Fish On The Boat

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『ひらめきはカオスから生まれる』

2024-09-06 21:49:17 | 読書。
読書。
『ひらめきはカオスから生まれる』 オリ・ブラフマン ジューダ・ポラック 金子一雄 訳 入山章栄 解説
を読んだ。

もちろん秩序は大切なのだけれど、ひらめきを得て創造するためには(そして精神衛生面においても大切になる)カオスを取り入れようとする考え方があります。本書はそのような内容のものでした。米軍の大将から、偶然が重なるようにして著者へ依頼が来ます。それは、秩序だった組織である軍隊に、カオスを導入してみる試みを担当して欲しい、というものです。この話を大きな軸として、カオスの効果に関する話が、まるで物語のように語られもするエッセイ形式の論考として横に流れていきます。

米軍がカオスを取り入れる挑戦をしたとき、従来の思考法は効率的でスピーディーだったけれども、深く考えるということをしなかったと気づいた、とありました。

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部屋は静まり返った。数分が黙々と過ぎていった。デーブ・ホーランがやがて口を開いた。「われわれは軍人だ。絶え間ない戦争のおかげで、いつでも駆けずりまわっている。誤解しないでほしいが、私は任務に命をかけている。ここにいる全員がそうだろう。しかし、われわれには、じっくりと考える時間が欠けていた」
軍隊は、効率を重視するあまり、士官たちの暮らしから「余白」を排除してしまった観がある。暴力や死といった過酷な体験を、みずからの内できちんと消化する機会を得ることなく、いつまでも心に背負いつづける苦悶の大きさは想像にかたくない。(p134-135)
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効率重視で、秩序を堅持する姿勢でいることは、おそらく人間の本来性から離れているのだと思います。上記の引用のとおり、米軍の士官たちがとある会合で、深く思考すること、思索することに気付いたとき、帰還兵の自殺問題にもこういったカオスを導きいれる思考のやり方に効果があるかもしれない、とする意見もでていたそうです。

少しのカオスの導入には、人間性を回復する効果があるのかもしれません。本書によると、カオスには三つの要素があり、「余白」「異分子」「計画されたセレンディピティ」がそれらにあたるのでした。なかでも、「余白」を認めるところがわかりやすい例だと思うのだけれど、「余白」というものの効果で、知らずしらずそうなってしまいもする「浅い呼吸で過ごす時間」が減りそうです。

また、アインシュタインの例が面白かったです。いわゆる秩序の世界である大学のカリキュラム上での勉強よりも、彼は仲間同士で真剣に行う物理学や思想、哲学の意見の応酬や議論の時間をたっぷりもってきたそうなのでした。枠にはまってないそんな自由さ、異分子を受け入れる態度が、その後の吉とでたのです。

あるとき、いつものように議論仲間と話していたアインシュタインは、もう物理学の問題には降参だ、みたいにちょっと意気を落とした夜の寝床で、特殊相対性理論を思いついたらしい。これは余白とセレンディピティの効果とも考えられます。本書によると、余白っていっても、それ以外の時間にいろいろやってこそ見込める効果なのです。

ここでちょっと、僕自身の最近の過ごし方と照らしあわせてわかったことを書かせてください。

この夏、両親がそれぞれひと月半ほど入院し、僕はそのあいだずいぶん久しぶりに一人暮らしをしていました。この、思いがけず自由を得ることになる機会を前に、当初は次のように目論んでいました。読書も執筆もしたい放題で、普段ならばたまに家庭環境が落ち着いた間隙を利用して観ている映画やドラマも好きなように見られる、と。しかし、いざ一人暮らし期間に突入してみると、すべてが僕の自由となり、何にも縛られず、決められておらず、いわゆる「カオス」の状態に放り込まれていたのでした。そうなると、読書も執筆もほとんど進まなくなりましたし、映画やドラマなどを見る気もなかなか起きてこない(もちろん、夏の暑さによる影響も少なからずあるのですが)。そんなふうに一人暮らし期間は過ぎていきました。こうして本書をじっくり読んでみると、そこにそれまでの規律が失われたこと、つまり秩序が希薄になったことが、うまく自由時間を活かせなかったことに影響していたのだなあとわかります。カオスに満ちた時間では、物事は運んでいかないんですね。僕は他律性をとても嫌うタイプなのですけれども、それでも規律がないよりは他律だとしてもあったほうがましなところがあるようです。規律つまり秩序は、うまく生活していくための前提条件であることを、体験的に知ることになったのでした。まず、秩序があって、そのなかでやれるだけやっていてこそ、カオスがもたらされてそれが活かされる。

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怠け者は、毎日ぼんやりと白昼夢にふけっていても、画期的なひらめきを得ることはまずない。大きな問題と長期にわたって格闘してきたわけではないし、明確な目標もないからである。(p234)
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上記の引用部分のとおりなのでしょう。これに続いて、休みなく取り組んでいる期間の一休みや、丸一日の休みというものが、ひらめきをもたらすなどの効果になりやすいことが示されていました。少しのカオスを導入する前段階での前提って、「猛烈に取り組んでいる状態」であることなのでした。僕自身を例に話しましたが、創造性の面において成果はほとんどなかったなかでも、それまで相当しんどかった心身の疲労面では大きく回復することができたのが、現状でも今後を考える上でもとてもプラスになってよかったです。

閑話休題。

まあ、このあたりの、創造性とカオス(ちょっと秩序から離れてみること)の絡んだポイントって、さっきも書きましたけれども、精神面において回復効果を見込める可能性もふくめて、他にもおもしろい財宝がいくつも眠っていそうな感じがしました。まだまだ未開拓(未言語化)の領域が広く残っていると思います。

ひらめきに必要なカオスをもたらす要素の一つである「異分子」の章では、スーパーマリオブラザーズやゼルダの伝説を創った宮本茂さんが素晴らしい例として出てきました。それまでの任天堂にはいなかった美術系大学を出た異分子タイプだったんですねえ。

というところですが、最後にひとつ引用して終わります。

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混沌を排除しようとする過程には、肝心の革新性や創造性まで押しつぶしてしまう危険があるからだ。(p226)
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→効率性重視の競争経済社会では、大部分の仕事で(サービス業のパート勤務などは特にそうだと思います)規律・マニュアルに縛られています。それは強靭な秩序の下でこそ効率性が得られるからですが、上記の引用のように、そこではクリエイティブなものってでてこない。「現場にクリエイティブは求めていない」という割り切った考え方がつよくあるでしょうけれども、これからの時代ではとくに、そういった労働のあり方は、人間存在のあり方とこれまで以上に齟齬をきたすのではないか。最初の方に書きましたが、少しのカオスの導入が、精神衛生上にも良いようですし。仕事時間中にまったく自分を振り返れない、なんていう労働スタイルは、「作業をこなす」という種類の労働ですけれども、やっぱり僕なんかにはちょっと疑問符のつくスタイルです、現今の主流ですけどね。

追記として、シリコンバレーのの興りと現在までのその伝説的な歴史と、中世ヨーロッパのペストが時代を開かせた説はかなり面白かったのでおすすめです。一読の価値が大です。

さらに追記です。カオスってなんだ、どういう感覚なんだろうか、とよくわからない人のための喩えとして、「ブレーキの利かない車で急坂を下っていく感覚」というのは秀逸。さらに、「その急坂の道は凍っている」なんてふうに盛る言い方も本書にありました。ときにそういった感覚の、どきどきする現場っていいよね、という。




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