読書。
『消費者行動の知識』 青木幸弘
を読んだ。
消費者行動論の概説書です。
消費者は、どう考えて買うのか。
なにがその源泉にあり、なにに影響を受け、なにを買うのか。
そういったことを、社会学、心理学、経済学、情報処理論
などなどを駆使して解き明かそうとする学問領域です。
消費者行動論の歴史も含めて、
ざーっと、一応のかたちで紹介する内容ですが、
それでも、興味を惹く章や節にあふれています。
ノードだとかチャンクだとか、
ぼくの知らない言葉がでてきて、
そういったところをカバーできる国語力と知識があれば
もうちょっと違う感想を持つかもしれないのですが、
カバーできない、つまり力が足りないなりになのですが、
すこし物足りなさを感じました。
それはきっとこの消費者行動論が広大な範囲で、
200ページくらいじゃ収まりきらないからです。
消費ついて、
可処分所得ばかり言われるのかと思ってたら、
ちゃんと可処分時間(余暇を使う時間をぼくなりに表現)についても言われていて、
というか、可処分時間についての記述のほうが多くて、
そういう本でよかったなあと思いました。
自由に使える時間があってこそ消費ができる。
消費できる時間がからこそ、モノやサービスを購買できる。
また、時間を作るための消費もあるんですよね。
また、
最後の方ででてきましたが、
「関与水準の高低」なんていう見方が社会心理学であるんですね。
これですよねー、高い関与水準で本を読んだりすると身になるし、
低い関与水準で勉強しても身にならないっていうのは。
関与水準の高低には、
自分の生き方にとって大事なものは何かってのがかかってきます。
「本気でやんなさい」なんてよく言われるけれど、
その「本気」になれるかどうかは、
自分がどう生きたくて何を大事にしたくて何を知りたいか
っていうところまで虫眼鏡でみてみないと、わかんないんですよね。
そこまでしてから、
「ぼくはここで本気になるべきなんだ」とわかることだってあるでしょう。
自覚ですよ、自覚。
僕個人の場合は、
生きやすい世の中になっていくためにはどうしたらいいんだろう、というのがあった。
そして、そこから小説を書くことという方向にも芽がでた。
だから、関与水準の比較的高い状態で読書をするんだろうなあ。
それでもよく得た知識を忘れていくのだけれど。
高い関与水準で行動するようになるその源泉を、
ロマンティックに、
でもちょっとけばけばしくデコレートすると、
「夢」になるのかもしれないですね。
消費ひとつとってもみても、
その背景、前段階、処分の段階などまで考えて、
因数分解していくと、
新書一冊ではおさまりきらない領域の学問になるんですね。
ひとは、消費だとか、意識せずにやりますが、
言葉にするとこんなに情報量が多い。
シンプルにみることはできますけども、
でも、じくりみてみると、
いかに、ひとって複雑に生きているのか、なんて思えました。
『消費者行動の知識』 青木幸弘
を読んだ。
消費者行動論の概説書です。
消費者は、どう考えて買うのか。
なにがその源泉にあり、なにに影響を受け、なにを買うのか。
そういったことを、社会学、心理学、経済学、情報処理論
などなどを駆使して解き明かそうとする学問領域です。
消費者行動論の歴史も含めて、
ざーっと、一応のかたちで紹介する内容ですが、
それでも、興味を惹く章や節にあふれています。
ノードだとかチャンクだとか、
ぼくの知らない言葉がでてきて、
そういったところをカバーできる国語力と知識があれば
もうちょっと違う感想を持つかもしれないのですが、
カバーできない、つまり力が足りないなりになのですが、
すこし物足りなさを感じました。
それはきっとこの消費者行動論が広大な範囲で、
200ページくらいじゃ収まりきらないからです。
消費ついて、
可処分所得ばかり言われるのかと思ってたら、
ちゃんと可処分時間(余暇を使う時間をぼくなりに表現)についても言われていて、
というか、可処分時間についての記述のほうが多くて、
そういう本でよかったなあと思いました。
自由に使える時間があってこそ消費ができる。
消費できる時間がからこそ、モノやサービスを購買できる。
また、時間を作るための消費もあるんですよね。
また、
最後の方ででてきましたが、
「関与水準の高低」なんていう見方が社会心理学であるんですね。
これですよねー、高い関与水準で本を読んだりすると身になるし、
低い関与水準で勉強しても身にならないっていうのは。
関与水準の高低には、
自分の生き方にとって大事なものは何かってのがかかってきます。
「本気でやんなさい」なんてよく言われるけれど、
その「本気」になれるかどうかは、
自分がどう生きたくて何を大事にしたくて何を知りたいか
っていうところまで虫眼鏡でみてみないと、わかんないんですよね。
そこまでしてから、
「ぼくはここで本気になるべきなんだ」とわかることだってあるでしょう。
自覚ですよ、自覚。
僕個人の場合は、
生きやすい世の中になっていくためにはどうしたらいいんだろう、というのがあった。
そして、そこから小説を書くことという方向にも芽がでた。
だから、関与水準の比較的高い状態で読書をするんだろうなあ。
それでもよく得た知識を忘れていくのだけれど。
高い関与水準で行動するようになるその源泉を、
ロマンティックに、
でもちょっとけばけばしくデコレートすると、
「夢」になるのかもしれないですね。
消費ひとつとってもみても、
その背景、前段階、処分の段階などまで考えて、
因数分解していくと、
新書一冊ではおさまりきらない領域の学問になるんですね。
ひとは、消費だとか、意識せずにやりますが、
言葉にするとこんなに情報量が多い。
シンプルにみることはできますけども、
でも、じくりみてみると、
いかに、ひとって複雑に生きているのか、なんて思えました。