読書。
『きみはポラリス』 三浦しをん
を読んだ。
すべて愛や恋をモチーフに作られた短編集です。
小説を読むときには、
その作者の文章のリズムに、
読んでいる自分の呼吸が合ってきてからが
ほんとうに楽しめる読書時間になっていくのではないでしょうか。
僕の場合、読書の始めの頃は、
ためつすがめつ、といった体で、
読書スピードもぜんぜん速くなりません。
内容もいくらか遠目に客観性をもって知っていく感じです。
でも、そのぶん、文章や文体、
言葉の選び方などの、
書くことにおける作家の頭の使いかたをわかるには、
いちばん都合のよい時間帯になります。
「ははあ、ここではこういう感覚で書いたんだろうな」
といったように、
作家が仕事をしている脳内状況を
ちょっと体験できるような感じがする(勝手な錯覚に近いかもしれないですが)。
なんというか、その小説を書いているときの作家の感覚が
ふわっと読み手の僕に重なってくる。
そこを、憑依、というと言い過ぎです。
作家があくせく過ごした時間の名残が、
読書する僕の傍らをすうっと通りすぎて、
半透明になった仕事の痕が眼前に流れていく。
これでもちょっと大仰ですが、
その感覚を言葉にするとこういうふうになります。
それで、文章に慣れてきますと、本の内部に深く没入してしまい、
もう文体がどうだとかは、ほとんどわからなくなります。
ただ、キャラクターがどこでどうしている、
どう行動しどういう心理にある、
といったことばかりに意識が集中して、
客観性がうすらぎ、なかば本と一体化していく。
これは、楽しいひとときです。
享楽です。
ただ、書き手としてなにかを学びたくて読んでもいるので、
どこか堕落してしまったような敗北感はあります。
でも、その敗北感すら、まあいいんだよ今は、
と打っ棄ってしまって読書を続けていく。
というような、小説の読み方が僕のスタンダードなのです。
怜悧な目で一冊読んだり、
ただただ楽しむために一冊読んだり、
メリハリつけて読むことができると、
書き手としての技術面はもっと早く向上するような気がするんですが、
なかなか、僕の性質的にはそうはならないんですね。
で、今回の『きみはポラリス』。
最初の二篇まではちょっと気持ちが乗らないし、
文章についても感じ入るものがないというか、
センサーが働かないというかだったので、
楽しめない読書になるのでは、と時間の浪費を危ぶんでしまいました。
二篇目の『裏切らないこと』の最初のシーンで描かれたものは、
おそらく村上龍『コインロッカーベイビーズ』から拝借したものでしたし、
オマージュなんでしょうけど、「そこを使うかー……」と思ってしまいました。
さらに話の展開の中で『赤毛のアン』の、
グリーンゲイブルズの二人の里親が元ネタなのでは?
と、野暮なことではあるんですが、気にしだしちゃって、
あんまり楽しめなかったんです。
が、しかしです。
三篇目の『私たちがしたこと』がよかった。
うわっ、と思ってしまった。好い意味でです。
当たり障りない話ではないものを、正攻法で書いている。
その後は十一篇目までしっかり楽しめました。
やっぱりプロの作家だ、直木賞を獲った人だ、と
読み終わったとき、満足の長い息が出もしました。
キャラクターものの作品では、
そのキャラクターがとても活き活きとしているし、
いろいろな話をこしらえることができる作家の引き出しの多様さも想像できました。
そして、それまでの作家の人生経験のなかからなんでしょうか、
アフォリズムのような、つよく読み手に実感を与える場面や心理描写などなど、
しっかりと文章に落としこめる技術と積極性があって、
そういうところは、僕ももっと身につけないといけないなあと感じ入りました。
三浦しをんさんの作品は『舟を編む』以来二作目ですが、
多作な方なので、またいつか、別の作品に触れてみたいです。
『きみはポラリス』 三浦しをん
を読んだ。
すべて愛や恋をモチーフに作られた短編集です。
小説を読むときには、
その作者の文章のリズムに、
読んでいる自分の呼吸が合ってきてからが
ほんとうに楽しめる読書時間になっていくのではないでしょうか。
僕の場合、読書の始めの頃は、
ためつすがめつ、といった体で、
読書スピードもぜんぜん速くなりません。
内容もいくらか遠目に客観性をもって知っていく感じです。
でも、そのぶん、文章や文体、
言葉の選び方などの、
書くことにおける作家の頭の使いかたをわかるには、
いちばん都合のよい時間帯になります。
「ははあ、ここではこういう感覚で書いたんだろうな」
といったように、
作家が仕事をしている脳内状況を
ちょっと体験できるような感じがする(勝手な錯覚に近いかもしれないですが)。
なんというか、その小説を書いているときの作家の感覚が
ふわっと読み手の僕に重なってくる。
そこを、憑依、というと言い過ぎです。
作家があくせく過ごした時間の名残が、
読書する僕の傍らをすうっと通りすぎて、
半透明になった仕事の痕が眼前に流れていく。
これでもちょっと大仰ですが、
その感覚を言葉にするとこういうふうになります。
それで、文章に慣れてきますと、本の内部に深く没入してしまい、
もう文体がどうだとかは、ほとんどわからなくなります。
ただ、キャラクターがどこでどうしている、
どう行動しどういう心理にある、
といったことばかりに意識が集中して、
客観性がうすらぎ、なかば本と一体化していく。
これは、楽しいひとときです。
享楽です。
ただ、書き手としてなにかを学びたくて読んでもいるので、
どこか堕落してしまったような敗北感はあります。
でも、その敗北感すら、まあいいんだよ今は、
と打っ棄ってしまって読書を続けていく。
というような、小説の読み方が僕のスタンダードなのです。
怜悧な目で一冊読んだり、
ただただ楽しむために一冊読んだり、
メリハリつけて読むことができると、
書き手としての技術面はもっと早く向上するような気がするんですが、
なかなか、僕の性質的にはそうはならないんですね。
で、今回の『きみはポラリス』。
最初の二篇まではちょっと気持ちが乗らないし、
文章についても感じ入るものがないというか、
センサーが働かないというかだったので、
楽しめない読書になるのでは、と時間の浪費を危ぶんでしまいました。
二篇目の『裏切らないこと』の最初のシーンで描かれたものは、
おそらく村上龍『コインロッカーベイビーズ』から拝借したものでしたし、
オマージュなんでしょうけど、「そこを使うかー……」と思ってしまいました。
さらに話の展開の中で『赤毛のアン』の、
グリーンゲイブルズの二人の里親が元ネタなのでは?
と、野暮なことではあるんですが、気にしだしちゃって、
あんまり楽しめなかったんです。
が、しかしです。
三篇目の『私たちがしたこと』がよかった。
うわっ、と思ってしまった。好い意味でです。
当たり障りない話ではないものを、正攻法で書いている。
その後は十一篇目までしっかり楽しめました。
やっぱりプロの作家だ、直木賞を獲った人だ、と
読み終わったとき、満足の長い息が出もしました。
キャラクターものの作品では、
そのキャラクターがとても活き活きとしているし、
いろいろな話をこしらえることができる作家の引き出しの多様さも想像できました。
そして、それまでの作家の人生経験のなかからなんでしょうか、
アフォリズムのような、つよく読み手に実感を与える場面や心理描写などなど、
しっかりと文章に落としこめる技術と積極性があって、
そういうところは、僕ももっと身につけないといけないなあと感じ入りました。
三浦しをんさんの作品は『舟を編む』以来二作目ですが、
多作な方なので、またいつか、別の作品に触れてみたいです。