読書。
『いま見てはいけない デュ・モーリア傑作集』 ダフネ・デュ・モーリア 務台夏子 訳
を読んだ。
映画監督アルフレッド・ヒッチコックが手がけた
『レベッカ』や『鳥』という映画の原作は、
今回読んだ傑作集の著者であるダフネ・デュ・モーリアによるものです。
本書のタイトルにもなっている『いま見てはいけない』も、
ヒッチコック監督ではないですが、
70年代に『赤い影』として映画化されているそうです。
全5編あるなか、
まず、先陣を切っている表題作の『いま見てはいけない』から。
ヴェネツィアに観光旅行に来ている、
水難事故で幼い娘を無くしたばかりの夫婦の夫が主人公です。
旅先で出会った、霊感を持つらしい老姉妹に、
夫は不信感を持つのですが……。
エンタメの神髄的な、語りのうまさ、構造や設定の巧みさ、
そして、終わり方の見事さに、もう舌を巻きました。
読了した瞬間、あっ、と思ったら頭が真っ白になり、
しばらく放心したため、その次の作品を読むのをあきらめて
寝たくらいです(まあ、すでに夜中でしたが)。
続いて、『真夜中になる前に』。
ギリシャのクレタ島へ休暇にやってきた美術教師の男性が主人公。
なにげないところで生じる奇妙さの連続が、
それを気にすることでどんどん日常を歪めていくような話。
人間心理の怖さとしても読めるし、
神話を織り交ぜているので、祟りだとかそういうオカルト的にも読めます。
次に、『ボーダーライン』。
父の死の瞬間にひとり立ちあう事になったまだ20歳の役者志望の娘が主人公。
父の旧友に会いにいくことからドラマが始まっていきます。
世界の表裏をつうじて、進行するラブストーリー的なところがありますが、
主人公の女性の冒険というか、彼女が個人的に探偵ごとをするので、
サスペンス形式みたいになっています。
ちょっとしたハードボイルドとも言えるんじゃないだろうか、女性が主人公でも。
敵対しながらも惹かれあう、っていうところがよかったです。
そして、『十字架の道』。
急きょエルサレムのガイドの代役をまかされることになった
若き牧師を中心とした群像劇です。
群像劇ものってたぶん読んだことがなかったですから、新鮮でした。
こんなに複雑になるものなんだ、と。
登場人物がみんな独自の世界観のなかで生きていて、
違う方向を向いて生きています。
それをちまちま克明に書いていったら、
たぶん読み手は面倒くささを感じると思うのですが、
作者はちゃんと踏みとどまって、物語的な佳境にもっていく。
ちゃんとエンタメにしています。
最後に、『第六の力』。
これはSFです。
主人公が出向を命ぜられた先が、
政府筋の、あやしい研究をしているらしい研究所なのです。
まず、そこまでたどり着くまでの描写で何度も笑えます。作者の力量ですね。
デュ・モーリアという人は、こういう技術もあるんだなあ、と。
物語の終わりにむけて、だんだんシリアスにもなっていきますが、
その高低差は計算されているんでしょうね。
科学面での細かいところの設定では、とりあえずの説得力をもっています。
作者がいろいろな知識をそれなりの深さで取り入れる力量があるからですね。
さすがの知的体力。
そして、その裏付けとなるような設定を読者の腑に落ちる段階に作り上げたならば、
そこから壮大な幻想の影を持った現実的物語はすすんでいきます。
そういう構造を見つめてみると、やっぱり序盤にいくつかの笑い、滑稽さを持ちこんだのは、
全体のバランスのとり方として上手だなあと思えます。
というような、5編です。
いろんなことをやっています。
そりゃあ、5編だけを集めているわけですから、
その他の作品を読んでみない分には断定できませんが、
焼き直し的なものは一切ない。
すべてまっさらなところから作り上げた、
オリジナリティー十分の、独立した5編でした。
肝が座っているというか、体力があるというか、
姿勢が違うというかで、すばらしいです。
僕は今回、デュ・モーリアに触れるのは初めてでしたが、
長編『レベッカ』と、そして『鳥』の収録されている短篇集もそのうち
読んでみようと思いました。
おもしろかったです。
『いま見てはいけない デュ・モーリア傑作集』 ダフネ・デュ・モーリア 務台夏子 訳
を読んだ。
映画監督アルフレッド・ヒッチコックが手がけた
『レベッカ』や『鳥』という映画の原作は、
今回読んだ傑作集の著者であるダフネ・デュ・モーリアによるものです。
本書のタイトルにもなっている『いま見てはいけない』も、
ヒッチコック監督ではないですが、
70年代に『赤い影』として映画化されているそうです。
全5編あるなか、
まず、先陣を切っている表題作の『いま見てはいけない』から。
ヴェネツィアに観光旅行に来ている、
水難事故で幼い娘を無くしたばかりの夫婦の夫が主人公です。
旅先で出会った、霊感を持つらしい老姉妹に、
夫は不信感を持つのですが……。
エンタメの神髄的な、語りのうまさ、構造や設定の巧みさ、
そして、終わり方の見事さに、もう舌を巻きました。
読了した瞬間、あっ、と思ったら頭が真っ白になり、
しばらく放心したため、その次の作品を読むのをあきらめて
寝たくらいです(まあ、すでに夜中でしたが)。
続いて、『真夜中になる前に』。
ギリシャのクレタ島へ休暇にやってきた美術教師の男性が主人公。
なにげないところで生じる奇妙さの連続が、
それを気にすることでどんどん日常を歪めていくような話。
人間心理の怖さとしても読めるし、
神話を織り交ぜているので、祟りだとかそういうオカルト的にも読めます。
次に、『ボーダーライン』。
父の死の瞬間にひとり立ちあう事になったまだ20歳の役者志望の娘が主人公。
父の旧友に会いにいくことからドラマが始まっていきます。
世界の表裏をつうじて、進行するラブストーリー的なところがありますが、
主人公の女性の冒険というか、彼女が個人的に探偵ごとをするので、
サスペンス形式みたいになっています。
ちょっとしたハードボイルドとも言えるんじゃないだろうか、女性が主人公でも。
敵対しながらも惹かれあう、っていうところがよかったです。
そして、『十字架の道』。
急きょエルサレムのガイドの代役をまかされることになった
若き牧師を中心とした群像劇です。
群像劇ものってたぶん読んだことがなかったですから、新鮮でした。
こんなに複雑になるものなんだ、と。
登場人物がみんな独自の世界観のなかで生きていて、
違う方向を向いて生きています。
それをちまちま克明に書いていったら、
たぶん読み手は面倒くささを感じると思うのですが、
作者はちゃんと踏みとどまって、物語的な佳境にもっていく。
ちゃんとエンタメにしています。
最後に、『第六の力』。
これはSFです。
主人公が出向を命ぜられた先が、
政府筋の、あやしい研究をしているらしい研究所なのです。
まず、そこまでたどり着くまでの描写で何度も笑えます。作者の力量ですね。
デュ・モーリアという人は、こういう技術もあるんだなあ、と。
物語の終わりにむけて、だんだんシリアスにもなっていきますが、
その高低差は計算されているんでしょうね。
科学面での細かいところの設定では、とりあえずの説得力をもっています。
作者がいろいろな知識をそれなりの深さで取り入れる力量があるからですね。
さすがの知的体力。
そして、その裏付けとなるような設定を読者の腑に落ちる段階に作り上げたならば、
そこから壮大な幻想の影を持った現実的物語はすすんでいきます。
そういう構造を見つめてみると、やっぱり序盤にいくつかの笑い、滑稽さを持ちこんだのは、
全体のバランスのとり方として上手だなあと思えます。
というような、5編です。
いろんなことをやっています。
そりゃあ、5編だけを集めているわけですから、
その他の作品を読んでみない分には断定できませんが、
焼き直し的なものは一切ない。
すべてまっさらなところから作り上げた、
オリジナリティー十分の、独立した5編でした。
肝が座っているというか、体力があるというか、
姿勢が違うというかで、すばらしいです。
僕は今回、デュ・モーリアに触れるのは初めてでしたが、
長編『レベッカ』と、そして『鳥』の収録されている短篇集もそのうち
読んでみようと思いました。
おもしろかったです。