は最初からどちらが勝つのかサッパリ閃かなかったが「引き分け」に終わって、閃きが当たったという気がした。しかし、シリーズ全体では何れが優勢かは未だ見えてこない。


私が怖れていること

2018-10-28 12:02:24 | コラム
難民が押し寄せるのでは?:

専門家や消息筋は「トランプ大統領は中国とは貿易戦争どころか、徹底的に中国を叩き続けるだろう」と観測している。それは結構なことだとは思って聞いていた。そこに去る20日に聴いた前産経新聞副社長の斉藤勉氏の講演では「アメリカは中国が倒れるまでやるだろう」とまで言われた。「倒すまで」という予測である。

今や世界の対立はアメリカ対中国となってきたのであるし、何事に付けても unpredictableであるトランプ大統領のことだから、何処まで中国というか習近平というべきが知らないが、どのように叩き続けられるかなどは予測の限りではないと思う。それを別な角度から見れば「アメリカが勝つ」ということに繋がっていくと思って良いと、私は考えている。

悲観論者の私の危惧することは、未だそこから先にあるのだ。13億だが14億だか知らないが膨大な人口を抱えている中国からは常に絶えず多くの者どもが外国に流出している。その流入に音を上げたオーストラリアだったかは中国からの移民の受付を制限したと聞いた記憶もある。その頃の中国は日の出の勢いで経済成長を続けており、遂には我が国を追い抜いてアメリカに次ぐ世界第2の経済(と軍事の)大国に成長したのだった。

だが、現在は話が違うのだ。トランプ大統領は何事においても前任者のオバマ大統領がやったことを潰しにかかっておられるので、中国の扱い方も全く斬新なものになってしまった。個人的には「中国叩くべし」には大賛成だが、一寸待って頂きたいのは「叩かれた後に中国の経済が破綻した場合には、壊れかけた泥船から脱出しようとする難民がどれほどいるか」であり「難民が何処を目指すのか」なのだ。

上記のように既に門を閉じた国もあるのでは、彼ら難民が目指しそうな先の第一候補は我が国となるのではないかと私は懸念するのだ。しかも、お人好しの我が国は中国からのお客様にはヴィザなしという制度まで実施したので、つい先頃は「爆買い」などという恩恵にも浴した先もあった。それも一段落した現在では、つい先頃も指摘したように「人品骨柄卑しき」連中が大量に我が国を「観光のみ」に訪れているのだ。

換言すれば彼らは「我が国が如何に物心共に優れているか。如何に治安が良いか。如何に豊かであるか」を十分に味わっているのである。即ち、我が国ほど甘いところはないと熟知する機会を、こちらから自発的に準備してやったのと同じ状態なのである。彼らは遠すぎるオーストラリアよりも、日和見の韓国よりも、不安定かも知れないDPRKよりも、我が国を選んで押し寄せるのではないと怖れているのだ。

しかも、我が国には新しきは北池袋のような中国人街が出来ているし、横浜にはアジア最大級という中華街もある。現に新宿区のように総人口の12%が外国人で、中でも中国人が最も多いというところもある。それにDPRKによる拉致で明らかになってしまったように、日本海沿岸の警備は誠に手薄なようである。アメリかではトランプ大統領が既にメキシコとの国境の壁を造ると宣言されたように移民対策は怠りないようだ。一方、我が国では若年の労働者不足で移民導入を検討中とあれば、法律などには無関心の中国からは「絶好のチャンス」と捉える向きがあるのではないか。

私はそれほど遠くない将来に中国がアメリカとの貿易(経済)戦争に疲弊して大量の失業者が出てくる時が来るのではないかと怖れているのだ。勿論、かかる危惧が杞憂に帰して欲しいとは思っているが、ここ新宿区に増え続けている中国人の若者を毎日見ていれば、彼らが「日本良いとこ、一度はお出で」と華為のスマートフォンででも発信しているのではないかと怖れているのだ。こうは言っても、この地区に来たこともない方には解らないだろうなと懸念している。何度も言ったでしょう「我々が少数民族となってしまった」と。


あーあ、大坂なおみさん

2018-10-27 08:46:07 | コラム
折角世界のランクが第4位まで上がったが:

我が国の多方面からの期待を担って大坂なおみさんはテニスの大試合「WTAファイナルズ」に出場した。結果ら言ってしまえば、まさかの三連敗で遺憾ながら次の段階には進めなかった。私はあのプロテニス界での短い経験と20歳という年齢であそこまで上がっていったのは立派であり、今回の言わば予選落ちを恥じる必要はないとは評価してあげている。

しかしながら、私は大坂なおみがUSオープンを制覇してしまった時には、未だその実績と実力については半信半疑だった。事実、その直後の9月18日には以下のように「大阪なおみが心配だ」と題して疑問を呈していたので、あらためて再録してみよう。

<引用開始
“明日彼女は東レのトーナメントに出場するそうだが、心配性の私は一寸気懸かりなのだ。そこにいくつかの理由があるが、先ずはマスコミの持ち上げ過ぎと騒ぎ過ぎを挙げたい。恐らく彼女は日本語の新聞は読むまいし、読めないだろうが、新聞とテレビ各局の持ち上げ過ぎは気になる。あの女性は年齢の割に落ち着いているように見えるから自戒する余裕があるのだろうが、あれだけ方々に出演して特集されれば「ひょっとして自分は偉いのでは」と錯覚を起こすことがありはしないかと懸念している。

私事で恐縮だが、1994~95年にかけて「アメリカの製紙会社の実力恐るるに足らず」であるとか「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の違い」を業界内等方々で講演して回っていた時にもっと恐ろしかったのは、行く先々で「先生扱い」して頂くことだった。自分はそれに相応しくないと心得ていたし且つ自戒していても、一寸気が緩めば、のぼせ上がりそうになるし「もしかして俺も大物だったか?」などと思うこともあった。しかし、60歳を超えた私は何と踏み止まることが出来た。

その持て囃され方のように、過剰に「チヤホヤ」されることが怖いのである。それは「人は思いきり煽て上げられれば、誰にでも自惚れてしまう危険性があるという意味」なのだ。故に、なおみさんが何処までその褒めそやし攻勢に耐えて自分を律しているかにかかってくるし、Sasha Bajinという精神面の指導にも優れたコーチが付いているそうだから、その点は上手く切り抜けていくだろうと期待している。

次は忌憚のないところを言うが、私はあのUS Openでの優勝が「出会い頭」的と言うか実力以上の出来ではなかったと危惧しているのである。私は確かに彼女には人並み以上の素質があるとは認めるが、あの表舞台でそれまでの限られた経験で、世界的な大試合で優勝出来るだけの本当の力が備わっていたのかという疑問を抱いているのである。私が常に述べて来たように勝負には運・不運はあるが「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」なのである。「勝った者が強いのだ」が大原則だが、大坂なおみが勝ってしまったところには、実力以上の運があったのではなかったかなという疑念である。

確かにセリーナ・ウイリアムスは要らざる不当な感情の赴くままの抗議をした。その為に1ゲームを失ってしまった。それが勝敗に大きく影響したのも確かだと思う。そういう幸運を引っ張り込んだのが大坂の実力と「運」だったのか、出会い頭だったかはテニスを知らない私には不明なのだ。但し、間違いない事実は「あの幸運の1ゲームを活かして、運を自分の味方にしてあのセットを勝ち取ったのが大坂なおみの実力だったのかも知れない。私が解らないのは『あの時点で本当にUS OPENを獲ってしまう実力があったのか』」ということ。

次なる心配事というか期待は「東レのトーナメントでどのような試合をして何処まで勝ち上がっていけるか」なのだ。それ即ち、あのUSOでの優勝が出会い頭だったか、本当の実力が付いた成果だったかが明らかになるということだ。恐らく参加する世界2~4位のランクにある連中は「ポッと出の若者を叩いて目に物見せてやろう」とばかりにかなり力を入れて当たってくるだろう。「出会い頭であったか否か」は、そこで何処までやれるかで明らかになるだろう、非常に怖いトーナメントであると言うことだ。

勿論、彼女にはバイン・コーチを始めかなりの人数の所謂スタッフがついているので、それくらいのことは良く解っていて、それに対する備えが出来ていなければならない。私の心配事は「帰国(なのだろう)以来テレビ等のメデイアに引っ張り回されて十分な練習の時間が取れていたのか」なのだ。テレビは録画で撮りだめしたとは思っているが、その辺りの調整が上手く出来ているのだろうと希望的に考えている。要するに、下手な試合をするとUSOの勝者の鼎の軽重が問われる結果になるのだ。“
>引用終わり

という具合でかなり大阪なおみの実力を不安視していたし、マスコミが常に報じているような精神的な不安定な要素があって、その辺りをバイン・コーチが適切に指導し、助言を与えているようだ。余計なことだが、マスコミの間抜けはバイン・コーチを「サーシャ・コーチ」と表記することが多いが、サーシャ(=Sasha)は名前であって名字ではない。何時になったらこれくらいのことが解るのだ。バイン・コーチと呼ぶのが正しいのだ。

WTAファイナルの結果に戻れば、私は「大阪なおみの実力が未だこの大会に出てある程度以上の成績を収める段階には到達していなかったのだろう」と見ている。それに1戦目か2戦目で負傷したという報道があったが、これも実力のうちで大きな試合が続いた結果で体力が追い付かずに故障したのだと察している。きついことを言うが「怪我をするのもも実力のうち」なのである。古い言い慣わしに「無事これ名馬」というのがある。連戦を乗り切る体力と体格を作り上げるのも実力のうちである。

彼女には未だこれから先の長い将来がある。一層の技術を磨くことも勿論肝要だが、身体能力と体格と精神力を鍛え上げることも重要な課題となるのだ。取り敢えずは来年の期待しよう。


我が国の英語教育の問題点

2018-10-26 15:03:28 | コラム
矢張り我が国の英語教育には問題がある:

四大私立大学の学生は:

「“swearword”って何ですか」と言ったのだった。卒業後には海外の去る著名な競技の本部に就職したいという希望があるという壮大な希望を持つ学生を紹介された時のことだった。彼はその為には兎に角英語の力を付けねばならないと自覚していた。紹介者は「英語の力を試してあげて欲しい」と言われたので、試しに「“swearword”とはどういう言葉を指すか承知しているか」と尋ねてみた。やや意地が悪い質問であり、学校教育では教えていないだろうとは解っていた。

矢張り、キョトンとした表情で「何のことですか」が答えだった。そこでもう一段突っ込んで「スラング(=slang)との区別が付けられるか」とやってみた。解っていないだろうとは解っていたのだが。スラングは兎も角、swearword(=汚い言葉)はある一定以下の教養しか身に付いていない人たちや、そういう言葉を日常的に多用する階層の者たちと交流があると、自然に覚えて使ってしまうものなのだ。それは自分から「私は無教養です」と名乗りを上げているのと同じで、私が常に用いている表現の「支配階層の仲間入りは先ず不可能」となるのだ。

私には最早最近の中学から大学までの英語教育がどのようになっているかの実態を知る機会もないが、こういう語法があることを教育課程の何処かで教えておくべきだと思っている。そうしておかないと、何も知らずにアメリカでもUKにでも「語学留学」などと称して出掛けていった場合に「それが使っても真似てもいけない言葉である」とは知らずに、私が使うなと指摘して来た“you know”と同じように「これは便利だ」とか「何となく格好が良いな」と思い込んで真似て使ってしまう危険性が高いのだ。

始めから「swearwordは使ってはならない」と知らされていれば真似てしまう危険性も薄らぐとは思うのだが。しかも、困ったことに、我が国では未だに「俗語」か「隠語」か「符丁」である“slang”を、汚いか下品な言葉(swearword)と錯覚を起こしている人たちが多いのである。私はスラングは「汚い言葉」とは違うというような教育を学校でしておくべきだと信じている。でも、教えるべき先生方がハッキリとご存じでなければ、どうにもならないだろうが。

アクセント:
先頃の世界ヴァレーボール大会でのことだった。試合開始前に厳かに対戦する両国の国歌が演奏されていた。その際には「国歌演奏につき全員ご起立を」と英語のアナウンスが流れる。ここでは「細かい揚げ足を取るな」と批判されそうなことを言うが、英語では例えば“National anthem of Japan”のように言う。この表現自体には何の問題もないのだが、アクセントの付け方が困るのだ。それは男性の声でのアナウンスでは、“of”にハッキリとアクセントを置いてしまっていた。これはアメリカやUKなどの支配階層には軽蔑されかねないアクセントなのだ。

私が敢えて指摘したことは「“of”は前置詞であるからアクセントを置いて発音しない方が普通に教養がある階層の英語」であり、精々聞こえるか聞こえないくらいに「オフ」か「フ」程度に言えば十分なのである。あの男性のアナウンサーのように声高らかに「ナショナルアンセム・オブ・ジャパン」とはしない方が教養のほどを示せるのだ。このようなアクセントの付け方は中学校辺り(いや、今日では小学校か)で、初めて英語を教える時に正しく仕付けておかないと身に付かないのである。ましてや、それが教養の程度を示すことになるとは、子供たちには想像も出来ないだろう。

このような教育がキチンと出来ていないからこそ、JRを始めとする多くの鉄道会社の車内放送に、クリステル・チアリのような出鱈目なアクセントを付けた英語を流して恥じないのである。それは何度の指摘したし、海外に住んでおられるある同胞の方も帰国された際に「“Please change your trains here for 何とかかんとかライン.”のような場合に、アクセントを置いてはならない “for”を「フォーア」のように言っているのは異常だ」と厳しく指摘して下さった。私は彼女の発音は国辱的な英語であると何度も指摘したが、彼女を起用する鉄道会社は増える一方だ。英語教師の方々の奮起を促したい。

文法:
TOEICなどなしょうもないテストに現を抜かしている暇があれば、もっと正確に誤りがないような文法の教え方をすべきだと敢えて言っておきたい。小売店や食堂等で「営業中」と言いたくて“OPEN”というカンバンをぶら下げておくのは良いが、未だに多い誤りに「閉店」と言いたくて“CLOSE”という札を下げている店が多いのは、何とも情けない文法教育の至らなさだろう。既に「閉じている」のだから過去形の“CLOSED”となるべきだという最低限の常識が解っていないのが悲しい。

それともう一つに「午前10時」と言いたくて“AM 10:00”というように日本語の語順でAMを前に持ってきているカンバンが誠に多いのだ。この辺りも、学校教育の英語で「初歩の初歩」として叩き込まれているべきことではないのか。間違っているという点では、“GRAND OPEN”と同じである。“open”では動詞の原形であって、ここでは動名詞(=gerund)にして“OPENING”とした方が良いのだ。


NPBのドラフト会議

2018-10-26 07:55:44 | コラム
意外なほど正直に評価が現れていた:

昨25日のプロ野球のドラフト会議はTBSがご丁寧に一巡目を中継放送していたので、ある程度の興味を持って見ていた。「意外なほど」と言ったのは、かの金足農業高校の大英雄・吉田輝星投手が外れ一位になるまで指名されなかったことを指しているのだ。と言うのは、私は彼が決勝戦まで善戦健闘し一躍高校どころか我が国の野球界に名を馳せたのを見ていたが、遺憾ながらマスコミが騒ぎ立て持ち上げるほどの素材ではないという評価をしていたからである。

より具体的に言えば、「来年からプロ(日本ハム)に行って、然るべきチャンとしたプロの指導者に教えられれば、投球とは何かという技術が身に付いてくる可能性があるだろう」という意味だ。私が甲子園で見た限りでは制球力、特に低めへのそれが整っておらず、そもそも高校生としては球速があるので、相手の打者が高めのボール球を振ってくれていたという利点があった。だが、あの時点ではそれまでのことで、自分の都合だけで投げているので、投球術は未だしという段階だった。

要するに、私は「即戦力などにはほど遠く、球が速いだけの素材」というところと評価していただけなのだ。私は当初の案だった大学進学が適切だと見ていた。プロのスカウトたちが一巡目で指名しなかったのは見るべきところは見ていたのだと思った。現に、一昨年あれほど騒ぎまくった甲子園優勝投手の今井や、藤平、高橋、堀、野手では平沢等々が、現在どの程度の位置付けにあるかを考えて見よと言うこと。今回のドラフトでは多くの球団が将来性を買って高校生に集中したのかと思っていた。

プロのスカウトたちは見るべきところを見ているなと思わせられた例に、大阪桐蔭の甲子園優勝投手柿木がいる。私はこんな程度の投手で甲子園で優勝できるのなら安いものだと思って柿木を見ていた。確かに一応球は速かったが如何にも体が固いので、将来ものになるかどうかは疑問だと思って見ていた。だからこそ、日本ハムはドラフトの5位で獲ったのだろう。

最後に4球団だったかが競り合った大阪桐蔭の根尾を採り上げよう。私はへそ曲がりだからマスコミが騒ぎ立てるほどの素材かどうかは疑問に思っている。「守備が上手いの、150 kmの速球を投げるの、二刀流も可能か」と囃し立てるが、私はあの体の大きさでは精々ショートストップが良いところではないかと評価している。私には根尾君の技術と体格は高校の水準以上のものではないのではないかとして見えないのだ。第一、中日には先客で京田がいるではないか。身長が177 cmでは何れ無理が来るだろう。