雑誌を読書。
『Quick Japan vol.175 齋藤飛鳥 詩を紡ぐ身体』
を読んだ。
齋藤飛鳥さんの特集。ご自身へのインタビュー二本と、関係者10人へのインタビュー、そしてアート性のあるフォト、トータル90ページといった構成だった。
乃木坂46卒業公演から約1年半が経つころの企画。齋藤飛鳥さんは、今、何を考えているのか。使い古された言葉だけれど、彼女の「現在地」をフレームに収めようという努力の企画である。もちろん、フレームに収まりきるはずがないし、フレームに向けてさらけだすタイプでもない。
共感を抱くような考え方がしばしばでてくる。これはちょっとうれしい。でもそれは、僕が大好きな乃木坂46、そして気になり続けた齋藤飛鳥さんから、意識的にも無意識的にもさまざまな影響をたくさん受けた結果、僕のほうが似たということなのかもしれない。別々の者たちが、ふたを開けたらいろいろと偶然に似ていたというよりも、知らずに彼女たち乃木坂46の、そして齋藤飛鳥さんの考え方や感じ方へと僕のそれらが寄っていったのだろう。
齋藤飛鳥さんは、「乃木坂46の齋藤飛鳥」にしても、乃木坂46卒業後の「芸能人、齋藤飛鳥」にしても、それらを小説のように書き続けているのかもしれない。秘密に手に入れた魔法のペンで書いているので、書いたことが実現する。そういうペンで書かれた小説なのかもしれない。いったいいつから、そういう形の「作家」になっていたのだろう。そのきっかけも知りたいし、どうやって書く才能を養っていたのかにも、渇いた興味が前のめりになる。誰にも気づかれないように、トライ&エラーを重ねて独自の作家性を構築していったのかもしれない。それもまた、彼女の謎の部分だ。さまざまな謎は、謎であると同時に僕らをとらえて引き寄せる。深い魅力は引力としての働きを持っていることを知ることになる。
齋藤飛鳥さんを好きならば、彼女に執着してはいけない。彼女との距離をまず探り、許される距離感を勘をふり絞って働かせて把握するのが彼女へのマナーであるような気がした。
__________
自分でもきれい事って思うようなことも、ここ数年でまっすぐ受け取れるようになったというか。「きれい事でもいいじゃん」と思えるようになりました。丸くなったと言われれば、それまでなんですけど。(中略)でも卒業した今は、生き方や仕事のひとつ取っても自分で選択するしかない。自分がどうなりたいかを考えないと生きていけない。だから今までよりも幸せについて考えるようになって、自分だけの豊かさを追求することが幸せな人生っていうわけじゃないよな、というところにたどり着いたのかもしれないです。(p32)
__________
→こういう地点に今はいるんですね。それは未来から振り返れば「通過点だった」と懐かしむようになることなのかもしれないし、あるいは「芽が出たばかりの頃」であってのちに葉を広く伸ばし鮮やかに花が開くことになるのかもしれないそのはじめの記録である可能性もあります。まあでも、とくにこういった記録に縛られることもないでしょうけれども、なんとなく、これは乃木坂でいたことが彼女の背中をつよくひと押ししたんじゃないだろうか、っていう想像もできてしまいました。「きれい事でもいいじゃん」がロックな時代ですよ、現代は。僕からいえば、こんな方を好きでいられるのはうれしいというか、誇らしさまで感じちゃったりで。最初の一歩、乃木坂のオーディションを受けてくれてそこからはじまったわけでして、もうね、ありがとう、ですよ。
『Quick Japan vol.175 齋藤飛鳥 詩を紡ぐ身体』
を読んだ。
齋藤飛鳥さんの特集。ご自身へのインタビュー二本と、関係者10人へのインタビュー、そしてアート性のあるフォト、トータル90ページといった構成だった。
乃木坂46卒業公演から約1年半が経つころの企画。齋藤飛鳥さんは、今、何を考えているのか。使い古された言葉だけれど、彼女の「現在地」をフレームに収めようという努力の企画である。もちろん、フレームに収まりきるはずがないし、フレームに向けてさらけだすタイプでもない。
共感を抱くような考え方がしばしばでてくる。これはちょっとうれしい。でもそれは、僕が大好きな乃木坂46、そして気になり続けた齋藤飛鳥さんから、意識的にも無意識的にもさまざまな影響をたくさん受けた結果、僕のほうが似たということなのかもしれない。別々の者たちが、ふたを開けたらいろいろと偶然に似ていたというよりも、知らずに彼女たち乃木坂46の、そして齋藤飛鳥さんの考え方や感じ方へと僕のそれらが寄っていったのだろう。
齋藤飛鳥さんは、「乃木坂46の齋藤飛鳥」にしても、乃木坂46卒業後の「芸能人、齋藤飛鳥」にしても、それらを小説のように書き続けているのかもしれない。秘密に手に入れた魔法のペンで書いているので、書いたことが実現する。そういうペンで書かれた小説なのかもしれない。いったいいつから、そういう形の「作家」になっていたのだろう。そのきっかけも知りたいし、どうやって書く才能を養っていたのかにも、渇いた興味が前のめりになる。誰にも気づかれないように、トライ&エラーを重ねて独自の作家性を構築していったのかもしれない。それもまた、彼女の謎の部分だ。さまざまな謎は、謎であると同時に僕らをとらえて引き寄せる。深い魅力は引力としての働きを持っていることを知ることになる。
齋藤飛鳥さんを好きならば、彼女に執着してはいけない。彼女との距離をまず探り、許される距離感を勘をふり絞って働かせて把握するのが彼女へのマナーであるような気がした。
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自分でもきれい事って思うようなことも、ここ数年でまっすぐ受け取れるようになったというか。「きれい事でもいいじゃん」と思えるようになりました。丸くなったと言われれば、それまでなんですけど。(中略)でも卒業した今は、生き方や仕事のひとつ取っても自分で選択するしかない。自分がどうなりたいかを考えないと生きていけない。だから今までよりも幸せについて考えるようになって、自分だけの豊かさを追求することが幸せな人生っていうわけじゃないよな、というところにたどり着いたのかもしれないです。(p32)
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→こういう地点に今はいるんですね。それは未来から振り返れば「通過点だった」と懐かしむようになることなのかもしれないし、あるいは「芽が出たばかりの頃」であってのちに葉を広く伸ばし鮮やかに花が開くことになるのかもしれないそのはじめの記録である可能性もあります。まあでも、とくにこういった記録に縛られることもないでしょうけれども、なんとなく、これは乃木坂でいたことが彼女の背中をつよくひと押ししたんじゃないだろうか、っていう想像もできてしまいました。「きれい事でもいいじゃん」がロックな時代ですよ、現代は。僕からいえば、こんな方を好きでいられるのはうれしいというか、誇らしさまで感じちゃったりで。最初の一歩、乃木坂のオーディションを受けてくれてそこからはじまったわけでして、もうね、ありがとう、ですよ。