Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『はじめての構造主義』

2020-02-02 19:23:45 | 読書。
読書。
『はじめての構造主義』 橋爪大三郎
を読んだ。

1988年刊の本です。
その時代の空気を思い出させる、特有だった軽妙な文体がなつかしい。

ジーンズのリーバイ・ストラウス(リーバイス)を
フランス語読みするとレヴィ=ストロースなのを今さらながら知ったのでした。
という枕からはいりますが、
今回読んだのは、人類学者で構造主義の本丸、
レヴィ=ストロース中心の構造主義解説書なのでした。
構造主義の入門書は通算二冊目になります(入門から先に進めません……)。

レヴィ=ストロースの人類学を見ていけば、
最近読んだ本たちによくでてきた、
黒人奴隷の問題の出口がわかってくるかもしれないという予感の元、読み進めていきました。
まあ、構造主義自体もう何十年も前にでてきたものなので、
そのころからすでに開かれた出口ではありますが、
今でも解決されていない問題ですし、
かといってそれ以降よい方向へ向かわせてもきただろうから興味がありました。

構造主義の「構造」とはなんぞや、といえば、
人間でも物事でも社会でも、その根っこの部分の仕組み、みたいなもの、
と言えるでしょう。
因数分解していって残ったところで眼前にあらわれる法則、と言い換えてもいいです。
そして、付け加えるならば、
それははっきりと言葉にできないし、
はっきり見えません。
それが「構造」なんだと理解しています。

たとえば、言葉にするとき、文章にするときに、
その元となる動機があると思うんです。
それは言葉になる前の状態なので、
ふわふわどろどろと形もなく、まだ名付けられてもいない。
そういうところを動機とし、スタートとして、
言葉が生まれる。
もうちょっと厳しく言うと、
言葉に当てはめる。
要は言葉という枠にはめることなので、
言葉になる前のふわふわどろどろしたものと、
言語化したものは等価ではありません。

まあ今回はそこのところはいいとして、
そのふわふわどろどろしたものを見つめてみる行為と、
「構造」を見つめてみる行為はちょっと似ているんじゃないでしょうか。
そんな見方をして知覚するのが「構造」なんじゃないでしょうか。
「構造」というものについては、まあ、そのくらいにしておきます。

レヴィ=ストロースの構造主義的人類学で見えてきたのは、
欧州中心主義の否定です。
それは、奴隷にされたアフリカの黒人や、
アメリカ先住民、オーストラリア先住民、アジア人など、
いわゆる未開の(あるいは未開とされた)民族への差別を許さないものでした。
欧州人は自分たちが優れている前提で彼らを頂点とするヒエラルキーを作りました。
そして、レヴィ=ストロースは、そんなヒエラルキー由来の、
欧州人が自分たちよりも下位に位置する民族たちからはいくらでも搾取をしていいのだ、
という植民地主義の間違いを露わにしたのです。
著者の橋爪さんは、
「西欧近代の腹のなかから生まれながら、西欧近代を食い破る、相対化の思想である」
と本書のはじめのほうで構造主義を表現していました。
そのくらい、衝撃的な思想なんですね。

本書はレヴィ=ストロースの仕事をなぞっていってくれています。
そこで、こういうレヴィ=ストロースの知見がでてきます。
「価値があるから交換する」ではなく「交換するから価値がある」でもなく、
「ただ交換のために交換する」というものです。
それをレヴィ=ストロースは、
人類学からコミュニケーション論に持っていったそうですが、
その点も僕には大いに肯けました。
その知見を通して私たちの日常生活を見てみると、
人は、内容なんかなかったとしても、他者に声をかけることが実は一番の目的
っていう欲求的な所(「構造」)に行き着くからです。
僕もそう思う人ですし、そのような小説を書いたこともありますから、
なお肯きました。

また、以前にリップマン『世論』を読んだときにでてきて、
そうだよなあ、と思った知見ですが、
人それぞれ考え方が違うから、それぞれが同じ対象に対して違う真理を見てしまう、
というのがありました。
人は見たいようにそれを見る、っていうものですけれど、
どうやらリップマン以前に、カントがその哲学で、そこをいろいろやったんですね。
本書で解説されていました。

だから多人数でいろいろな考え方をぶつけあう議論をしよう、っていうのが
ネット世界でもありますけれど、そういうものを含めてカント的ですよね。

それと、ひところ言われた「集合知の高みにたどりつけるのでは」っていう考え方よりも、
カントの言うような、
「みんなで話し合えばとりあえず中の上くらいのところには落とせる」
という考えを前提としたほうがうまくいきそうです。

一人や二人じゃたどりつけない高みを、みんなの知恵をだしあって目指そう!
っていう志で議論していくと、唯一の真理を目指すみたいなことになる。
そこで、たとえばイカロスの話。
彼は翼を得てどんどん太陽へと目指して飛んでいき、
そのうち太陽熱でロウ製の翼が溶けて墜落死した神話だけれど、
比喩的に読めてくわばらくわばらと思っちゃいます。

あと、今ちょっと出てきましたけれど、
「真理」についての構造主義の態度も「なるほど」と思えます。
「真理」とは「制度」だっていうんですが、
そこへの理路がおもしろいです。
ここに書き連ねるのは大変なので(何ページも写してしまわないといけない)割愛しますが、
とても説得力がありました。

と、まあ、そんなところです。
構造主義って実はその考え方が、けっこうこの日本の、今日において、
断片的にだけれど、いろいろなところに食い込んでいるように思えました。
それは個人個人のなかでも、
ちょっとしたところに構造主義的な思考回路を持っていたりするという影響を受けている。
こういった思想関係、近代から構造主義、そしてポスト構造主義なんかを
入門書レベルであってもみんなが体系的に学んだら、
たぶん思いのほか国民の生きざまが骨太になっていく、
そんな予感めいた思いを抱きつつの読了となりました。
おもしろかったです。


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