Fish On The Boat

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『ことばの力学』

2023-10-15 23:56:56 | 読書。
読書。
『ことばの力学』 白井恭弘
を読んだ。

サブタイトルは「応用言語学への招待」です。応用言語学とはどういう分野か。プロローグによると、「現実社会の問題解決に直接貢献するような言語学のこと」とありました。差別などにつながる言葉はまずそうですが、言葉自体が社会問題になることがあります。また、言葉が、人間の無意識に働きかけていたり、その逆に、無意識が作用して表出されている言葉があったりします。そういった、現実との摩擦を起こしているような部分を扱う言語学といっていいのかもしれません。

十章にわかれていて、そのなかでも比較的短い分量の項で小さく分けながら、それぞれのトピックが論じられていきます。文章自体のわかりやすさはなかなかのもので、読解しやすい体裁になってて読み心地もよかったです。

それでは、いくつかのトピックを紹介しながら感想を書いていきます。

まず、方言やなまりが、自分のそれと同じか近いか遠いかで、その相手との距離感は異なってくるし、帰属意識の働き方も違うというのはそうだなあと思いました。このことの難しいところは、無意識的かつ自動的に、たとえば自分とは違ったなまりの人を気付かないうちに差別するところです。言語感覚によって、そうとう僕たちの意識は規定されているようです。ちょっと怖いところですよね。

次に、言語と認知機能について。バイリンガルのほうがモノリンガルよりも認知症になりにくく、なったとしても進行は早くなりにくいのだとあります。理由は単純に、日常的に頭をよく使うことになるからだとされています。また、二か国語を使用するにしても、その共通となる言語領域があるのだと解説されていました。人間は、まるきり別ものの二つの言語を頭に詰めるというよりも、そういった共通項を共有して母語と第二言語を発達させていくようです。名詞とか主語とか、そういう分類は共通です。うまく整理して覚えていくものだとあります。

僕が義務教育で英語を学んだときは、無味乾燥な学び方をしたものでした。本書にも例がありますが、「I am a student.」という文章を否定形にしなさい、など。「I am not a student.」とやって正解と言われますが、自分は生徒なのに生徒じゃないと言わないといけない。技術・文法面しか見ない教育方法でした。意味を汲んで理解してっていう学習じゃないと身につかないことが教育の分野でやっとわかって、今日では僕の時代のような学習・教育の仕方はされていないそうですね。後の世代の人たち、ひとまずよかったですよね(とはいえ、勉強そのものは大変でしょうけれども)。

規範主義、という主義思想についても扱っていて、著者はこれを批判してもいます。たとえば標準語を正しいとし、その正しさというものが価値を持ち、その正しさから外れるものを蔑み、差別するという帰結になる。これが規範主義です。規範、お手本、そういったものに沿って社会を秩序立てていく方法はメジャーですし大切ですが、その副作用として好からぬ効果がはっきりとあることも意識しておかないといけない。そういったことを、本書ではこの規範主義という言葉とその意味から学び取ることができるのでした。

プライミング効果、という「なるほど!」な知見についても解説がありました。これは、無意識的に抱いている私たちの先入観が、微妙にその行動に影響を与えることを示唆します。たとえば、一流学術雑誌にすでに掲載された論文を、一流大学所属の著者というもとの肩書を外し、無名大学の肩書に書き換えて再度投稿してみた実験があります。12本送ってみて、そのうち3本は再投稿されたものだと発覚してしまい弾かれるのですが、残りの9本のうち8本が不採択になったのです。つまり、無名大学だと採択率が低くなるというものでした。

まあ、プライミング効果なんていう言葉を知らなくても、僕たちはそういった心理バイアスがあることを経験的にわかっていますよね。僕は小説を投稿するときにいつも考えてしまうのですが、応募原稿の1ページ目に学歴や職歴を記載しないといけいなくて、その欄があることで僕の小説の価値が低く見られるだろうな、というのがあります。なにせ、学歴も職歴もたいしたことがないわけで。そのバイアスを突破するにはもう、ベラボーに力強い作品を作り上げるしかないわけです。

……と、それはそれとして、本の中身に戻ります。

認知機能が落ちていると診断された人が、それでも昔と変わらずきちんとしゃべることが出来ていたりする。本書の例では、要支援2の人です。周囲からは、その人の言葉がしっかりしているから、医師に認知機能が落ちていると言われていてもたいしたことはないんじゃないか、なんて判断されたりなどするのです。これ、人間の「知識の二重構造」に理由があるようです。

大雑把に言えば、認知機能に関係する知識の部分と、言語の能力に関する知識の部分は別ものだということです。このことについてちらっと、「宣言的知識」と「手続き的知識」が解説されています。この分野、かなり重要だし奥が深そうに感じました。

たとえば鬱状態でも執筆仕事はできました、といった例を僕はSNS上で読んだことがあります。「そんなの鬱じゃない」とか「執筆って楽ちんなんだ」とか、他者からそういった解釈をされてしまいがちだろうと思いますが、知能が一枚岩で機能しているわけではないとわかれば、鬱状態での執筆は「あること」になります。そして、だからといって「楽ちんということでもない」ことにもなります。

僕個人の例で言うと、過労状態(鍵をかけるときに毎度鍵を落っことす、会計の時に財布を落っことす、仕事が覚えにくいあるいは覚えられない、買ってあるものを別の日にまた買ってしまうなど)にあっても、本の簡単なレビューくらいならまず書けるし(掘り下げようとするとなかなかきつくはあります)なんとか創作もいける。でも傍からは、疲れてなんていないだろう、と見られる。

そういう齟齬を埋める知見だと思うんですよ、「知識の二重構造」って。厳密に言うと、二重どころかもっと分割して捉えているものらしいです。こういうのって、「好きなことだけはやるわけだ」とか「遊べるくらい元気なのに」と人の心を問題視して個人攻撃することを、それは間違いだと正せるきっかけになる知見なのではないでしょうか。無知や無理解が、個人を攻撃したり心のせいにしたりする原因になっていることって、けっこうありがちではないかなあ、と思います。

というところです。200ページ弱の新書ではありますがしっかりした中身で、ページを繰るたびに知る喜びを得ながらの読書でした。テンポよく知見や知識を知ることができたのです。応用言語学という分野自体もおもしろそうですが、英語圏にくらべて日本では関連書はほとんどないそうです。残念に思いました。


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