Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

悪感情、生まれ出たり。

2016-06-20 20:00:41 | 考えの切れ端
正しく、善く、ということをこころがけて毎日仕事していると、
人間の(自分の)そういう面ばかり使うようになるから、
その反動で「このブタ」とか「クソ野郎」とか、
それまで普段まったくでてこなかったような
汚らしい悪い感情もふつふつと心の中で泡立ってくる。

正しく、善く、正確に、迅速に。
そういう仕事のあり方、サービスの仕方が、
そういう仕事をする人たちの心を蝕んでいくのは、
1+1=2のように正しい、善い、正確などの行為が
すべて計算したようにうまくいくとは限らないからかもしれない。
ズレや齟齬なんかが、全霊をかけた良心に反動の傷をつける。

つまり、人間の悪い感情の出どころっていうのは、
たとえば良いことをしていると自分で思っていても、
それが良いと相手にとらえられなかったり、
悪い結果を出したり、
自分の思い通りにならない現実に対しての
駄々っ子的な我の張り方にあるんでしょうね。

ということは、「自分!自分!」っていう、
自らが大事なひとほど、悪感情が湧きおこりやすいと言える。
現実が思い通りにならないたびに、大きな自我が文句を言いだすんです。
自分探しをして、自分を見つけちゃったひとほど、
この罠にはまるんでしょうね。
(自分なんて見つかるもんじゃないけどね)

自分を見つけて、
確固とした自分を確立してしまう弊害がここにあるということです。
自分というものは失くしていったほうがいいという
仏教的な考えのよいところはここにあるなあ。
みうらじゅんさんの「自分なくし」の考えのよさもここにある。

ただ、ほんとうに、ちゃらんぽらんなくらいに自分が無くなると、
オウム真理教みたいなのが出てきたときに、
取り込まれてしまう危険性があると思います。
支配的な者の奴隷にされてしまう危険性があると思う。
・・・どこまで自分を失くし、自分を持つか。
そこが問題です。

そして、善い、正しい、正確、迅速、
そういったものばかり求めて奨励して
スポットライトを当てる価値観もちょっとおかしなもんだということです。
そりゃ、そういうサービスをされれば嬉しいだろうけれど、
サービスを受ける人々が王様か?神様か?何様なのだ!
というくらい妙な位置に立つのはおかしい。

王様みたいなサービスを受けたい、
神様みたいに扱ってほしい、
そういったサービスをする人への要望は、おかしなもんです。
えらくなりたい、権力を持ちたいというこれまた、大きな自我のもつ弊害です。
あるいは、払拭されない悪感情を癒すための、
悪行的な王様的位置へのおさまり。

そう考えていくと、やっぱり、
自我って大きなものはよくないなあというのがつくづくわかります。
自我の肥大とも言える。
女の子は大きな自我を子どもの頃に持っていて、
思春期にそれを削っていく作業になるそうで、
男の子は、思春期にぽこっと自我が芽生えるものなんだそうです、
ものの本によると。

と、まあ、あんまりまとまらないけれど、
言いたいことは言えたかなという感じです。
自我って難しいね、という。
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