Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『ヒドゥン一九九四』 第一話

2017-09-30 18:00:01 | 自作小説5

 僕は、足取り軽やかな人混みの流れの中にいる。九段下駅へと歩いていた。もう二、三分すると二番出口に着くところだ。
 今夜の暗闇には不思議と親密さを感じる。いつもなら嘘寒さを感じさせるくせに。きっと彼女たちのライブがよかったからなのだろう。暗闇の表情にもいろいろあるものだな、コートのポケットに両手をつっこみながら歩いていると、その暗闇が吐きだしている冴えた空気が、紅潮した頬にぴりりと吸いついてくるのにやっと気づいた。心地よさのなか、気分も平静へと近づいていく。
 今夜のライブのおかげで、いつもつきまとわれている晴れない虚ろな気分がどこかへいってしまった。でもたぶん、今だけなのだろうけれど。せめてあと三時間はこの満ち足りた気分のままでいさせてくれはしないだろうか。自宅に戻り、ベッドにもぐりこんで自失となるまで、あの虚ろさとはさよならしていたかった。
 人混みのなかには、うわずった声で早口に語りあうダウン姿の二人の若い男たちもいた。僕の前方をうねうねとあみだに歩き、身振りも大きく、たまに何かのステップを踏むように身をひるがえしたりしている。ぽっ、ぽっ、と湯気が出そうなくらいアツイ興奮を胸に抱えているためだろう。わかるよ、おまえら。
 今夜の彼女たち、つまりアイドルグループ、リバルブ・ラブの公演には、今までで一番の大きな声援が湧き起こっていたように思う。アイドルにしては高い歌唱力と、さながらイリュージョンをやっているかのように、なにげなく遂行されながらも、緻密でとらえどころのないフォーメーション変化中心の魅惑的なダンス。申し分ないパフォーマンスを発揮し、会場を魅了していた。五人のメンバーははつらつとした笑顔をたやさず、会場につめ寄せた満員のファンたちと、ここまでがんばってきた努力と幸運の集大成を祝うような一体感を作りあげていた。言うまでもなく、このとき、彼女たちは、たぶんどこのなによりも幸福な時間を作りあげていた。リバルブ・ラブはついに今宵、日本武道館に昇り詰めたのだ。
 取材ではあったが、僕もささやかな〈おめでとう〉の気持ちを彼女たちにささげるようにこのライブを味わった。
 アンコールでは、ヒット曲『ヒドゥンプレイス』が今宵二度目の披露となり、このときは会場の声援と熱狂で屋根が吹っ飛ぶのではないか、と心配してしまったほどだった。こうして駅を目指して歩くなかいくらか冷静になってから思い起こせば、そんな馬鹿なことが起こるか、と一笑に付してしまえるような想察なのだけれど、リアルタイムで会場にいると、ほんとうに屋根が飛んでもおかしくないと思えるほどだったのだ。
 そのとき前列では、自律神経がおかしくなったのだろうか、失神とまではいかなかったが、座席にうずくまる女性客がいたのが見えた。会場に渦巻く、一体となった熱情の嵐にあたったのだろう。それも、よくわかる。

 敷地内を抜けると、一台のハーレーダビッドソンが右から左へ走り抜けていった。武道館から流れてきた興奮覚めやらぬ人々のなかに、彼に注意をはらったものはいない。この寒い十二月の夜にせめて皮ジャンくらい着ろよ、と思う。ライダーは半袖Tシャツ姿だったのだ。冬用の上着を持っていないなんてことはないだろう、ガマンしなくたっていいのに。単なる面倒くさがりだったのだろうか、移動距離が短いから寒さにタカをくくったのか。いやいや、やっぱりガマンしたのだろう。面倒くさがりの痩せガマンだ。人生、痩せガマン、か。
 取材という名目ゆえのライブ観賞だったから、アタマのどこかほんの一部は醒めていた。だから僕の目だけにはそんな痩せガマンのライダーの姿がとらえられたのだろうか。
 僕の人生も痩せガマンだ。ガマンして、ガマンして、それでいてガマンしているようには見せない。何のためか。つい最近、それをはっきり客観視できるようになった。ガマンせずに相手によりかかったりしない、投げ出したりしない、弱音を吐いたりしない、怒鳴ったりしないのは、そうしないとただただ恰好悪く見られるからなのだ。恰好悪く見られることは、僕の人生に大きな不利益を生む、そう考えている。恰好の悪さによって、誰かにその誰か自身よりも下の人間だととらえられるとロクなことがない。第一、こちらの言うことをまともに取り扱ってもらえなくなるからコミュニケーションがつまらなくなるし、たいがい不快な思いをさせられる。それになんといっても、ガマンしないことによる自制心を感じさせない恰好悪さは、相手に不快な思いをさせてしまいもする。
 彼女がいない。痩せガマンだ。収入が低くて不安定。痩せガマンだ。隣の部屋の夫婦げんかがひどくてうるさい。痩せガマンだ。このダッフルコートはもう十三シーズンも使っている。痩せガマンだ。田舎の母が認知症を患っていることは誰にも言っていない。痩せガマンだ。僕の人生のかなりの部分は痩せガマンでできている。この取材文を明日の夕方までに書きあげて、それから夜警のバイトに出ないといけない。ガマン、耐えること。
 それくらいのガマンなんて、日常茶飯事だし取るに足りないとみんなは怒るかもしれない。毎晩のように三時間の残業がある。通勤に二時間かかる。昼食代は五百円まで。みんな、ガマンとは言わないしもはや意識すらしていないが、それは痩せガマンなのだ。きっと、相当多くの人生が痩せガマンでできているに違いなかった。
 だが、僕の、人生との相性が抜群に良いはずの痩せガマンには、もはやその効用がなくなり始めていた。虚ろな気分が、頭に、手足に、腰に、背中に、目に、耳に、心にのしかかってくる。もう、ガマンなんてやめよう、ガマンなんてしている場合じゃない。虚ろさのその作用を翻訳すると、そう語っているようにすら思えた。
 虚ろさとの付きあいは長い。はっきり覚えているわけではないのだが、思い当たる時期はおおむね中学二年生の頃からだ。なんだかわからないけれど、虚無感と呼ぶとしっくりくる、そんなぼんやりとした虚ろさが、たぶんその頃から僕に取り憑き始めたのだ。時代はバブルが弾けて間もない九十年代のはじめだった。若者に非正規社員が増え始めた時期でもある。僕個人の精神面のあり方に原因があるのか、日本中に蔓延していた虚ろな時代の空気を吸ってそうなったのかはわからない。
 その当時の、感受性の強かったひとの多くは、虚ろでまひしたようなこころに現実感を求めて刺激を無意識に求めていたのではないだろうか、と今になって思う。もっと刺激が欲しい、などとバイオレンス映画やホラー映画、ノイズ音楽や爆音を味わう風潮が今よりもちょっと強めで、考えようによっては自傷行為的なエンタメを求めていたのではないか……、と統計を取って分析したわけではないのだが、個人的な見解としてそういうイメージを持っている。
 でも、僕は、どちらかといえば感受性の強いほうではあったけれど、虚ろな気分に浸っていながら、過剰な刺激にこころを浸し直してリアルを感じようとはしなかった。過剰な刺激を求めるのは、もしかすると時代のビョーキに対する荒療治だったのかもしれない。僕がいまだに、虚ろな気分を背負っているのは、荒療治もせず、かといってそれに代わる方法で虚ろさを払拭しなかったからだとも考えられるし、元々の十代からの虚ろさは、現在の虚ろさの種にすぎず、ここまで苦しいのには他の理由があるからなのかもしれなかった。

 半蔵門線のホームでケータイの電源をいれ、いじりはじめる。見たことのない電話番号からのショートメールが来ていた。
 〈お久しぶり、林です。お元気ですか?突然で驚いたかな?年末に同窓会を企画しています。出欠を教えてください。〉
 林、林、と数秒間、思いを巡らしやがて思い当たった。高校時代に生徒会長をしていた男だった。のっぺりした顔で、身長が低く、腰の低いところもあったが、でもたいてい堂々としていた。機敏なところもあり、それがどこか小動物を思わせた。燕尾服を着て蝶ネクタイを締め、アゴを上げ胸を張ったネズミ、そうイメージすると、林のイメージはほぼ完成していると言えるだろう。
 僕は大学進学からずっと横浜に住んでいる。大学を卒業してからは、北海道の実家に帰ったこともなかった。もしも同窓会の話などがあった場合には、僕の連絡先は先方に教えないでほしい、と父には言っておいたから、それまで同窓会の誘いを受けたことがなかったのだけれど、今回はどうしたのだろう、連絡が来てしまった。林の押しの強さに負けたのだろうか。
 同窓会もそうだが、実家にも帰りたくなかった。地元に戻ると、昔の情けない自分、逃げだした自分の幻影に出会うかもしれない。そんな自分になんて会いたくないのに、無理に会いに行くかのようで気が滅入る。決別したはずの自分を取り戻してしまいそうで怖かった。今の自分はあの頃の自分を変えられたか、超えられたか。変化したのが当然に思えても、ほんとうのところはわからなかったからだ。変わったようで誤魔化しているだけなのを知らずに生活していることもあり得た。はっきりしているのは、現在抱えている虚ろな気分には、きっと高校時代の過ごし方にも原因があったこと。過去に縛られる生き方はしていないはずでも、無意識に近いところで過去を気に病んでいる。
 地下鉄がきた。ひとまず同窓会のことは忘れよう。ライブの印象をアタマでまとめておいて、部屋に帰ってから文章にしやすくしておこう。まだ、アタマはクリアなほうだった。虚ろさの影から逃れたままだ。
 大手町で降りて東京駅ホームへと歩く。そこからアパートのある保土ヶ谷へJRに乗った。

 保土ヶ谷駅前のコンビニで発泡酒とおにぎりとさきいかを買い、部屋に戻った。主催者からもらったライブのセットリストを眺めながら、個別の曲の印象を言葉にしていく。古いノートパソコンを立ち上げ、キーボードの上に十本の指を踊り始めさせた。技術はどうあれ、文章を書くのは楽しい。
 一時間半ほどで、各曲の短評ができあがった。発泡酒のタブを引いてごくごく喉を鳴らす。今日の仕事はここまでだ。形ばかりにもならない食事を終えて、ベッドの上にごろんと横たわる。目覚まし時計についている一時間ごとに手をあげる手足の長い人型蛙人形が手をあげた。時刻は午前一時。
 台所で水滴が落ちる音がした。静かな夜だった。耳の奥には、まだライブの残響が小さくこだましている。天井を眺めるのにも疲れて、目を閉じた。遠くからサイレンの音が届き始めたが、すぐに聞こえなくなった。
 無為な時間に、不意に過去がものすごいスピードで追いかけてきて、僕に追いついてきた。生徒会長の林。いや、富川悠香。そうだ、富川悠香だ。町医者の娘、富川。そして、胸が疼きだす。その当時、自分の気持ちの裏を自らかくようにしていた。裏の裏の裏の裏の……自分でもわからなくなるくらいにほんとうの気持ちを隠した片想いだった。
 でも、僕の態度や視線からはきっといやらしい光が漏れ出ていたと思う。ものほしそうであり、腐臭を放つようであり、呪うようであるいやらしい光。
 この苦しみは、思い出から切り離されてついには純粋な苦しみとなり、そこからずっと解放されない。反省できるくらい割り切れていたなら、ずいぶん楽だったに違いない。嬉しさ、恥ずかしさ、怒り、恋しさ、憎しみやもろもろの感情が絡みあって、まるで噴火せずに火山灰だけが噴出されたかのように、そんなものがこころの底に降り積もっていた。一面、割り切れないグレーだった。
 富川悠香の視線が何度と僕を貫いたことだろう。それは僕の煩悶を見すかすような視線だったのだ。ときに、どうして?と問いかけてくる視線だった。でも、そんなものは、僕の勝手な解釈にすぎず、彼女を無意識に、自分の気持ちの鏡にしていただけかもしれない。
 富川には二年のときに同じクラスの仲の好い男友達がいた。付きあっているわけではないと当時なんとなく人づてに聞いて知っていたのだが、よく駅まで二人で歩いているのを見た。たいてい、富川が左側を歩く。今もそんな二人の姿が校門から五十メートルくらい先に見える。脳裡に浮かんだそんなイメージを、ぼうっとして眺めていると、家が近所で子どものころから親しい鍋島先輩から声をかけられた。鍋島先輩に悟られてはいけない。なんとなしにグラウンドのほうへ目を泳がせた。
「あれ?今日は部活休み?グラウンド空いてるけど」幼なじみゆえのタメ口で先手を打つ。
「俺は三年だぞ。部活はもう引退したんだっての。それよりあいつ、なんて名前だったっけ」さきほどの僕の目線はしっかり先輩に捕縛されていた。良い手を打ったつもりが、なんの効果も生んでいない。
「うん?ああ、佐藤と富川」
「女のほうが?」
「富川」
「ふうん」にまにまと面白がるような顔で僕を上から覗きこんでくる。鍋島先輩は180センチを超えるサッカー部のゴールキーパーだ。
「おまえさあ、俺には正直になれって」僕の左肩に腕を回された。
 基本的には鈍感で察しが悪い先輩なのだが、なにかこううまい具合に物事を見つけたときにはまず逃れられない。そういうときの瞬間的な把握力にかなう人を僕は知らない。どんなにフェイントをかけてもまったくひっかからないし、フェイントをかけられたことで逆に確信を深めていく。そういうタイプだ。
 この状況では、もうまいったと白旗を上げるしかないと諦めた。僕は先輩の背中をぽんぽんと手のひらで叩いた。降伏のタップの合図だ。先輩は口を大きな長方形にしてがははははと笑う。あるいは、それは勝利のおたけびだった。
 直線道路の遠方を歩く富川と佐藤が、小さな駅舎に入っていくのが見える。
「あいつら、デキてるのか?」こともなげに、鍋島先輩が言う。
「つきあってるわけではないみたい。仲が好い二人ってこと」
「それは、負け惜しみじゃないよな?」
 憎たらしいことを言うので、蹴り飛ばしてやりたくなった。
 道端に伸びる影が長い。いつのまにかうっすらと夕闇が落ちてきていた。僕は駅に向かわなくて良かったのだろうか。このままでは列車に乗り遅れてしまう、いや、もう列車は出てしまった。次の下り列車がくる時刻は、たしか一時間半もあとじゃないか。これじゃ、歩いて帰った方が早いかもしれない。なんて道草の食い方だ。三、四分先輩と喋っていたら夕方になるのだから、富川どころじゃない。
「先輩さあ……」と横を向いたが先輩はいない。あれ、どこだと後ろや反対側を振り向くが、姿がない。
 ひとりぼっちになっていた。こころなしか、涼しさを通り越した寒さを感じた。グラウンドのフェンスには「夕張中央高祭 七月九・十日開催!」とある。まだ学校祭前の時期なのだろう。それにしては、準備をしている気配はないのだが。
「まだいたの?」女の子の声がした。
 気がつけば、たぶん同じクラスだったような覚えのある女の子が隣に立っていた。僕のあごくらいまでの身長の女の子だ。彼女のぴかぴかの笑顔に懐かしさを感じても、名前までは思い出せなかった。アタマのどこかにつっかえているのだ。爪先立つのを繰り返してじれったそうにした彼女が最後に言う。
「私のことわからない?」
 はっとした。表情を読まれたにしては的確だ。
 あってはならない展開に進んだような気がして、もしくはあらかじめ決められたセリフから外れた鋭いアドリブのように聴こえて僕は狼狽した。いても立ってもいられない気持ちになった。しかし、かといって彼女の前から走って一目散に逃げ去るのも許されない行為のように思えた。
 そんなパニックのなか力を振り絞って、なんとか顔を背ける。気持ちもいっしょに背けた。
 目を開けると白い壁があった。部屋の壁だ。いつのまにやら夢を見ていた。とても身体が冷えていて、僕はぶるっとひと震えした。

 いそいそと掛け布団の中にもぐりこみ再び眠ろうとしたが、なかなか寝付けない。さっきまでいた夢の世界を思い起こして、考えてみる。あれは一九九四年の夢だ。富川への想いが生まれた夏。高校二年生の十七歳。帰宅部で、目立つ個性もなくまるっきりモテない僕だった。
 モテなくて冴えないのは今でも変わらないとしても、まだ文章を書くことが好きで、それを、いささか頼りないにしたって仕事としてお金をもらえているだけ、今のほうがましかもしれなかった。
 あの当時は生きがいとするものをなにも持っていなかった。なんとなく生きていて、ただ時の流れに背中を押されてなんとか歩いていた。朝七時二十分に家を出て、夏は自転車に乗りわずか五分ほどで駅に到着。ほどなくやってくる列車に乗車し一駅で降車する。どうしてなのか自転車通学が許されず、こうした過程で高校に通った。クラスの座席は学期ごとにくじ引きで決めたのだが、すべて一番前の席を引いた。二度目のくじ引き以降、担任には満面の笑みで「またよろしくな」と言われたっけ。はにかんで下を向きながら「はい」と答えたものだ。僕は人見知りで、声が小さく、なよなよとした生徒だった。
内面にある曖昧模糊としながらもはっきりと存在する胸につかえた空気のかたまりのようなものを、まだきちんと言葉にする技術を育みきれていなかった。語彙はすくなく、言葉へと昇華する術も未熟だった。
 だから、わけもわからず苛立ったり、厚いカーテンがこころを包んだかのように鬱々とした気分になることもあった。どちらかといえば情緒は不安定な時期だったが、ひとりっ子気質だからなのか、誰にも気づかれないようにと、自分の不安定な状態を隠そうと苦心していた。自分の不安定な状態や富川への片想いとその苦しみなどいろいろなものを一九九四年の中に隠して、今がある。
 その夜、虚無感はやってこなかった。夢の世界の十七歳の僕は、当時のなよなよとした僕ではなく、十七歳でありながら中身は三十九歳の現在の僕だった。
 夜が明けるまで、ひと眠りできた。その眠りは深く、夢さえ寄せ付けなかった。

 夕方までにリバルブ・ラブの武道館初ライブの取材文を仕上げなければいけない。ニュースサイト用の一万字の記事だ。
 ガス台で湯気を放ちぴゅうぴゅうとしきりに音を鳴らすやかんを持ちあげ、厚手の大きなマグカップにお湯を注ぎクリープを入れインスタントの粉末とかき混ぜて、たっぷりの熱いコーヒーをつくった。香りが広がる。よし、戦闘開始。寝覚めは重い虚無感で気分がよくないのが昔からの常だが、このコーヒーはわりとその症状に効くのだった。
 きのうの夜保存しておいた曲ごとの短評を本文の中盤に使う段取りで、イントロダクションを書いていく。リバルブ・ラブがここまで上り詰めるまでの汗と涙の三年間の熱意をできるだけ伝わるように気をつけて言葉をつなげていくことにした。結成初期のころ、路上でティッシュ配りをしてプロモーションをしたグループがわずか三年で武道館を満杯にしたその事実を、誇張することなく書いていく。誇張せずとも、淡々と書くだけでその努力と幸運が際立ってわかるくらい、リバルブ・ラブは彼女たちのはっきりとした物語を持っているグループだった。だからうまく書くことができた。
 そういえば、一番右の立位置の娘が少しだけ富川悠香に似た雰囲気を持っていた。ぱっと見てポップな印象だし快活にダンスをするのだけれど、歌うときじゃなければ、おとなしい。上目遣いはしおらしく、真っすぐな視線と対照的に女の子らしい弱さが瞳に滲む。がんばってアイドルをしている分、素の自分とのギャップがありそうでそこに苦しみを持っていそうではあったが、仕事と割り切って臨んでいるふうでもあるので、比較的気持ちの整理のついたプロフェッショナルなアイドルとしても見えたのだが、本当のところはわからない。彼女は二十歳だった。
 僕は二十歳の富川を知らない。高校を卒業してから、彼女に会ったことがなかったからだ。肩までだった黒い髪はその後、長さや色を変えたのだろうか。ほとんど制服姿しか知らない彼女の服装の好みはどのようなものでどう変化していったのか。ピアスは開けたのだろうか。いつ左手の薬指に指輪をはめただろうか。僕はまったく彼女についての情報をつかんでいなかった。高校卒業とともに、知りたいという気持ちの裏返しに、彼女に背を向けて反対の方向へと走って逃げだしていたのだ。
午後三時までに一万字書きあげることができた。今日はすこしペースが早くて、予定外の余暇ができたことが嬉しかった。
 午後八時からは商社ビルで夜警のアルバイトをすることになっている。ライターの仕事だけでは食べていけないがためのアルバイトだった。売れっ子ライター、中堅ライターなら書くことを生業とできるが、僕のような、ライターとしてやってきた期間だけを見ればベテランでも、売れない、そしてあまり使えないライターでは無理な話だった。なんとか仕事はちらちらともらえたが、四十歳を前にして、ライターとしての岐路に立っていることは間違いのない状況だった。
 午後四時すぎに田舎からの宅配便が届いた。中身は特産の長いもで、5kgもの量が入っていた。おいしいうえに食費が浮くのがありがたい。今年もまた助けてもらえた。長いもは下し金で擦ってとろろいもにするか、短冊切りにして酢醤油をかけちぎった焼のりをちらして食べるかの二通りの食べ方しか知らなかったが、毎食交互にその食べ方で食べても飽きがこなくておいしかった。地元・夕張の長いもは味が濃く水っぽさが少なくてほんとうにおいしいのだ。茹でて餡をかけてもいいし、煮てもいいとは聞くのだが、生で食べるこの二通りの食べ方は調理しやすかったし、労力とのコストパフォーマンスがよかった、つまり楽だったので、他の調理法に挑戦したことはなかったのだ。今夜の夕食のおかずに、とろろいもをつけると決めた。シャワーを浴びてからがっつりと食べて、夜警に行こう。
 実家にお礼の電話をした。父が出る。
「もしもし。長いも、届いた」
「元気か?風邪ひいてないか?仕事のほうはどうなんだ?」
「まあまあ元気かな。仕事のほうはさっきまで記事を一本書いてたんだ。なかなかの出来だと思う」嘘ではないが、なぜかハラハラして脈が速くなる。
「そうか。正月は帰ってこないのか?」
「今年も無理かな……」ためらいを含ませて言ったが、実家に帰るかどうか迷ってもいなかった。帰る気など毛頭ないのだ。申し訳ないけれど。
「母さん、会いたがってるんだけどなあ。あ、母さん、電話代わりたいとさ」母が今どのくらいの調子なのか想像して頭がぐるぐるしてくる。   まもなく
「長いも食べたかぁい」という母の声。母の話し声が、またいくらか幼くなった。
「まだだよ、これから晩御飯に食べようと思ってるよ」
「おいしいからね、食べるんだよぉ」
「うん、いただくよ」母の声を聴いていると、呼吸が浅くなって長くしゃべれない。じんわりと目も熱くなってくる。はやく電話を切りたい。
「富川先生んとこの娘さんねえ、こないだ見かけたよう。きれいになったよう」一瞬、たじろいだ。このタイミングで富川が話題に出るなんて。
 それに、富川は夕張にいるのか。実家の病院を手伝っているのかもしれない。いや、でも、母の言うことだから、記憶が時空を飛び越えていたり、見間違えていたりする場合があり得る。
「……そうか、懐かしいね」平静を装って返した。
 しばしの沈黙の後に父が代わり「じゃ、またな。何かあったら連絡するんだぞ」といつもの締めの文句を吐いたので、ほっとする。
「わかった。それじゃ」電話を切った。
 母の認知症は極端には悪くなってはいないようだった。ヘルパーさんに助けてもらいながら、父がひとりで在宅介護をやっている。実家の将来にも不安があった。それも、ごく近い未来への不安だった。もしも父が病気に倒れたりしたら、母はどうなるのだろう。そもそも、今だって父は満足に母の世話をできているのだろうか。母の症状がもっと進んだとしたら……。悪く、否定的に考えているつもりはない。現実的に考えて、こういう疑問が湧いてくる。
 僕の人生に背後から仄暗い影が忍び寄ってきたように感じてしまう。振り払いたい。逃げ通したい。向きあう気になどなれなかった。悪いけれど、そっちはそっちでなんとかうまくやって欲しい。これは両親の問題であって、僕は関わらなくていいことなんだから。本気でそう思ったのだが、しっかり本気なんだとは言い切れない気持ち悪さがあった。僕には関係がないという観念だけが一人歩きして、僕自身のほんとうのところとそれはシンクロしていないずれた気持ちだ。後ろに重心を残したまま、片足だけ半歩前に動かしただけのような、および腰の気持ちだった。握りしめたままのケータイを一人用の小さなテーブルの上に置いて、ベッドに腰をかけ直す。置き時計に目をやると、人型蛙人形が時報代わりにまた長い手をあげた。

 午後八時。横浜周縁の商社ビル。昼間の警備をしている田中さんは六十歳手前で柔道二段。彼と交代して夜警の仕事にはいる。
「さっきな、二階の給湯室のあたりでかさかさ走りまわる音が聴こえたんだよ。ゴキブリがいるんだなと思ってたんだけど、やっぱりネズミかな。気をつけなよ?だってものすごいスピードでこっちに飛びかかってくるもんだから」
 前歯が一本欠けた田中さんが、その抜けた歯の間から空気を漏らす音でひゅひゅひゅと笑う。息を吐いているんだか、吸っているんだかわからない音だ。
 田中さんは度々、僕をちょっと怖がらせようとこんなふうなことを言う。その表情には、小意地の悪い気持ちがありありと浮かぶのだ。
「脅かさないでくださいよ。ネズミになんか出くわしたくないですよ。もう、じゃあ、ほうきでも持って歩くかな」
「迎撃用だな。そうしたほうがいいだろう。じゃ後は頼んだよ。これは差し入れだ」
「ああ、すいません、いつもありがとうございます。お疲れさまでした」
 田中さんはいたずら好きなきらきらした目をこちらへ向けて嬉しそうに帰っていった。差し入れは、缶コーヒーと一切れ分がパックされた羊羹だった。
 これが羊羹ではなくて、一切れ分のチーズだとしたらネズミネタのオチとしては最高なのに、でも田中さんは、ねずみだからチーズにしよう、などとネタを詰めていくタイプではなく、肝心なところでは心配りを優先させるタイプなのだろう。というよりも、単純にネズミの話は今思いついた程度のネタだったのかもしれない。どちらにせよ、田中さんはまずそこまで性根の腐った人というわけではないのである。ちょっといたずら好きの、年を重ねても子どもの心を残している人なのだ。
 そうネズミネタにはタカをくくっていたのだが、勤務時間にはいり懐中電灯を照らしながら二階を歩いていると、ほんとうにかさかさと何かが走る音が聞こえてきた。給湯室に近づくにつれ、音がよりはっきりと存在感を増す。
 マジだったのかよ、と様々な部位の筋肉が自然、ちょっと硬くなってくる。警備という仕事は侵入してきた人間に対して行うもので、ネズミなんか相手にしなくても職務怠慢にはあたらないのではないだろうか。臆病風に吹かれた気持ちで自身にそう問うのだが、それとは別に身体は給湯室に入ろうとしていた。暗闇の中、懐中電灯が照らす明りを手掛かりに、好奇心ではなくなかば責任感のようなもので勝手に背中を押されているかのように給湯室のドアを開け、自動装置のように動いて、中に入った。
 床を照らす。何もいないが、ときおり何かがこすれたような大きな音がする。部屋の角を照らしたり、小さな食器台のうしろを照らしたりしてみるが、なにも見えなかった。
 では、いったいどこのどいつのなんの音なのだろう。せわしなくかさかさという音が鳴ったり止んだりが聞こえる。なにか実体がいるのは確かそうだったから、気味悪さよりまずそいつを確認したい気持ちが勝っていた。田中さんの言った通り、たぶんネズミがいる。額から汗が一筋落ちてくる。
 幾度と懐中電灯を往復して動かし、備え付けの鏡の上を何度目かの光が横切ったときに、鏡の中に何かが見えた。はっとして、なめるように鏡を照らしそれを探す。反射するまぶしい光を浴びながら、鏡越しの後ろ、開放されたままの入り口のドアの影に、そいつがいるのが見えた。
 そいつは、思った通りのネズミには間違いなかったのだが、あろうことか燕尾服を着て二本足で突っ立っていた。目を疑い、鏡で見るのではなくじかに確認しようと振り向けば、見間違ってなどなくちゃんとそいつはドアの影からこちらをうかがっている。蝶ネクタイまでしたそいつは、ネズミにしては大きい。20センチはあるように見える。なんだおまえは、と言いたかったが声に出ない。こんな展開になるなら、田中さんに言った通りほうきを持ってくるべきだった。
 ほうきが無いからヤツを振り払えなかった。代わりにしっしっしっと何度か足で空中を蹴って威嚇すると、やめろよ、とヤツはしゃべった。仲間じゃないか、とヤツは続ける。何を言う、お前のような仲間などいたためしなどない。こころなしか、ひげをひくひくさせているようにも見える。余裕があるようなにやけた顔だ。富川とちゃんと会えよ、とヤツがまたしゃべって僕はどきりとする。こいつはもしかして高校時代の生徒会長・林の化身なのではないか?林は生きた人間だが、何かの拍子に僕のもつイメージ通りの姿で化けて出たのだ。もう、そうだと決めつけていた。
 それからやや間があいた。お互い、無言になり微動だにしなかった。緊張しつつ、にらみあう……いや、緊張しているのはどうやら僕だけのようではあった。ヤツの出方を待つ。林だと思われるネズミにしてみても、何か意図があってここに登場したのだろうから、さらに何か動きを見せる可能性が濃厚にあったからだ。富川と会えとはどういうことなのだ。富川とまた夢で会って今度は話をしろと言うのか。それとも、現実の富川に会えというのか。
 富川に対して、僕には捨てきれない未練があることを自覚した。くすぶり続ける後悔を、こころの中の気づけないところに宿していた。
 林の目に僕の心理がすべて見すかされているような気がした。くわえて、普段オカルト的な思考とは距離を置いている僕でさえも、このような場面に出くわすと、林にはなんらかの霊的な力が備わっているように思えた。言いようのない力で、僕はロックオンされ、指示されるがままに動かなくてはならなくなる予感がしていた。それは異形の林に畏怖しての直観だった。
 いや、でもそれは気のせい、愚かしいくらいの気の迷いだったことがすぐにわかる。なぜなら、その燕尾服のネズミの正体とは、壁からはがれ落ちた紙に書かれたイラストだったからだ。〈電気はこまめに消しましょう〉と丸文字の太いフォントで書かれた注意書きの大きなイラストのネズミを見たにすぎなかったのだ。仰天してしまったせいで、妙なセリフまで妄想した上、気づくのに遅れたのだ。まさに、幽霊の正体見たり枯れ尾花だった。
 しかし、いまだかさかさという音は続いていた。その音の本物の主は、洗面所の下にいたらしく、正気づいた僕はやっとその姿を簡単に見出した。そいつはちょこまか走る小ネズミだ。燕尾服などきていない正真正銘の小ネズミだった。うっ、とわずかな声を漏らした僕は、一歩たじろいだが、すぐさままた我を取り戻し、つまみあげて放り投げようと考えた。さっきまでの情けなさが底を打ってはね返り、ようやく勢いが出たようだ。だが、まあいいか、とそのまま給湯室にはなにもいなかったことを装うことにした。小ネズミよ、ここのドアを開けっぱなしにしておくから、そのうちに出ていってくれ。
 その夜はそれ以外に変わったこともなく、僕は宿直室でエアコンの温風にあたりながら羊羹をかじりこの時期の遅い夜明けを迎えた。やれやれだった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする