Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『みぞれ』

2010-07-18 23:59:29 | 読書。
読書。
『みぞれ』 重松清
を読んだ。

短編集です。
30pくらいのものと、60pくらいのものが11篇収められています。

あとがきで重松さんは、どの作品から読んでも良いと書かれていますが、
僕は初めから順繰り順繰りと最後まで読んだのでした。
読んでいて読みやすいのだけれど、ちょっと軽すぎやしないかという感想。
読んでいる最中に文章にひっかかるところもなくすらすら読めすぎる。
そして、言葉はうまいのだが、作品中のテーマとか、諸所の問題の解決が
簡単すぎるように読めた。

さらに、「望郷波止場」という作品では、
マスコミの悪趣味さ、面白ければいいんだという方向性の醜悪さを
感じさせられ、その描写がすらすらと書かれているものだけに、
その中で真面目でしっとりとした部分が中盤にでてきても、
読み手として咄嗟の反応ができず、嘘寒く感じてしまい、
それどころか、どうとでも書けることに対して「言葉がうますぎる」と
怒りさえ感じるくらいでした。とはいえ、その後を読むことで
怒りは収まり、まぁ良かったかなという感想を持つことになるのです。

しかし、ほんと、週刊誌とかをほとんど読まないし、テレビ業界の
考え方っていうのを知らないのだけれど、こういうのを読んで知ってみると、
とにかく、良いか悪いかは別として、物事の筋は通すらしいんです。
こうだからこうだ、っていう感じでしょう。
そういう理屈だか屁理屈だかに依拠している気持ちじゃないと、
テレビマンは精神面がひずんでくるんだと思われます。
そうやって、正気を保っているフシがある。
なんたって、やってることは醜悪だったりしますから、
その醜悪さに目を向けて凝視することなどできないのでしょう。
その方法論のほうに目を向けて重視するという、ある意味、焦点のすり変えを、
人間の、人間性防御の本能によってやっているんだと推察します。

なーんてさ、素人が、わかったようなことを書くと、
生意気だ!とか言われるんじゃないだろうか。
まぁ、テレビ業界を知っているわけじゃないので、本当に推測でしかないんですけどね。

そんなわけで、この短編集を読んでいて、軽すぎるとか醜悪だとか
感想を持ちながらも、習慣と、貧乏性なのと、作者への礼儀だと勝手に思っている性分ゆえに
最後まで読み終えたわけなのですが、最後の2篇はけっこう好きな作品でした。
あぁ、最後にはちゃんと良い気持ちにさせてもらえるのだな、という感じ。
全体としては、本当に、どうしようもない人間、いらだたしい人間が数多くでてきます。
だけれど、それが人間なんですねぇ、そういうのがいるのが社会なんですねぇ、
フィクションの中で、そういった彼らの特徴を精妙に捉えていて、
それを足がかりとして、そういった性向の困った人間を分析する手立てになったりもします。
…とかって、これ、悪用ですね。
分析というか、彼らのことを考えてみる機会とヒントが与えられるわけですよ。
困ったちゃん達がのさばってちゃ楽しくないのでね、そういう人たちと精神的に対抗しうるための、
彼らと対峙する予行練習みたいな意味合いが読書によって得られるのです。
この本の物語の中では、そういった困ってしまう人々との付き合いの中で、
ただただ苦笑するほかないタイプの人たちがいて、それがまた美しかったりもします。
そうするのが性に合うか合わないかは、人によるのでしょう。

面白かったか面白くなかったを言えば、
不快でもあり感動もする、きれいごとときれいごとじゃないものが
混じった短編集と評するところです。
興味のある方は、余裕のある方は読んでみるといいかもしれません。
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