思い起こせば、どうやら3月頃から取り掛かっていたようです。
所有するすべてのCDをパソコンに取り込んで、
オーディオファイル化する計画のことです。
つい先日、すべて読み込みが終了して、計画が完了しました。
なにせ半年もかかっているわけですから、
膨大な量のCDを持っているんじゃないかと思われる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
ただ単に、めんどいからあんまり作業していなかったわけで、
要するに、だらだらもいい所の音楽電子化作業でした。
もう、パソコンに取り込んだら、CDはバックアップのようなものですし、
要らないなぁっていうものもかなりの数ありますが、
どうもCDって売っぱらうことができない性分なんですよ。
音楽を作るのはけっこう大変だぞっていうアタマがあるからかもしれません。
雑誌で、「曲なんてちょちょいと作れちゃう」っていうミュージシャンの人も
大勢いるのを知っていますし、実際、楽器が弾けて、絶対音感にしろ相対音感にしろ
鍛えられていれば、ぱぱぱーっとある程度の曲は作れちゃいそうです。
手癖で作りましたーっていう手合いのものもありそうですが、
それこそイマジネーションに忠実に採譜していって出来上がる曲もあるでしょう。
僕が好きな音楽家の坂本龍一さんは、
今、ポッキーのCMでYMOというバンドとして出演していますが、
そのYMOが結成された当時は、リズムの取り方を4:6とか、
ちょっとずらしてコンピュータで演奏させたり、
どのくらいずらすとどういう効果が得られるか、みたいなことを
かなり追及して曲作りをしていたようなんですよね。
そんなだから、エンジニアの人も相当大変で、頭が疲れるんじゃないかと思わせられる。
そういう大変な思いをして作った曲が、けして重い曲ではなくて、
簡単に消費されたりする。作り手は「それでいいんだよ」という姿勢だったりもする。
クールだなと思う。
魅力があり、普遍的な曲、何世紀も聴き継がれる、簡単に消費されきらない曲。
そういったものが、狙って作れるのならば音楽業界は好況ばかりのおいしい業界になるのかなぁ。
生みの苦しみを切々と語るミュージシャンの話ってあんまり聴きませんね。
苦労話ってしない種類の人たちなのかなって思ったりもする。
そういうの、話すと愚痴みたくなりますしね。
かっこつけてんですね、要は。
だから、やせ我慢して、かっこつけて、
若くして死んでしまうミュージシャンがたくさんいるんですよ。
「たららーんと楽しんでやってんだよ、俺らは」
っていったって、やっぱりかっこつけてるからね。
美学だし、否定はしません。
だけど、僕は、バカラックのおじさんとかのように長生きする
ミュージシャンが好いなぁと思うのです。
ニューオーリンズでも、じいさんベーシストとかいるそうじゃないですか。
生命の形をそのままで燃やしつくすタイプ。
それは例えば、若い頃は攻撃的な音楽をやって、だんだん丸くなっていき、
最後は枯れた良さみたいなのを表現するタイプ。
もう一方は生命の形を強制的に思うような形にして魅せるタイプ。
こちらはずっと若い頃と同じような音楽を歳を重ねてからもやり続ける。
命の消耗は激しいタイプ。
好みと適性の問題なのかな、どっちを選ぶかっていうのは。
その中間に位置するミュージシャンもいそうですよね。
それはそれ、良いとこ取りみたいでもあり面白いです。
…、音楽ファイルの話から、けっこう逸れてしまいました。
つまりは、クリック一つで4分とか5分とかを費やして、
もう飽きただの、つまんないだの、いいように言われる音楽ってものは、
実は命の輝きそのものだったりするんじゃないのかいってことです。
そんなことを言って、じゃぁ大事にしようとか言うのはクールじゃないし、
大体、そうなったらそうなったで、悪乗りするミュージシャンも多数出てきそうなので、
声を大にして言おうとは思いません。
最後に、こんな記事にだからこそ、こういう音楽はどうかと思って、
貼り付けておこうと思います。
バート・バカラックで「ボンド・ストリート」。
Burt Bacharach - Bond Street
所有するすべてのCDをパソコンに取り込んで、
オーディオファイル化する計画のことです。
つい先日、すべて読み込みが終了して、計画が完了しました。
なにせ半年もかかっているわけですから、
膨大な量のCDを持っているんじゃないかと思われる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
ただ単に、めんどいからあんまり作業していなかったわけで、
要するに、だらだらもいい所の音楽電子化作業でした。
もう、パソコンに取り込んだら、CDはバックアップのようなものですし、
要らないなぁっていうものもかなりの数ありますが、
どうもCDって売っぱらうことができない性分なんですよ。
音楽を作るのはけっこう大変だぞっていうアタマがあるからかもしれません。
雑誌で、「曲なんてちょちょいと作れちゃう」っていうミュージシャンの人も
大勢いるのを知っていますし、実際、楽器が弾けて、絶対音感にしろ相対音感にしろ
鍛えられていれば、ぱぱぱーっとある程度の曲は作れちゃいそうです。
手癖で作りましたーっていう手合いのものもありそうですが、
それこそイマジネーションに忠実に採譜していって出来上がる曲もあるでしょう。
僕が好きな音楽家の坂本龍一さんは、
今、ポッキーのCMでYMOというバンドとして出演していますが、
そのYMOが結成された当時は、リズムの取り方を4:6とか、
ちょっとずらしてコンピュータで演奏させたり、
どのくらいずらすとどういう効果が得られるか、みたいなことを
かなり追及して曲作りをしていたようなんですよね。
そんなだから、エンジニアの人も相当大変で、頭が疲れるんじゃないかと思わせられる。
そういう大変な思いをして作った曲が、けして重い曲ではなくて、
簡単に消費されたりする。作り手は「それでいいんだよ」という姿勢だったりもする。
クールだなと思う。
魅力があり、普遍的な曲、何世紀も聴き継がれる、簡単に消費されきらない曲。
そういったものが、狙って作れるのならば音楽業界は好況ばかりのおいしい業界になるのかなぁ。
生みの苦しみを切々と語るミュージシャンの話ってあんまり聴きませんね。
苦労話ってしない種類の人たちなのかなって思ったりもする。
そういうの、話すと愚痴みたくなりますしね。
かっこつけてんですね、要は。
だから、やせ我慢して、かっこつけて、
若くして死んでしまうミュージシャンがたくさんいるんですよ。
「たららーんと楽しんでやってんだよ、俺らは」
っていったって、やっぱりかっこつけてるからね。
美学だし、否定はしません。
だけど、僕は、バカラックのおじさんとかのように長生きする
ミュージシャンが好いなぁと思うのです。
ニューオーリンズでも、じいさんベーシストとかいるそうじゃないですか。
生命の形をそのままで燃やしつくすタイプ。
それは例えば、若い頃は攻撃的な音楽をやって、だんだん丸くなっていき、
最後は枯れた良さみたいなのを表現するタイプ。
もう一方は生命の形を強制的に思うような形にして魅せるタイプ。
こちらはずっと若い頃と同じような音楽を歳を重ねてからもやり続ける。
命の消耗は激しいタイプ。
好みと適性の問題なのかな、どっちを選ぶかっていうのは。
その中間に位置するミュージシャンもいそうですよね。
それはそれ、良いとこ取りみたいでもあり面白いです。
…、音楽ファイルの話から、けっこう逸れてしまいました。
つまりは、クリック一つで4分とか5分とかを費やして、
もう飽きただの、つまんないだの、いいように言われる音楽ってものは、
実は命の輝きそのものだったりするんじゃないのかいってことです。
そんなことを言って、じゃぁ大事にしようとか言うのはクールじゃないし、
大体、そうなったらそうなったで、悪乗りするミュージシャンも多数出てきそうなので、
声を大にして言おうとは思いません。
最後に、こんな記事にだからこそ、こういう音楽はどうかと思って、
貼り付けておこうと思います。
バート・バカラックで「ボンド・ストリート」。
Burt Bacharach - Bond Street