新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

NPBのクライマックスシリーズに一言

2023-09-23 07:18:25 | コラム
「今年は省略しても良いのでは」という意見が:

何事にも精通して一家言がある元商社マンは「今年はクライマックスシリーズ(CS)を実行したら、タイガースとバッファローズが可哀想では」と指摘していた。その意味は「これらの2球団だけで日本シリーズを開催せよ」なのだ。極めて尤もな意見であると受け止めた。言うまでもない事だが、両リーグを制覇した両者は共に2位を10ゲーム以上も引き離した圧倒的な優勝だった。

一方では、セントラルリーグで3位のベイスターズを懸命に追っているジャイアンツがタイガースに何ゲーム離されているかを見れば、もしかしてジャイアンツがファイナルシリーズでタイガースと対戦することにでもなれば、「それって矛盾していない」と言いたくなる人は大勢出てくるのではないだろうか。パシフィック・リーグでも3位ホークスをイーグルスが急追している。

私とても、NPBが最終的なシリーズを盛り上げて興行的にも成功させて、NPBの人気の高めようと企画したシリーズであることくらいは認識している。だが、シリーズに出場する条件をもっと細部にまで取り決めておけば、今シーズンのような事態が発生した時に解りやすい姿勢で対応できたのではないかと言いたいのだ。設定された条件の詳細まで明らかにされていないが、「このような事態が発生した時には」という設定がされていたのかという疑問である。

例えば、「優勝ティームが2位を10ゲーム以上引き離した場合」を想定して、優勝ティームのみが日本シリーズを戦うと定めておく、あるいは「優勝ティーム以外の2か3位のティームの勝率が5割に達していなかった場合」を想定して、その時は出場資格を与えないと規定しておいたら如何かという事。選手たちは常に「野球では次に何が起きるか解らないのだ」と言っているではないか。何事でも「もしも、こうなったら」を想定しておく必要があるのだ。

という次第で、元商社マン氏の意見に話を戻せば、今季はタイガースとバッファローズの関西のティーム同士の日本シリーズにすれば、それ相応の人気が想像以上に高まるので、興業の面でも大成功になるのではないのか。どちらが優勝しても関西地方での優勝記念大売り出し等で景気振興の役に立つことは間違いないだろう。両球団とも百貨店がグループ内にあるのだから。

9月21日の「報道1930」より

2023-09-22 07:33:46 | コラム
TBSも捨てたもんじゃないかと:

話題が「神宮外苑の再開発計画」と承知していたので、このICOMOSから横槍を入れられた案件を、松原耕二がどのように裁くかに大いなる関心があった。正直に言えば「この問題の実態がどのようなものかを全く知らなかったので、寧ろ勉強になるか」とすら考えていた。実際には大いに勉強できた次第だった。

大袈裟に言えば「知らないことばかり」だったのには、恥じ入るべきかとすら考えさせられた。同時に、この件については余りに実態を伝える報道が少なかったのではとも認識できた。非常に微妙な問題だと知らされた点は「政教分離」で明治神宮(内苑)と外苑を管理・運営せざるを得ない立場になった明治神宮がその費用を捻出せねばならなくなったので、再開発に乗り出したという事だった。

1994年1月末までは青山一丁目の交差点にあった事務所に19年も通っていたし、その後には伊藤忠商事とも縁があったので、あの銀杏並木の美しさと、そこに並ぶ洒落たレストランも利用していたのだった。再開発計画の一部でその並木をいくらかでも伐採するかのような報道があった時には「由々しき問題だ」と受け止めていた。だが、不勉強にしてあの慣れ親しんでいた広大な外苑を管理運営しているのは「お国」なのだろうと思い込んでいた。

だが、昨夜この番組に出演された専門家の方々のご意見と解説に加えてTBS側の調査結果などを聞けば、宗教法人(なのだろう)明治神宮が内苑と外苑にある膨大な数の樹木を維持管理するのに100億円の年収の10%を要するので、その経費を賄う増収が必要になったという事のようだった。その為に100年も経過し古物化した神宮球場を作り直し、広い軟式野球場をテニスコートにする等々の再開発案になったのだそうだ。

初詣なることはしない主義の当方は、明治神宮には2~3度踏み込んだだけであるが、あの鬱蒼と茂った広葉樹の森を誰がどうやって管理しているのかなという程度の関心を持つようにはなった。それは明治天皇が祀られている以上「お国」の仕事だろうと勝手に決めていた。とは言っても、長年都民というか国民というのか知らないが、慣れ親しんできた景観を変えて高層建築まで導入することが適切かどうかと訊かれれば「疑問では」と言いたくなってしまう。

昨夜の「報道1930」には、都心に存在するあれほどの面積の維持・管理・運営を、宗教法人に任せて(丸投げか?)いた政府というか国家には再開発案についても「関知せず」で良いものなのかなと考えさせられた。個人的には、変えられてしまうのには賛成できないが、あの時代遅れとしか言いようがない神宮球場の建て直しには賛成したい。だが、あの外苑に高層建築という案も景観の破壊という前に突飛すぎて何と言って反対すべきか迷ってしまう。

ICOMOSが意見を寄せてきたのも、昨夜の専門家の解説を聞けば故無しとも思えない。明治神宮と三井不動産等に全権委任ではなくて、政府からも「政教分離」は一時封印でもして、環境と景観についての何らかの建設的な見解を差し挟んでも良くはないかと考えるに至った。我が東京事務所に駐在していたアメリカ人は遠来の客を案内した先は、あの絵画館と外苑と明治神宮だった。彼は言った「浅草や銀座だけが東京で見るべき場所ではない」と。

「松原耕二も偶にはやるじゃないか」という辺りが、昨夜「報道1930」を見ての偽らざる感想なのだ。


岸田内閣の支持率が低下

2023-09-21 07:31:46 | コラム
岸田総理とその内閣にはしっかりして貰わないと:

昨20日夜は田崎史郎氏と岩田明子さんが出演されて、岸田内閣を語るPrime Newsと、NHKのBSが中継していたバッファローズ対マリーンズの野球を掛け持ちしていた。関心は政治を専門とされるジャーナリストが岸田総理とその内閣をどのように査定しているかにあった。お二方の見解を勝手に纏めてみると「激励の喝」だったと言って誤りではないと思っている。

当方はそもそも岸田文雄という方には殆ど何も期待していなかったので、何か目新しいか少しでも国民の生活に好影響をもたらす事柄を成し遂げて貰えれば「良かった」と評価する程度に止めている。総理は元外相の経験を活かされて、海外での積極的な行動に注力しておられるが、この点についてはジャーナリズムが言う「外交は票にならない」が(意味は違うかも知れないが)当て嵌まるように思えてならない。敢えて言えば「評価の対象になりにくい」のでは。

岸田総理の政治姿勢で不満な点を挙げてみれば「自分から『素晴らしい』と評価されるような案件を自発的に取り上げて、積極果敢にこなして行かれるのではなく、『これは何としても抑えておかねば』か『この点には有権者が悩まされているので解決せねば』という具合で、多くの場合に『為さざるを得ない』という受け身の姿勢から打って出られていること」なのだ。

福島の処理水の放出にしたところで、期限を決めてその通りに実行されたことは評価して差し上げねばならない立派な業績である。高騰するガソリン価格を抑える手を打たれたのも良いことだろう。尹錫悦大統領と親交を結び韓国との関係を好転されたのも立派な業績だろう。賃金もようやく上昇傾向にあるが、これは安倍内閣時代からの懸案だ。その他諸々あると思うが、私の目には何処となく「叩かねばならぬモグラ叩き」の動きのように見えてならないのだ。

総理は「聞く力」を強調して来られたが、何かを聞かれてその点を現実のものとして具現されたとの報道がないように思えるのは何故だろう。昨夜、田崎氏は「『聞く力がある』とは言われるが『聞かない力』の持ち合わせがあるという点では、非常に頑固な方だと総理周辺では言われている」と指摘しておられた。

私には「何か一本の厳然たる背骨が通っているというよりも、時と場合によって数本の背骨を立てて事に当たっておられるように見えて、一貫した強固な政治姿勢が見えない」ように思えてならない。その為に一般の有権者の心に響くも要素が乏しいので、世論調査なるものにかけてみると支持率が低迷してしまうのではないかと思っている。

それならば「貴殿は岸田内閣を支持しないのか」と問われれば「支持している」と答える。理由は簡単明瞭で「故安倍晋三元総理がいみじくも喝破された『悪夢の民主党政権』ではないから」に尽きる。岸田総理は叩くべきモグラを叩くのではなく、ご自身が成し遂げたいと思っておられるのだろう「国民の為になる政治」を強行して貰いたいのだ、木原誠二官房副長官無き今だから。

余談になるが、オリックス・バファローズが見事に三連覇を成し遂げて、中嶋聡監督が胴上げされる場面も抜かりなく見ることは出来た。


9月20日 その2 大谷翔平君が再度の手術を受けた

2023-09-20 09:27:01 | コラム
この手術をしたとのニュースを聞いて:

彼の決断というか割り切ったことはとても良かったのだろうと思った。そこで、例によって例の如くにマスコミ報道を批判したい。それはついさっき聞いた羽鳥慎一も「手術が成功した」と言ったし、Yahooニュースで見たスポニチでも「成功」となっていた。

この「成功」を何故非難するのかと言えば根拠は二つある。一つは今日までに家内が3度の手術を受けてきて、手術を終えて出てこられた医師で「成功しました」と言われたことなどなかったからだ。あれは「テレビドラマの中の絵空事だ」と解釈している。これまでに医師が言われたことは「無事に終わりました」が普通で、時には「手術は上手く行きました」という意味のことを聞かされた記憶がある程度。「成功しました」は聞いたことがない。

次は手術が無事に終わっても、医師が「その効果が順調に発揮されて、直ぐに回復して退院できます」という保証はされないのだと理解している。人の命を預かるお医者様がそう簡単に「成功しました。もう大丈夫です」と、患者の親族に告げられるとは思えないのだが、テレビドラマでは常に「成功しました」という筋書きになっている。私は「この台詞は疑問である」と言いたいのだ。現に6年ほど前の手術は無事に終わっていたが、退院までに55日を要していた。

長々と述べてしまったが、私は大谷君の手術が成功することを願っているが、昨日の今日で「成功」というのは勝手だが、正確な記述ではないのではと指摘したいのだ。勿論、そこには希望的観測もあるだろうし、視聴者を安心させる目的もあるだろうが、軽々に言わない方が良いのではと考えて批判したのだ。



山手線車内放送の英語に物申す

2023-09-20 07:28:02 | コラム
あのクリステル・チアリの英語は:

先週のことだったが、約2ヶ月振りに山手線をほぼ一周してきた。この車内でイヤでも聞こえてくるクリステル・チアリさんの車内放送は、15年以上も昔のことだったが「是が非でも止めるべきだ」と指摘してあった。だが、私がいくら批判してもJRに届くこともなかったようで、未だに続いているし、民間の鉄道会社でも彼女を採用しているようだ。

彼女の英語の質は親しくしている英語を正しく理解している方々の間でも厳しく批判されているし、「国辱的だ」との声さえ上がっている。私はその英語の問題点を渡部亮次郎氏主宰のメールマガジン「頂門の一針」に投稿して採用された。それを読まれたアメリカ在住のご夫妻が一時帰国された際に聞かれて「指摘の通りで酷すぎる」と寄稿していただけた。

この問題点はUK出身の音楽評論家、ピーター・バラカン氏(Peter Barakan)もその著書の中で「発音とイントネーションの不自然さ」を指摘しておられたと承知している。この指摘は誠に尤もだと思って受け止めているが、私が指摘してきた欠陥は、彼女が前置詞に要らざるアクセントを付けて発音する点なのである。

これが宜しくないことは、上智大学で千葉勉教授に「そういう発音をすると無学で教養がないと看做される」と厳しく指導されていた点なのである。チアリさんは日本生まれのフランス人だと理解しているが、何処でそのような英語を教えられて育ったのかという点が大いなる疑問なのだし、それを知らずして起用してしまったJRを非難したのだった。

それでは「何処か問題なのか」を10数年前と同じように指摘しておこう。それは”Please change your trains here for the Tokyu-Line.”のような文章で”for”にアクセントを置いているだけではなく「フォーア」のように発音している点なのだ。正しくと言うか正調の英語では「前置詞にはアクセントを置かずに『フ』程度に発音しておくこととされている」のである。また、動詞の前の”to”なども同様にアクセントは付けずに”t”だけで充分なのだ。

彼女はこのような基本を教えられなかったのか、知らずに育ったのだろうと思う。上記の一時帰国されたご夫妻は「フォーア」と声高らかに発音するのを聞かれて恥ずかしかったとまで批判しておられた。敢えて言うが、これだけではなく、文章全体を聞いていても抑揚の付け方はおかしいので、聞かされている方が辛くなってくるのだ。だが、JRで担当された方はわが国の学校教育を経てこられたのだろうから、このような問題点を聞き分けるのは無理だっただろうと寧ろ同情している。

私は敢えて取り上げておくが、「英語にも(というのは日本語にも格調が高いか低いかはあるのだから)品位の問題もあれば、育ちもあれば、訛りもあれば、発声の問題等々がある。これらを総合して「どれが正調で、あるべき姿かを一概に決めつける訳にも行かない」と認識している。そこには”you know”を差し挟んでは下層と看做されることもあるし、汚い言葉(swearword)を使うことなどは、ビジネスの世界などでは絶対に許されないのだ。

そういうことを「試験の為の外国語(英語でも良いだろう)の教育に重きを置いていると見える我が国の教育では、これらの事柄を教えてもTOEICのような試験の役には立たないとされている」のではないだろうか。クリステル・チアリさんがどのような教育で英語を学んだのかは知らないが、明らかに品位を伴わない英語を話す人たちに教えられたという結果が出ているではないか。

私はこれまでに何度も指摘してきたことは「誰が何の目的で、何処でどのように使いたいかを充分に弁えてから、外国語を深く追求するのが良いだろう。その為には先ず基礎と基本をキチンと固めておくことが肝要である。幼稚園児にいきなり大学院で学ぶようなことを教えても効果は上がらないのだ」なのである。今からでも遅くないから、チアリさんに「forを強調するのは宜しくないですよ。貴方の教養の問題です」と忠告(「アドバイス」ではなく)して上げたら如何だろうか。