Fish On The Boat

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『ユマニチュード入門』

2019-12-11 19:17:52 | 読書。
読書。
『ユマニチュード入門』 本田美和子 イヴ・ジネスト ロゼット・マレスコッティ
を読んだ。

フランスで生まれた、
介護ケアの哲学であり、方法論であり、技術であるのが、
このユマニチュードです。
考案者のイヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏、
自らの入門講座。

帯には「認知症ケアの新しい技法」と銘打ってありますが、
表紙カバー裏には、
「ケアを必要とするすべての人に使える、汎用性の高いもの」
と書かれていて、読了した僕にもそう思える内容でした。

<人は、他者から人として遇されなければ
「人たる特性」を持つことができません。
あなたが私を人として尊重し、
人として話しかけてくれることによって、
私は人間となるのです。>『ユマニチュード入門』裏表紙カバー裏の文言。

母親を介護している身としてそのとおりだと思うし、大切な前提でしょう。

人間扱いしなくなることによって、
被介護者は人間性を無くしていき介護がどんどん困難になっていくし、
介護するほうもそんなふうに人を扱うことで
人間性をなくしすさんでいったりもする、つまり悪循環。

「いわゆる効率化」で、
被介護者の気持ちを考えずに抑制したり拘束したり
無理に手をつかんでひっぱっていったりしてしまうけれど、
ユマニチュードの方法論で「いわゆる効率化」をやめると、
被介護者が人間性を取り戻していき
介護がうまく回るようになっていくようで、
これはほんとうの効率化になる。

実践は難しいことは難しいけれども、
とくに介護する側のこころに大きくやわらかくポジティブに作用するのが
ユマニチュードだと思った。

怒鳴ったり、無理に掴んでひっぱっていったりするのって、
自分の本意に反する点でまず介護する側のこころがやられるし、
そういう行為に慣れたら慣れたで道を踏み外す選択を
不可抗力的にしてしまったことになります。
ユマニチュードの哲学、方法論、技術は、
うまく巷間に浸透するならば、超高齢社会の光になるのではないか。

ユマニチュードの基本は、
「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つです。
それらを正しく行うことで、人間らしい介護ができるようになるし、
介護者も被介護者も幸せな状態に1段階(あるいはそれ以上)シフトすると思う。
本書では、哲学を語った上で、
イラストをまじえて実践の方法を説明しています。
むずかしい本ではないので、介護に疲れて本を読む気もおきないような人でも、
少しずつだったら負荷なく、でも得るものを得ながら読めるでしょう。

最後に個人的な感想を含めて。

ケアの中心にあるのは、
病気や障害ではなく、ケアを必要とする人でもない、と書かれている。
じゃあ、なにがケアの中心にあるのか。
それはケアを受ける人とする人の「絆」である、と。
むむむ、と考えてみるとつまり、「関係性」だ。
相手だけでもなく、自分だけでもないものだ。

そしてその「絆」はフェアなものであるかどうかが大事なのではないか。
それは他者を尊重し自分も尊重するということだけれど、
ある人にとっては「絆」がそういった種類のものではなく、
他者(ケアされる人)は自分に従属しているとする封建的な「絆」だったりもする。
在宅介護で旦那が奥さんを看ている場合とか。

僕の家の在宅介護の状況をみていても、
ケアの中心に母をおいて父が献身的にやっているかと思うときもあれば、
「お前のためなんだ」をダシにして自分の不安を中心にして
強制ケアをしているように思えるときもある。
で、「絆」を中心にしているようなときも、
その文脈がコロコロ変わっているような気がする。

そこをしっかり改めて、
「絆」を自分と他者はフェア(対等で公平)なものだ、
と認識することが前提としてのものと固定できたら、
それだけで環境が変わるから、
母も「ひとりの人間として扱われている感覚(人としての尊厳)」を持ちやすくなり、
良い方向に向くかもしれない。
大体、僕と母二人の時だと症状は軽い。

つまりは、長い月日をかけてこじれにこじれてしまい、
面倒くさくて視野が狭くて頭が硬くてっていうふうになった父のケアを十分にやるほうが、
まわりまわって母の介護はうまい方向へ向かうんだろう。
しかし、もうこじれすぎていてどうなるかはわからないのだけれど。
それでも、やってみる価値はあると思いました。


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