読書。
『オーデュボンの祈り』 伊坂幸太郎
を読んだ。
伊坂さんの本を読むのは、3月に読んだ『ラッシュライフ』以来二作品目です。
こっちのほうがデビュー作で、『ラッシュライフ』が二作目なので前後します。
『ラッシュ』を読んだ時に、しゃべるカカシの話などがちらっと出てきて、
「なんだこのトピックは。小説に奇妙さを付け加えるためかな」と、
さしも重要視しませんでしたが、まぁ、『ラッシュ』のあとがきにも
触れられていたように、それはこの『オーデュボン』のエッセンスだったんです。
となると、本作の舞台は、ひどく奇妙で、クレイジーで、キテレツな小説なのかなと斜に構えて
イメージしてしまいそうじゃないでしょうか。
たしかに奇妙な世界です。でも、一旦読み始めると、
その世界に心安くダイブして読み進めるようになってしまいます。
このへん、伊坂さんの想像力と説得力が抜きんでているためなのかもしれません。
登場人物には、イヤなヤツもいながらも、ギスギスした感じがあまりしません。
『ラッシュ』のときもそうだったのですが、人物の描き方に温かみがあったり、
嫌悪にまかせて言葉足らずに終わらせるということをしないからなのでしょう。
また、善悪に対する観方がでてくるのですけれど、白黒はっきりしたヤツなんかいない、
みんな灰色だ、みたいなことが言われるんですね。
これが、伊坂さんの人間観のちょっとした根っこの部分の言葉だと読めます。
だからどんな人物でも、意図的でないならば、作者はちゃんと文字数を割いて
その人物の描写をしっかりやるのでしょうね。
人間はそんな、簡単なものじゃないんだよ、っていう捉えかたがあるのだと思います。
さりとて、そういう部分で鹿爪らしく文章を綴るのでもなく、読みやすい重みと温度で、
テンポと魅力を損なわずに物語は進んでいくのです。
どこかで読んだ評だけれども、
伊坂さんの小説は、純文学の香りがする大衆文学な感じです。
ふんわりとさせて、格言的要素を薄めて、イリュージョンを盛り込んだ
ドストエフスキーといってもいいかもしれない。変な言い方かな。
それにしても、伊坂さんの本はまだ2作品しか読んでいませんが、
とても面白いですね。ちょっとした隙間に、未熟さのようなものを
感じることが、ないともいえないところも、一か所くらいはあります。
だけれど、総じて優れた作品だし、そういう稚拙に読めるところも、
塞翁が馬的に、光の当て方によって輝いたり、時間の経過によって
解釈が変わったりします。
そういうところが、伊坂さんの小説が「騙し絵」と評されることの
一要素なのかなぁなんて思ったりします。
伊坂さんの小説はとても楽しめることがわかったので、
またそのうち初期の頃のを読んでみるつもりです。
作品同士がリンクしたりするようなので、古いものから
読んだ方がいいみたいなんですよ。
『オーデュボンの祈り』というタイトルに関係する部分の
具体的な記述があるんですが、まぁそこはネタバレになるので、
書かないでおきます。
ただ、WEBで調べてみると事実の事柄の引用だったようで、
僕は知らなかったことなので、けっこう驚きました。
そういう知識も得ることができながら、かなり楽しめる本作。
普段、科学エッセイだとか、評論文、論考文などを中心に
読書する人が、箸休めのように読んでみるとすごく良い読書体験に
なるかもしれません。
そんな1冊でした。
『オーデュボンの祈り』 伊坂幸太郎
を読んだ。
伊坂さんの本を読むのは、3月に読んだ『ラッシュライフ』以来二作品目です。
こっちのほうがデビュー作で、『ラッシュライフ』が二作目なので前後します。
『ラッシュ』を読んだ時に、しゃべるカカシの話などがちらっと出てきて、
「なんだこのトピックは。小説に奇妙さを付け加えるためかな」と、
さしも重要視しませんでしたが、まぁ、『ラッシュ』のあとがきにも
触れられていたように、それはこの『オーデュボン』のエッセンスだったんです。
となると、本作の舞台は、ひどく奇妙で、クレイジーで、キテレツな小説なのかなと斜に構えて
イメージしてしまいそうじゃないでしょうか。
たしかに奇妙な世界です。でも、一旦読み始めると、
その世界に心安くダイブして読み進めるようになってしまいます。
このへん、伊坂さんの想像力と説得力が抜きんでているためなのかもしれません。
登場人物には、イヤなヤツもいながらも、ギスギスした感じがあまりしません。
『ラッシュ』のときもそうだったのですが、人物の描き方に温かみがあったり、
嫌悪にまかせて言葉足らずに終わらせるということをしないからなのでしょう。
また、善悪に対する観方がでてくるのですけれど、白黒はっきりしたヤツなんかいない、
みんな灰色だ、みたいなことが言われるんですね。
これが、伊坂さんの人間観のちょっとした根っこの部分の言葉だと読めます。
だからどんな人物でも、意図的でないならば、作者はちゃんと文字数を割いて
その人物の描写をしっかりやるのでしょうね。
人間はそんな、簡単なものじゃないんだよ、っていう捉えかたがあるのだと思います。
さりとて、そういう部分で鹿爪らしく文章を綴るのでもなく、読みやすい重みと温度で、
テンポと魅力を損なわずに物語は進んでいくのです。
どこかで読んだ評だけれども、
伊坂さんの小説は、純文学の香りがする大衆文学な感じです。
ふんわりとさせて、格言的要素を薄めて、イリュージョンを盛り込んだ
ドストエフスキーといってもいいかもしれない。変な言い方かな。
それにしても、伊坂さんの本はまだ2作品しか読んでいませんが、
とても面白いですね。ちょっとした隙間に、未熟さのようなものを
感じることが、ないともいえないところも、一か所くらいはあります。
だけれど、総じて優れた作品だし、そういう稚拙に読めるところも、
塞翁が馬的に、光の当て方によって輝いたり、時間の経過によって
解釈が変わったりします。
そういうところが、伊坂さんの小説が「騙し絵」と評されることの
一要素なのかなぁなんて思ったりします。
伊坂さんの小説はとても楽しめることがわかったので、
またそのうち初期の頃のを読んでみるつもりです。
作品同士がリンクしたりするようなので、古いものから
読んだ方がいいみたいなんですよ。
『オーデュボンの祈り』というタイトルに関係する部分の
具体的な記述があるんですが、まぁそこはネタバレになるので、
書かないでおきます。
ただ、WEBで調べてみると事実の事柄の引用だったようで、
僕は知らなかったことなので、けっこう驚きました。
そういう知識も得ることができながら、かなり楽しめる本作。
普段、科学エッセイだとか、評論文、論考文などを中心に
読書する人が、箸休めのように読んでみるとすごく良い読書体験に
なるかもしれません。
そんな1冊でした。