読書。
『アイヌの世界』 瀬川拓郎
を読んだ。
「北海道の先住民」という言い方だと誤解があるかもしれない。
本書によれば、アイヌは縄文人の末裔、
それも沖縄のように多数の弥生人によって血が薄まっていなく、
弥生人との混血の程度もすこしで、
あとはサハリンから南下してきたオホーツク人との混血もすこしあるのが
アイヌ民族だそうです。
ご存知のようにぼくは北海道に住んでいますが、
「アイヌ」をどう呼ぶのか、
けっこうデリケートなところなのを知っています。
そのくせ、正解を知らない、
つまり、アイヌの人たちがどう呼ばれるのを好むかを知らないのです。
「アイヌ人」は差別的だとか、「アイヌのひと」はいいだとか、
そういうのが子どもの頃の記憶にあるのですけれども、
ほんとうに、そのあたり、デリカシーがないと言われればそれまでで、
呼称ひとつにしてもためらいます。
アイヌのひとたちは、日本人として、
いわゆる和人と差別なく暮らしていくのをよしとしているのか、
あるいは、アイヌのひとという民族のプライドがあって、
そこは敬意を払って接して欲しい気持ちがあるのか、
まったくわかりません。
そして、それは、アイヌのひと個人々々によっても
異なるだろうという予想はつきます。
ちなみに、同級生にアイヌのひとはいませんでした。
アイヌは江戸時代でも、全道で2万人くらいの人口だったといいますし、
沿岸部に多く住んでいたそうですから、
ぼくの住む、新興の開拓地にはいなかったのかもしれない。
だけど、ぼくの住む街に石炭が出るということを
ライマンという外国人が発見したんですが、
彼や、彼の弟子をその後案内したのはアイヌだったようです。
街の名前もアイヌ言葉由来ですしね。
街の名前といえば、
東北地方にも、アイヌ言葉が由来の街がちらほらあると本書にありました。
古墳時代にはアイヌは東北地方へ南下していたようなんです。
当時の東北地方は、まだ大和朝廷によって統治されておらず、
続縄文人と呼ばれる狩猟採集をおもに生業としている集団が
暮らしていたようです。
そして、アイヌが南下したのには、オホーツク人の北海道への南下が
関係しているらしいのでした。
オホーツク人なんてはじめて聞きました。
サハリンに住む、モンゴロイドの民族だそうで、
著者によれば、日本人やアイヌとはまったくの異文化のひとたちで、
コミュニケーションをとるのも難しかったひとたちだったようです。
また、時はちょっとくだって、
平泉で栄えた奥州藤原氏が、北海道、つまりアイヌから
オオワシの尾羽を、矢羽に使うのに取り寄せていたという話がありました。
オオワシの尾羽は高級品として珍重されたそうです。
それにしても、驚いたのは、
クマ祭りについてのところ。
春先にクマの穴ぐらを襲って、小グマを捕獲し、
それを一、二年集落で飼育して、
その後、儀式的になのか、命を絶ち、
どうやらみんなで食べて、
魂を森へ返すような意味のことをやるみたいです。
そして、鮭ですね。
アイヌは干鮭をつくって、
貿易していたようです。
そんなアイヌの最大の勢力圏は、
北はロシアのアムール川流域まで、
けっこう、暴れまわっていたようです。
本書を読むと、
北海道の大自然に抱かれながら、
厳寒の冬を耐えて、静かに命をつないできたかのような、
ステレオタイプなアイヌの印象がぐらんとゆすぶられます。
そのダイナミックな活動と歴史が、
文字を持たない彼らの残した遺跡から読み取れてくる。
おもしろい読み物でした。
最後の第七章は、著者の住む旭川、ひいては上川地方を、
まるでブラタモリのようにその地勢的ところから
アイヌをみていくようになっています。
エッセイと論説文の間くらいの文体で、
内容がぎゅうっと充実した本でした。
『アイヌの世界』 瀬川拓郎
を読んだ。
「北海道の先住民」という言い方だと誤解があるかもしれない。
本書によれば、アイヌは縄文人の末裔、
それも沖縄のように多数の弥生人によって血が薄まっていなく、
弥生人との混血の程度もすこしで、
あとはサハリンから南下してきたオホーツク人との混血もすこしあるのが
アイヌ民族だそうです。
ご存知のようにぼくは北海道に住んでいますが、
「アイヌ」をどう呼ぶのか、
けっこうデリケートなところなのを知っています。
そのくせ、正解を知らない、
つまり、アイヌの人たちがどう呼ばれるのを好むかを知らないのです。
「アイヌ人」は差別的だとか、「アイヌのひと」はいいだとか、
そういうのが子どもの頃の記憶にあるのですけれども、
ほんとうに、そのあたり、デリカシーがないと言われればそれまでで、
呼称ひとつにしてもためらいます。
アイヌのひとたちは、日本人として、
いわゆる和人と差別なく暮らしていくのをよしとしているのか、
あるいは、アイヌのひとという民族のプライドがあって、
そこは敬意を払って接して欲しい気持ちがあるのか、
まったくわかりません。
そして、それは、アイヌのひと個人々々によっても
異なるだろうという予想はつきます。
ちなみに、同級生にアイヌのひとはいませんでした。
アイヌは江戸時代でも、全道で2万人くらいの人口だったといいますし、
沿岸部に多く住んでいたそうですから、
ぼくの住む、新興の開拓地にはいなかったのかもしれない。
だけど、ぼくの住む街に石炭が出るということを
ライマンという外国人が発見したんですが、
彼や、彼の弟子をその後案内したのはアイヌだったようです。
街の名前もアイヌ言葉由来ですしね。
街の名前といえば、
東北地方にも、アイヌ言葉が由来の街がちらほらあると本書にありました。
古墳時代にはアイヌは東北地方へ南下していたようなんです。
当時の東北地方は、まだ大和朝廷によって統治されておらず、
続縄文人と呼ばれる狩猟採集をおもに生業としている集団が
暮らしていたようです。
そして、アイヌが南下したのには、オホーツク人の北海道への南下が
関係しているらしいのでした。
オホーツク人なんてはじめて聞きました。
サハリンに住む、モンゴロイドの民族だそうで、
著者によれば、日本人やアイヌとはまったくの異文化のひとたちで、
コミュニケーションをとるのも難しかったひとたちだったようです。
また、時はちょっとくだって、
平泉で栄えた奥州藤原氏が、北海道、つまりアイヌから
オオワシの尾羽を、矢羽に使うのに取り寄せていたという話がありました。
オオワシの尾羽は高級品として珍重されたそうです。
それにしても、驚いたのは、
クマ祭りについてのところ。
春先にクマの穴ぐらを襲って、小グマを捕獲し、
それを一、二年集落で飼育して、
その後、儀式的になのか、命を絶ち、
どうやらみんなで食べて、
魂を森へ返すような意味のことをやるみたいです。
そして、鮭ですね。
アイヌは干鮭をつくって、
貿易していたようです。
そんなアイヌの最大の勢力圏は、
北はロシアのアムール川流域まで、
けっこう、暴れまわっていたようです。
本書を読むと、
北海道の大自然に抱かれながら、
厳寒の冬を耐えて、静かに命をつないできたかのような、
ステレオタイプなアイヌの印象がぐらんとゆすぶられます。
そのダイナミックな活動と歴史が、
文字を持たない彼らの残した遺跡から読み取れてくる。
おもしろい読み物でした。
最後の第七章は、著者の住む旭川、ひいては上川地方を、
まるでブラタモリのようにその地勢的ところから
アイヌをみていくようになっています。
エッセイと論説文の間くらいの文体で、
内容がぎゅうっと充実した本でした。