読書。
『日本人の美意識』 ドナルド・キーン 金関寿夫 訳
を読んだ。
日本文学・日本文化の研究で名高い著者の代表作。論説やエッセイなど9編収録。和歌や古典、能、建築などを例に、日本人の美意識というものをあきらかにした標題作の論説から始まります。
日本の寺社建築の飾り気のない簡素な線で作られている単純性などに現われているように、日本人の美意識は禅の美学と相通じるものがあると著者は指摘しています。くわえて、モノクローム、曖昧性、暗示性、といったものを好む美意識についても述べていますし、その暗示性を発揮し保つために、均斉や規則正しさを避けるところがあったことを指摘しています。規則正しいものって、その目的がはっきり明確なるがゆえ、暗示的な要素が消し飛んでしまいます。
続く『平安時代の女性的感性』いう論説では、日本の文学は多くの傑作が女性によって書かれたことを指摘しています。いつの時代もそうだったわけではありませんが、八世紀から十三世紀にかけてめざましいものがあった、とあります。それまで中国の文化の影響で、男性社会で用いられる漢文こそが公式の文書となり、かな文字は女性が使うものとして軽んじられてきたわけですが、そのかな文字こそ日本人の感性が引き立つものでした。そして、女性作家の作品が持つ内面性が、『源氏物語』『枕草子』『更級日記』などにはよく宿っているわけで、現代の日本文学にとっても、明治以来、西洋文化の洗礼を受けても、そういったところが始祖となっていて、受け継がれているところなのでしょう。
日清戦争が与えた日本文化への影響という骨太の論考もあります。浮世絵の一種である錦絵がその当時人気があり、戦争画がよく売れたようですが、だんだん写真にとってかわられていく。演劇も、それまでの主流としての歌舞伎ではなく新劇の人気が出はじめますが、その理由は戦争劇にありました。歌舞伎の方法論ではうまく日清戦争を伝えられず、新劇の写実性がウケたわけです。そのころの民衆はまったくもって戦争支持で、戦況を伝えるニュースに多くの人たちが興奮していたみたいです。明治維新から太平洋戦争まで。どうして国が変わっていったのかをわかるには、その間の日清戦争と日露戦争の影響の大きさがあるのですね。世界的な、時代の潮流に巻き込まれもしながら、そうやって日本は国家主義になっていきます。
第一次世界大戦前に欧米で人気者になった元芸者の舞台女優についての論説も。芸名は「花子」。彼女を題材に森鴎外が短編を書き、ロダンは彫刻を何点も作った、と。たぶん初めて知ったことではないのだけど、初めて知ったのと変わらない知らなさでした。こういうことを知ると、その時代の幅の広さ、ダイナミックさがうかがい知れてきます。
一休和尚の論考もあるのですが、これがとてもおもしろかったです。一休さんで知られる一休宗純って、その神童時代から徐々に退廃してくような印象をその人生から受けます。酒を飲み、魚を食べ、女たちと交わった禅僧なんだけれど、当時の仏教界隈の不安定さと新たな立ち位置を見つけようという懸命さのために、そういった通常と異なる姿勢で生きることになったのかなあと思います。というか、一休は誠実であろうとしたその姿勢と当時の社会の風潮との化学反応の結果としてそうなっているふうな印象です。隠れて女遊びをする僧、教義を金儲けのために曲げる僧などがたくさんいたみたいですし、そういった在り方がメインストリームの時代だったようです。一休が残した数々の詩は文学作品としての評価はそれほど高くないそうなのだけれど、僧の身分で愛や肉欲の詩を残してなどいるその堂々としたさまが、まさに一休らしさなのかもしれない。「俺は隠し立てしない。これだけのことをやっている。悪いか」との開き直りのような叫びと挑戦。そんなふうに感じられるのです。僕が推測するに、一休のそうした行いって、偽善を働く僧侶たちが自分たちの行いを一休のように表沙汰にして平然と構えるようにさせるための誘い水でもあったのではないのでしょうか。もしも数多の僧侶たちが一休と同じように、自らの破戒を隠し立てしないようになれば、そこから一休は次の手を、それもすごく効き目のある絶妙な手を打ちに行ったのではないか。現状を覆し、より誠実な仏教界にしようとする一手の準備があったのではないか。まあでも、これはあまりにもピュアな信頼を一休に対して持ちすぎているのかもしれませんが。
というところですが、1990年発表の書籍でも、今読んで色褪せた感じはありません。現代でも生き続ける、その掘り下げられた思索と分析なのでした。本文は翻訳文なのですが、これがまたとても読みやすく、まるで翻訳ものではないかのようにするすると読めてしまうことうけあいです。海外の文化で育ってきた人物による視点だからこそ、当の日本人としたって、「なるほど、そうだったのか」と、それまでよくわかっていなかったような、はっきりしていなかった曖昧な認識を明確な言葉にしてくれているというところはあるでしょう。ちょっと大げさな喩えではあるのですが、水面に身を映す程度でしか自分の姿を見たことがなかった人が、磨かれた鏡で自分の姿をしっかり確認できた、みたいな客観的に自分を見られた経験に近いものが、本書にはあるかもしれません。
『日本人の美意識』 ドナルド・キーン 金関寿夫 訳
を読んだ。
日本文学・日本文化の研究で名高い著者の代表作。論説やエッセイなど9編収録。和歌や古典、能、建築などを例に、日本人の美意識というものをあきらかにした標題作の論説から始まります。
日本の寺社建築の飾り気のない簡素な線で作られている単純性などに現われているように、日本人の美意識は禅の美学と相通じるものがあると著者は指摘しています。くわえて、モノクローム、曖昧性、暗示性、といったものを好む美意識についても述べていますし、その暗示性を発揮し保つために、均斉や規則正しさを避けるところがあったことを指摘しています。規則正しいものって、その目的がはっきり明確なるがゆえ、暗示的な要素が消し飛んでしまいます。
続く『平安時代の女性的感性』いう論説では、日本の文学は多くの傑作が女性によって書かれたことを指摘しています。いつの時代もそうだったわけではありませんが、八世紀から十三世紀にかけてめざましいものがあった、とあります。それまで中国の文化の影響で、男性社会で用いられる漢文こそが公式の文書となり、かな文字は女性が使うものとして軽んじられてきたわけですが、そのかな文字こそ日本人の感性が引き立つものでした。そして、女性作家の作品が持つ内面性が、『源氏物語』『枕草子』『更級日記』などにはよく宿っているわけで、現代の日本文学にとっても、明治以来、西洋文化の洗礼を受けても、そういったところが始祖となっていて、受け継がれているところなのでしょう。
日清戦争が与えた日本文化への影響という骨太の論考もあります。浮世絵の一種である錦絵がその当時人気があり、戦争画がよく売れたようですが、だんだん写真にとってかわられていく。演劇も、それまでの主流としての歌舞伎ではなく新劇の人気が出はじめますが、その理由は戦争劇にありました。歌舞伎の方法論ではうまく日清戦争を伝えられず、新劇の写実性がウケたわけです。そのころの民衆はまったくもって戦争支持で、戦況を伝えるニュースに多くの人たちが興奮していたみたいです。明治維新から太平洋戦争まで。どうして国が変わっていったのかをわかるには、その間の日清戦争と日露戦争の影響の大きさがあるのですね。世界的な、時代の潮流に巻き込まれもしながら、そうやって日本は国家主義になっていきます。
第一次世界大戦前に欧米で人気者になった元芸者の舞台女優についての論説も。芸名は「花子」。彼女を題材に森鴎外が短編を書き、ロダンは彫刻を何点も作った、と。たぶん初めて知ったことではないのだけど、初めて知ったのと変わらない知らなさでした。こういうことを知ると、その時代の幅の広さ、ダイナミックさがうかがい知れてきます。
一休和尚の論考もあるのですが、これがとてもおもしろかったです。一休さんで知られる一休宗純って、その神童時代から徐々に退廃してくような印象をその人生から受けます。酒を飲み、魚を食べ、女たちと交わった禅僧なんだけれど、当時の仏教界隈の不安定さと新たな立ち位置を見つけようという懸命さのために、そういった通常と異なる姿勢で生きることになったのかなあと思います。というか、一休は誠実であろうとしたその姿勢と当時の社会の風潮との化学反応の結果としてそうなっているふうな印象です。隠れて女遊びをする僧、教義を金儲けのために曲げる僧などがたくさんいたみたいですし、そういった在り方がメインストリームの時代だったようです。一休が残した数々の詩は文学作品としての評価はそれほど高くないそうなのだけれど、僧の身分で愛や肉欲の詩を残してなどいるその堂々としたさまが、まさに一休らしさなのかもしれない。「俺は隠し立てしない。これだけのことをやっている。悪いか」との開き直りのような叫びと挑戦。そんなふうに感じられるのです。僕が推測するに、一休のそうした行いって、偽善を働く僧侶たちが自分たちの行いを一休のように表沙汰にして平然と構えるようにさせるための誘い水でもあったのではないのでしょうか。もしも数多の僧侶たちが一休と同じように、自らの破戒を隠し立てしないようになれば、そこから一休は次の手を、それもすごく効き目のある絶妙な手を打ちに行ったのではないか。現状を覆し、より誠実な仏教界にしようとする一手の準備があったのではないか。まあでも、これはあまりにもピュアな信頼を一休に対して持ちすぎているのかもしれませんが。
というところですが、1990年発表の書籍でも、今読んで色褪せた感じはありません。現代でも生き続ける、その掘り下げられた思索と分析なのでした。本文は翻訳文なのですが、これがまたとても読みやすく、まるで翻訳ものではないかのようにするすると読めてしまうことうけあいです。海外の文化で育ってきた人物による視点だからこそ、当の日本人としたって、「なるほど、そうだったのか」と、それまでよくわかっていなかったような、はっきりしていなかった曖昧な認識を明確な言葉にしてくれているというところはあるでしょう。ちょっと大げさな喩えではあるのですが、水面に身を映す程度でしか自分の姿を見たことがなかった人が、磨かれた鏡で自分の姿をしっかり確認できた、みたいな客観的に自分を見られた経験に近いものが、本書にはあるかもしれません。