読書。
『思考の整理学』 外山滋比古
を読んだ。
2008年大学生協調べで、東大・京大で一番読まれたという結果がでたため、
一躍注目を浴びた本です。
かくいう僕も、そのニュースをWEBでだったか、新聞広告だったかで見つけて
頭の片隅にメモっておいて、それで本屋でたまたまみかけたときにそっと購入しておいて、
それから1年以上が過ぎてやっと読んでみたのでした。
ちなみに、その本屋は今では古着屋です。
さて、『思考の整理学』というタイトルを鵜呑みにして内容を予想すると、
堅くて専門的で、実践するのに一苦労しそうな本のような気がしてくるものです。
京大生や東大生の中でよく読まれたとあってはなおさらですが、
とにかくどんな本でもとりあえず読んでみるのが僕流ですし、
なによりリーズナブルで手軽な文庫版になっている本ですから、
それほど構えなくても読めるものと楽天的に考えて手に取りました。
すると、なんのことはない、考えを整理することについての考察を主軸としながらも、
それにとどまらず、自由に、しゃちほこばることなく、くつろいだような、
それでも整然とした語り口で、頭の使い方についていろいろな角度から考えを述べてくれています。
そして、ハウツー本ではなく、一つの節が6ページと短いながらも、それを3つか4つか読めば
頭がいっぱいになり、しばらく読書をやめて、10分くらいぼーっとしたりうたた寝したりして、
脳の中でその本に書かれている考えが勝手に咀嚼されたり落ち着いたりするのを待つ、という
作業が必要になりました。
僕はけっこうそういう時間が必要なタイプというか、誰でもそうだとは思うのですが、
それをしっかり感じてちゃんと実践するタイプなのです。
眠っている間に脳の中が整理されるから、勉強したあとはちゃんと睡眠時間をもうけたほうがいいって
いうじゃないですか。その脳の整理機能を、「ぼーっとする」「うたた寝する」ことで
利用しているつもりなんです。効果はあると思いますよ。
適度に忘れて次へ読み進めることができますから。適度に忘れずに読み進めると、
あれもこれも混ざってしまい、論旨すら濁った感じで受け止めてしまいがちです。
挙句に、大事な部分も雑学的部分も同じ色で見てしまって、整理がつかなくなり、
読み終える頃には混乱し、1日経てばしっかりつかんだことなど何もなく、
握ったはずの浜辺の砂がするすると手のひらから滑り落ちるがごとく、
脳の中に詰まった読書による知識も抜け落ちてしまうということになることがあります。
これって、僕流の思考の整理術でしょうか。
えーと、本の内容について少し触れておきます。
東大生たちが好んで読んだから、彼らに都合のいいことが書かれているのではないか、
などとうがった見方をしてしまうこともあるでしょうけれど、
第一章第一節からして、そんな、学校での勉強に長けた人たちをばっさり斬り捨てる
内容のエッセイになっていました。
学校の勉強ができたって、そんなんじゃいかんのだよっていう感じ。
この本は1983年に刊行されています。
でも、ちょうど、その頃って、現代の黎明期的時点でもあるようで、
その頃の考察が的外れでも時代遅れでもなく、ビシーッと現代人の頭に届きます。
逆に言えば、それだけ、この本に書かれている内容がそれほど重視されず、
その結果、大事なことが見過ごされた結果できあがった時代なのが現代という
見方もできるかもしれません。
読んでいて、最初は、書かれている内容は、これまで自分が考えたり読んだり経験したりしてきたことの
再確認だなぁという気がしたものですが、読者である僕と作者が同じことを考えていても、
背景となる時代が違うせいか、ちょっと「考え」に対する光の当て方が違っていて、それによって
新発見してしまうものもけっこうあるんですよ。
また、「書くこと」が良いというふうにされていますね。
これはブログを書いている僕にとっては援護材料になる主張でした。
考えをまとめたり、考えを進めたりするのに、「書く」ということがどれだけ役に立つかと
書かれているし、書き始めてみることでやっと自分が何を考えているかわかったりする、っていう
ようなことも、ちょっとニュアンスは違ったかもしれないけれど、書かれています。
そういうのを読むと、そうだよなぁって安心したりします。
書く前に、100書こうと思っていることがあって、大体いつも80だけ書けて良しとするものじゃなしに、
書く前に20だけ書こうと思っていることがあって、書いてみると80書けるという感じが自分だけじゃないんだという
ことがわかる。それがズルじゃないこともわかる。
読書をして、そういうことが知れたり安心できたりっていうのは、大きいなぁって思うんでよねぇ。
この本は、読むことで、頭を使うスイッチが入るようなものでもあります。
3度、4度と繰り返して読んで、作者の考えを丸ごと取り込んでみてから
自分の個性のフィルターにかけてみても面白いかもしれないです。
門戸が広く、いろいろな人に語りかけることができる本だと思います。
時間のある方は是非。
『思考の整理学』 外山滋比古
を読んだ。
2008年大学生協調べで、東大・京大で一番読まれたという結果がでたため、
一躍注目を浴びた本です。
かくいう僕も、そのニュースをWEBでだったか、新聞広告だったかで見つけて
頭の片隅にメモっておいて、それで本屋でたまたまみかけたときにそっと購入しておいて、
それから1年以上が過ぎてやっと読んでみたのでした。
ちなみに、その本屋は今では古着屋です。
さて、『思考の整理学』というタイトルを鵜呑みにして内容を予想すると、
堅くて専門的で、実践するのに一苦労しそうな本のような気がしてくるものです。
京大生や東大生の中でよく読まれたとあってはなおさらですが、
とにかくどんな本でもとりあえず読んでみるのが僕流ですし、
なによりリーズナブルで手軽な文庫版になっている本ですから、
それほど構えなくても読めるものと楽天的に考えて手に取りました。
すると、なんのことはない、考えを整理することについての考察を主軸としながらも、
それにとどまらず、自由に、しゃちほこばることなく、くつろいだような、
それでも整然とした語り口で、頭の使い方についていろいろな角度から考えを述べてくれています。
そして、ハウツー本ではなく、一つの節が6ページと短いながらも、それを3つか4つか読めば
頭がいっぱいになり、しばらく読書をやめて、10分くらいぼーっとしたりうたた寝したりして、
脳の中でその本に書かれている考えが勝手に咀嚼されたり落ち着いたりするのを待つ、という
作業が必要になりました。
僕はけっこうそういう時間が必要なタイプというか、誰でもそうだとは思うのですが、
それをしっかり感じてちゃんと実践するタイプなのです。
眠っている間に脳の中が整理されるから、勉強したあとはちゃんと睡眠時間をもうけたほうがいいって
いうじゃないですか。その脳の整理機能を、「ぼーっとする」「うたた寝する」ことで
利用しているつもりなんです。効果はあると思いますよ。
適度に忘れて次へ読み進めることができますから。適度に忘れずに読み進めると、
あれもこれも混ざってしまい、論旨すら濁った感じで受け止めてしまいがちです。
挙句に、大事な部分も雑学的部分も同じ色で見てしまって、整理がつかなくなり、
読み終える頃には混乱し、1日経てばしっかりつかんだことなど何もなく、
握ったはずの浜辺の砂がするすると手のひらから滑り落ちるがごとく、
脳の中に詰まった読書による知識も抜け落ちてしまうということになることがあります。
これって、僕流の思考の整理術でしょうか。
えーと、本の内容について少し触れておきます。
東大生たちが好んで読んだから、彼らに都合のいいことが書かれているのではないか、
などとうがった見方をしてしまうこともあるでしょうけれど、
第一章第一節からして、そんな、学校での勉強に長けた人たちをばっさり斬り捨てる
内容のエッセイになっていました。
学校の勉強ができたって、そんなんじゃいかんのだよっていう感じ。
この本は1983年に刊行されています。
でも、ちょうど、その頃って、現代の黎明期的時点でもあるようで、
その頃の考察が的外れでも時代遅れでもなく、ビシーッと現代人の頭に届きます。
逆に言えば、それだけ、この本に書かれている内容がそれほど重視されず、
その結果、大事なことが見過ごされた結果できあがった時代なのが現代という
見方もできるかもしれません。
読んでいて、最初は、書かれている内容は、これまで自分が考えたり読んだり経験したりしてきたことの
再確認だなぁという気がしたものですが、読者である僕と作者が同じことを考えていても、
背景となる時代が違うせいか、ちょっと「考え」に対する光の当て方が違っていて、それによって
新発見してしまうものもけっこうあるんですよ。
また、「書くこと」が良いというふうにされていますね。
これはブログを書いている僕にとっては援護材料になる主張でした。
考えをまとめたり、考えを進めたりするのに、「書く」ということがどれだけ役に立つかと
書かれているし、書き始めてみることでやっと自分が何を考えているかわかったりする、っていう
ようなことも、ちょっとニュアンスは違ったかもしれないけれど、書かれています。
そういうのを読むと、そうだよなぁって安心したりします。
書く前に、100書こうと思っていることがあって、大体いつも80だけ書けて良しとするものじゃなしに、
書く前に20だけ書こうと思っていることがあって、書いてみると80書けるという感じが自分だけじゃないんだという
ことがわかる。それがズルじゃないこともわかる。
読書をして、そういうことが知れたり安心できたりっていうのは、大きいなぁって思うんでよねぇ。
この本は、読むことで、頭を使うスイッチが入るようなものでもあります。
3度、4度と繰り返して読んで、作者の考えを丸ごと取り込んでみてから
自分の個性のフィルターにかけてみても面白いかもしれないです。
門戸が広く、いろいろな人に語りかけることができる本だと思います。
時間のある方は是非。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます