MAYU CLUB ~学校司書まゆみの絵本棚~

子ども達が小さい頃から、絵本の読み聞かせを続けてきた、本について学び続ける学校司書MAYUの絵本リビング育児★

絵本の読み聞かせの“MAYU CLUB” ~学校司書まゆみの絵本棚~ へようこそ!!

“MAYU CLUB” ~まゆみの絵本棚~ は絵本の読み聞かせにハマったMAYUが、絵本やインテリア、自分の育児などについて思ったことを綴っています。 高3の息子と中1の娘の母で、現在は学校図書館で司書として働いています。

今年も母校の実践女子短大へ

2015年10月19日 | 母校&恩師
久しぶりのブログ更新です。

以前使っていたパソコンが壊れてしまったものの、なかなか買い替えができず、
やっと買い替え、パソコン環境が整いました。

久しぶりにブログを書くぞ!と思ったものの、
娘の七五三の着物を先月から作り始めたため、隙間時間に着物をチクチク縫ってばかりで、
ブログを書く時間の余裕がありませんでした。

ブログはかなりお休みしていましたが、娘と図書館のお話階へ行ったり、
小学校の読み聞かせボラの活動は、引き続き行っています。

着物が完成したら、もう少しブログに時間がさけると思うので、
11月半ばまでは、少しスロー更新になりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

昨日は、1年ぶりに母校の実践女子短期大学の
ホームカミングデーに参加してきました。(1)

恩師の先生方や、卒業生の方々にお会いし、
久しぶりに文学関係の深い話をいろいろすることができ、満足しています。

夏に書いていた原稿(2)が、本に載ったので、その本を持っていったのですが、
文章がお粗末で、先生方に読んでもらうのが恥ずかしく、
もっと文章が上手になりたい!と強く思いました。

えぇ、自分でも文章がお粗末だと思っています・・・
けれど、書かないともっとお粗末になってしまうので、
下手でも何らかの形で文章を書き、情報を発信していきたいです。

母校の短大や、樋口一葉研究会の先生方と話をしていると、
とてもいい刺激を受け、もっと書こう!!と思えるものの、
お会いする機会は年に1,2回だけなので、熱はだんだん冷めていきます・・・

何らかの形でモチベーションを保てるよう、今後は対策をとっていこうと思いました。

家事や子育てとの両立が難しいですが、
その都度その都度、優先順位を確認していきたいです。

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(1) 過去ログ 「短大のホームカミングデーに参加」 「思い出の短大キャンパスとの別れ」

(2) 過去ログ 「原稿執筆開始」 参照。

短大のホームカミングデーに参加

2014年10月26日 | 母校&恩師
約一ヶ月ぶりのブログです・・・
コメントのレスもせず、ブログもずっと放置状態でしたm(__)m

先月単発の仕事が(1)終わった後、JPICの読書アドバイザーのレポートもあり、
休む間もなく勉強。

今月に入ってから、レポートから解放されたものの、しばらく抜け殻状態で、
ブログを書こうという気にもならず、学校での読み聞かせも、
以前よりも張り切ることができず、疲れ気味な日々が続いていたので、
この1ヶ月は休息することに徹していました。

最近やっといろいろ動けるようになったので、
休んでいたことを少しずつやり始めています。
読み聞かせボランティア交流会や、子どもの本の学校、小学校の読み聞かせボラなど、
いろいろなイベントに参加したのですが、その辺は書く気持ちになった時に書きたいです。

今日は1年ぶりに母校の短大のホームカミングデーに参加し(2)、
恩師やOGの方々と楽しくおしゃべり。
もう短大を卒業して○○年になりますが、学生時代にタイムスリップした気分になりました。

ピアノ演奏を聴いたり、懇親会で立食しながら懐かしい先生方とおはなしをしたり、
それでも話したりなくて、専制の研究室や、会場を変えて居酒屋で話をしたり・・・
母校の実践(短大)の雰囲気はとてもよく、
今もこうして故郷のように変える場所があることは、嬉しい限りです。

先生方からパワーをいただき、この感動をブログに書きたい!
と思い、久し振りにブログを書きました。
(久々の更新なのに、絵本ネタじゃなくてすみません)

昨年は、思い出のキャンパスがなくなってしまうことを寂しく思っていましたが、
キャンパスは新しくなっても、そこに母校の先生方がいらっしゃれば、
場所が変わっても、やっぱりここ(短大)は私の心のふるさとです。

新校舎にいるというのに、母校の雰囲気を感じたのです。
ハードな部分ではなく、人が作り出す雰囲気とでも申しましょうか。
青春を謳歌した校舎はなくなり、キャンパスも移転してしまったというのに・・・

私はこういった温かさがとても好きなので、
自分の生き方や、絵本の読み聞かせなどに、この温かさを応用していきたいです。

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(1)過去ログ 「仕事に苦戦――壁を乗り越えたい!」 参照。

(2)過去ログ 「実践女子短期大学の神明キャンパスへ」 参照。

【今日(昨日)読んだ本】

★ 村松昭 作・絵 『日本の川 たまがわ』 偕成社、2008年 
「息子のリクエスト。駅名や地名がたくさん出てきて楽しい。男の子に特におすすめ。」(82/100 再読)

思い出の短大キャンパスとの別れ

2014年03月13日 | 母校&恩師
今日は今月末で移転してしまう母校の短大キャンパスに足を運びました。

実は昨年も足を運んだので(1)、それで納得すればよかったのですが
やっぱり校舎が取り壊される前に、もう一度足を運んでおきたくて・・・

雨にぬれたキャンパスを見て
そういえば短大の卒業式の時もこんな風に雨が降っていたことを思い出しました。

少し、短大時代のことを綴ってみます。


短大時代、最初の頃は不真面目な学生で、
いかに楽をして単位をとるか?ということばかり考えていました。

短大は60数単位とれば卒業できるというのに
最終的には倍の120単位以上をとって卒業をしているので、
短大2年次の頃に、いかに学ぶことにハマったかが、取得単位数からもよくわかります。

国文学だけでなく、国語学も、英文学も、一般教養も
気になるものはとりあえず履修し、広く浅く勉強していました。

最近は一般教養より、専門分野に力を入れている大学も多いですが
短大時代に垣根を隔てて、広い視野を持って学ぶことができてよかったです。

その中でも、日本の児童文学と近代女性文学に強い関心を抱き
大学へ進学して、この二つの勉強を続けようと思いました。

といっても、進学した大学に児童文学の先生がいなかったこともあり
大学では近代女性文学や教育関係の勉強が中心だったんですけれどね。


けれど、学校を出て結婚し、子供を出産した後に
短大時代、気になっていた児童文学に再会することができたのでよかったです。

大学時代に児童文学に親しむことより、研究に没頭していたら
私の場合、性格からして頭でっかちになっていた可能性があるので
先入観のない状態で、子どもが五感で絵本を楽しむように絵本を楽しめてよかったです。

文学を深く掘り下げて読むことの楽しさは短大時代に経験をしたので
あの短大時代がなかったら、私は今、何をしていたのか・・・
今となっては想像もつきません。

いい先生方との出会いも大きく
こんな手のかかるダメダメ学生を受け入れ、世話してくれたことに感謝しております。

大学や大学院もとても充実していましたが
アットホームさに関しては、短大がダントツでした。

そんなわけで、今日はわざわざキャンパスまで足を運んだわけです。

短大のアットホームさは、まるで家庭の縮図のようでした。
私がアットホームな家庭を築けているかは怪しいですが
理想の家庭の雰囲気は、短大のもつ雰囲気です。

あの雰囲気を我が子だけでなく、読み聞かせボラ等に
上手く取り入れていけたらいいなと思っています。
「地域」は「家庭」の延長のようなものだと思うので・・・

今度短大へ行くときは、新しい渋谷キャンパスに足を運ぶことになりますが
「短大のハードが変わっても人は変わらない」と先生がおっしゃっていたので
短大のさらなる飛躍を期待したいと思います。

そして自分も、子ども達に幼い子の文学を届けることで結果的に飛躍し
お世話になった先生方に恩返しをすることができたら、これほど嬉しいことはありません。

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(1)過去ログ 「実践女子短期大学の神明キャンパスへ」 参照。

【今日読んだ本】

平山和子 作・絵 『いちご』 福音館書店、1989年(福音館の幼児絵本)。
「絵も言葉も美しい!いちごが語りかけてくるのが素敵。」(21/100 絵本)

仕事をしても子育てをしても、人は成長することができる

2013年12月29日 | 母校&恩師
今日は大学時代のサークル仲間が主催してくれた忘年会へ
何年かぶりに参加してきました。

私は通信制大学出身なのですが、
当時、通学の学生達が活動しているサークルに所属していたので
大学には通信の仲間と通学の仲間(サークル仲間)の両方がいます。

人生で一番はじけていた時期と言えば、真っ先に大学時代を思い浮かべるほど
私にとって大学時代は楽しいものでした。
青春を謳歌した仲間とは、何でも話せ
この年齢になっても自分の夢を熱く語り合ったりすることができます。

そんな仲間と久々に語り合い「私は私なりに成長していた」
ということに気が付くことができました。

自分はすっかり社会から取り残されてしまったことに負い目を感じていたのですが
子育てや絵本の読み聞かせボラ等をすることで
自分と向き合い、成長しようと私なりに努力していたのです。

よその子の成長はすぐにわかるのに
自分の子供の成長はいまいちわからないのと似ています。

テストの点が70点だと、間違えた30点ばかり叱られますが
70点はあっていることををほめてあげたいですね。
お母さんも子供も、よく頑張っているのだと思います。

頑張ろう!という気持ちがあるうちは、成長していけると思いました。
ダメだと思ったらこそまで。限界を設けなければもっと成長できる。
私はまだまだこれから!

そんな気持ちになれたのは、サークル仲間が私のことを
気持ちよく受け入れてくれたからだと思います。
みんな素敵な年の重ね方をしていていました。
いくつになっても刺激的な仲間です。

人の持つ温かみの大切さ、
人を受け入れることで生じる安心感。
子どもも大人も、等身大の自分を受け入れてもらいたがっている――

今、無我夢中で子育てをしているお母さんたちの頑張りを
もっと肯定していく活動ができないか?
私にできることは、お母さんたちの声を代弁していくことでは?
そのために私にできることは――

私はこうして息抜きができたけれど
すべてのお母さんがこのような息抜きをできるわけではないので
子育てママが息抜きをするための仕組みが必要だと思いました。

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母校のゼミで頭が回転しない・・・

2013年12月09日 | 母校&恩師
今日は母校のゼミに参加してきました。
今日で3回目の参加です。(1)

なんだか、すっかり頭が錆びてしまっていて
発表者の方の発表を理解するのに精一杯で
頭の中で自分の考えをパッと整理できず、悪戦苦闘しました・・・

講演会などは一般の人にもわかりやすいように
話をしてくれるので、質問をしやすいのですが
大学のゼミとなると、難しい言葉でいっぱい話をするので
忘れていたことを「えっと、なんだったっけ?」と思い出しているうちに
どんどん話が進んでしまい、内容を整理できないまま質問タイムになってしまったりします。

英語のリスニングなんかで、ちょっとわからない部分があったりすると
「あれ?あれ?」と思っている間に
どんどん話が進み、わけがわからなくなってしまうのとよく似ています。

正直言って初歩的な事が出来ていないので
この状態が情けなくてしょうがないのですが
ここで自分を責めてもいい方向に行きません。

頭は使っていないと回転が鈍くなるもの。
そんな鈍っている頭で、よくゼミに参加したなと
自分をほめてあげようと思います。

参加することで、知らない世界を知るきっかけができたのだから
きっとここから私の文学への関心がどんどん広がっていくと信じたいです。
そして、鈍っている頭を使う機会を作っていき
少しずつ稼働させていこうと思います。

まだまだこれからです!!

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(1)ゼミに関しては、過去ログ「母校のゼミに参加」参照。

母校のゼミに参加

2013年11月25日 | 母校&恩師
今日は母校のゼミに参加してきました。

先日参加した一葉研究会に出席されていた先生が
ゼミに来てもいいとおっしゃってくださったので、早速足を運んでみたのです。

風邪気味で、体調がイマイチだったのですが
後期もあと少しなので、どうしても足を運びたくて・・・

顔を出してみたところ、前期から出席していればよかった!
こんな良質はゼミに参加できる学部生の方が羨ましいと思うほど、いい内容でした。

私は通信制の大学に在籍していたので、学部時代は短期のスクーリングで演習単位を取ることが多く
沢山のゼミの中から好きな内容のゼミを選ぶという選択肢がほとんどありませんでした。

もっと学部時代に卒論へつなげるための基礎を徹底的につけておきたかったです。
いまさら言うのもなんですが・・・

今からでも遅くない!という気持ちで、基礎固めをしていこうと思います。
ブランクもかなりあるので、学んだ内容もかなり忘れています。
なので、初心に戻って学ぶ方が私には合っているのかもしれません。

これは、文学だけでなく、絵本関係に関しても言えることです。

凝ったことや難しいことをするのでなく
初心にかえって学ぶことが、今の私には大事なのだと・・・

間違えてもいい。恥をかいてもいい。
今は、いっぱい失敗をして、そこからたくさんのことを学びたいです。

実践女子短期大学の神明キャンパスへ

2013年11月09日 | 母校&恩師
今日は母校の短大のホームカミングデー(文化祭と一緒にやる卒業生の集まり)に参加しました。

今まで短大のホームカミングデーには参加したことがなかったのですが
私が過ごしたキャンパスが、来年度からなくなってしまうので
これは最後に一度行っておかないと後悔する!思い、短大キャンパスまで足を運ぶことにしたのです。

すると、当時短大でお世話になった先生方のお顔が!!
もう嬉しくて嬉しくて興奮して話してしまいました。
まるで、短大時代にタイムスリップしたようでした。

私は国文学科(今は日本語コミュニケーション学科)の出身だったのですが
国文の先生方の面倒見のいいこと!!
学生と先生の距離がとても近く、家庭的な雰囲気が大好きでした。
今もその雰囲気が短大の日本語コミュニケーション学科に残っているのを見て
先生方がどれだけ努力されてきたかが、ひしひしと伝わってきました。

短大の講義やゼミで作品を深く掘り下げて読んだことが
私を文学好きにしたといっても過言ではありません。
そのくらい、私にとって短大は大きな存在でした。

短大で文学に魅了されなかったら、私は大学や大学院に進学しなかったでしょう。
子ども達と良質な文学との出合いを作りたいなどと、思わなかったかもしれません。

思い出の神明キャンパスが今年度いっぱいでおしまいとなり
来年度からは取り壊されてしまうと思うと、寂しい気持ちでいっぱいです。
大学の都心回帰という流れに、短大ものることになったのです。

しかし、
「短大はなくなってしまうのでなく、もともとあった渋谷に戻るんだ!」
と思えば、もといた場所に戻れるのだから、恵まれた環境なのだなと思いました。

キャンパス移転を前向きに受け止めたいです。
先生方や学生さんや卒業生の方々の想いが、渋谷の地で一つになったらいいなと思います。
なので、来年のホームカミングデーにも、よっぽどのことがない限り、顔を出す予定です。

渋谷に戻ってもやっぱり短大の空気が流れている!
ハードな部分は変わっても、ソフトな部分はかわらないんだ!!

そのことを来年、渋谷の新しいキャンパスで確認できたら・・・と思います。

昭和文学会―徳田秋声特集へ

2007年05月13日 | 母校&恩師
今日は母校で学会(昭和文学会―徳田秋声特集)があったので
足を運びました。

母校は私にとって、とても大切な場所で
お世話になった先生達も、まだ現役で頑張っており
とてもいい刺激を受けています。

今も気持ちよく受け入れてくれるのは
卒業生の特権でしょうか?!^^;


昭和文学会は、近代日本文学をやっている人の間では
メジャーな学会です。
近代文学会と一葉研究会ぐらいしか顔を出さない私には
とても新鮮な雰囲気でした。

こんなとき、困ってしまうのが子供のこと。
授乳期間中なので、長時間離れることができません。
なので、主人についてきてもらって
大学(会場)の外で主人と子供に待ってもらい
私は学会に参加してきました。

けれど、どうも落ち着きません…
いつも一緒なので、授乳は大丈夫なのか
なんとなくそばに子供がいないとソワソワしてしまう自分がいました。

結局何度か会場を抜けて、授乳をすることに。
こんなに頻繁に授乳することになるとは思わなかったです…
今度は途中退場しないですむように
ミルクを持参しようと思いました。

資料展示は秋声の書簡などで
全集に掲載されていないもので
徳田家から特別に借りて公開したものもあり
とても興味深かったです。

特に「筆跡」は、これからもっと勉強していこうと思いました。
活字になっているものがすべてではないと改めて再確認させられました。

徳田秋声については勉強不足で
今回は質問もできないで帰ることになってしましたが
今回の原稿のヒントになる内容が隠れていたので
早速原稿の下書きを見直してみたところ

「こんな内容じゃダメだ!!
 もう一度書き直そう!!」

と、昨日までは「もうこれで大丈夫」
と思っていた原稿の下書きが
なんだか情けないものに見えてきました。

おそらく、今回の学会から得るものがあったために
感性が磨かれて
以前に書いた文章に、違和感を感じるようになったのだと思います。

卒論のときも、こんなことがありました。

締め切りまであと3日ほど。
ギリギリまで書き直しにTRYしてみようと思います。
よりよいものを提出したいので・・・!!

貴重な休みに子供をみてくれていた夫と
いい子に待っていてくれた子供に感謝します。
ありがとう

自宅に帰ったら、大泣きされてしまいました。
甘えたかったけれど、外では我慢していたのでしょうね。
なので、帰宅してからは
勉強をほったらかして、一緒に遊びました(笑)

恩師

2005年05月28日 | 母校&恩師


このタイトルでの日記は、大学院のサイトではよく書いていたのですが
そろそろ大学院とこちらを統合するので、恩師の話題を。

私の愛校心が強いのは昔からで
現在も中高の学園祭には毎年足を運び
(茶道部のお茶会があるので、案内が届く)
女子短大・大学・大学院と
母校と名のつくところの先生とは未だに交流があります。

今回は短大の教授の話。
短大は私を育ててくれた場所でした。
もともと本命でなかった短大でしたが
中学受験の時、この学校に落ち
短大が決まった時は「縁があるのかも?」
と思い、他の短大を蹴って入学。

けれど、実際は勉強はほとんどせず
(周囲はみんなまじめなのですが、私だけ)
海外へ行く時に休学してしまい、辞めようとも思ったけれど
やっぱり短大は出ておきたいと思い、復学。

復学をしてから、恩師の板垣先生(2年前に短大をリタイア)の影響を受けて
樋口一葉に出会えたのだから、今があるのも
すべて短大のおかげなのです。
(それは中高にも言えることですね)
短大で特にお世話になったのは6名の教授。
うち2人は女性の教授でした。

日大通教に出会えたのもこの短大のおかげ。
面倒見がよかったのです。
すごく頭のいい短大ではないのですが
アットホームな雰囲気で
学生のことを思いやってくれていて
やさしくも厳しくもあり
いろいろな意味でお世話になった場所なのです。

教授との年賀状などは続いており、
ひょんな人とのつながりで、短大時代の恩師と再会。
(こちらの恩師は直接講義は受けたことがなかたのですが)
今日は久しぶりに電話で2時間も話してしまいました。

短大の近況なども話してくれました。
私がいた頃は国文学科があったのですが
今は学科名が少し、出版編集などの勉強が中心です。

多くの短大がなくなっていく姿を見てとても残念に思いました。
青学、共立、明治、東洋英和、東京女学館など
短大がなくなってしまい、時代の流れなのかと残念に思っており
せめて母校は残っていてほしいと願っていました。

そんな中で、電話で話していた教授が
いろいろ革命を起こしてくれているので
まだ短大として生き残れそうだという話になりホッとしました。

大学と統合する場合もありますが
母校がなくなることは、とても悲しいことです。
大学全入時代がくるとき、
短大はどうなっているのかと心配なのですが
短大でしかできないこと、短大生の強みを生かした
プロジェクトが始動しており、今からとても楽しみです。

それもヤル気のある教授たちのおかげなんですよね。
教授のヤル気がないと、学生はすぐわかります。
けれど、教授が頑張っていると
教授をかばいたくなるし、力になりたいと思うんです。

日大通教に編入してすぐに演習に参加できたのも
短大で作り上げた土台のおかげ。
レジュメの作り方などは非常に厳しく
何度も指摘されました。
まだ手書きのレジュメをコピーしている時代。
熱い講義から文学の魅力を強く感じたのです。

特に仲のいい教授は女性なので
年に1回くらいお茶をして話をしていたり
とにかく話がとまらない(笑)
子育てをしながらの教授の熱意には感動。

「あなたも主婦で大変だと思うけれど
 そういう時期もあるからね」

という教授の言葉が身にしみました。

普通、短大なんて卒業したらそれっきりなのかな…
と思うのですが、年賀状も未だに送っているし
たまにメールをしたりもしますし
実際お会いしたりもします。

思い起こせば学会誌に論文が載ることが決まり
教授に冊子を送ったところ、とても喜んでくれました。
いつも親身になってくれた教授に感謝しています。

私の勉強に対する意識が大きく変わったのは日大通教でしたが
きかっけや土台作りは短大にありました。

あんなにアットホームな短大はないのでは?
というか、私がいた国文は、先生方が仲良く会議室で
一緒に食事をしているような感じだったので
雰囲気がとってもよかったんです。

大学も大学院もすばらしい恩師に恵まれました。
その中でも、女性の教授ということで
短大の恩師にはエネルギッシュさを分けてもらい
「私なんてまだまだだな~」
という気持ちをより強くさせてもらっているので感謝です。

お姉さんのような、母親のような、人生の先輩のような
いろいろな面をもっている恩師達がいるんです。
結婚した今も先生方とお付き合いがあることが
なによりも嬉しいですね。

そして「まだまだこれから」と思えること。
恩師にまたひとつ大切なことを教わりました。
卒業しても指導してくれる恩師に感謝です。

時間を大胆に使う

2005年02月04日 | 母校&恩師
母校の大学院は、1月半ばから後半に
修士論文の口頭試問があります。
だいたい時間にして30分強から1時間ぐらいです。

M3(修士3年)の方も(一緒に入学した人たち)今回提出し
修了もほぼ決まったようです。

M2の子で、今回提出できた人は少なく
提出予定だった後輩と久々に連絡を取ったところ
実は修了を伸ばしたという報告を受けました。

その子は教員志望で、入学した頃から
教員になりたいと言っていたのが印象的でした。

なので、研究という観点はあまり強くなかったからか
演習発表の時に、作家や作品の紹介のような発表をしてしまい
一時期落胆していたので、少し心配していました。

でも失敗から学ぶのが大学院では大切なこと。
いっぱい失敗して、ここで多くのことを学んでほしいと思っていました。

演習発表もどんどんよくなっていき、これは修論で
成長が発揮するなと楽しみにしていたのです。
けれど、今回は出さなかったそうです。

実は、臨時教員の声がかかり、指導教授と話し合って
先生に今は専念することを選んだそうです。

それを聞いてとても嬉しく思いました。

先生になりたいことを知っていたからか
この大学院時代に、先生の経験ができることは
彼にとってはとても貴重だと思ったからです。

私自身は大学院修了後、塾講師を選びましたが
M2の夏前に修論関係の資料をまとめ
俗に言う夏休みは、塾講師に専念していました。
M2の夏の経験は、自分にとってとても大きかったんです。

研究を思いっきりする時間を削るのはもったいないと
思ったこともありましたが
博士後期課程に行くか?働くか?と考えた時
自分はやっぱり塾に行きたいと、M2の夏に強く確信したのです。

その選択は、自分の中では本当によかったと思っています。

焦って選ぶような感じでなくて
自信を持って決めることができたのは、嬉しいことだったからです。

専修免許がほしいから、大学院に行くという院生もいます。
もちろん、それも目的意識がはっきりしていてとてもいいことです。
正直、教師になるための勉強はしないで、どちらかというと
氷山の一角の研究や勉強が多いです。

内容としてはあまり役に立たない気がするのですが
何かを調べて自分でまとめることは
とても大切な作業です。

特に現代の学校教育では重視されているので
大学院での経験はきっと生かされます。

後輩はM2は教員に専念したいので
M3になって研究復帰をし、修論を提出するそうです。

きっといい経験になったでしょう。

また、今後「先生」という職業に対する見方も
変ってくると思います。

大学院は留年を悪く扱わないので
自分にとって納得のいく院生生活を送ってほしいです。

私の場合は、修士修了を節目にしたかったので
何かをスタートさせるのに、ちょうどよかったと思っています。

上手に、大胆に時間を使いましょう!

論文

2002年03月09日 | 母校&恩師
どんなに論理的な思考で、論文をたくさん読んだとしても
その人の魂みたいなものが論文の中に刻み込まれていないと
読んだあとに何も残らない気がします。

なんだか論文としてはどうかな??というものも
その人の情熱みたいなものが伝わってきたり
人柄が伝わってきたりして私は本や論文を読むのが大好きです。

私はわりと、論文などに「うんうん、そうだよね」
と納得してしまうタイプだけれど
以前恩師に

「研究者はいい人じゃダメなんだ」

と言われ、いい意味で影響されながらも
その中から自分のスタイルをみつけていこうと思いました。

だからいろいろ吸収したいです。
自分を見失わない程度に。

だから今は、研究研究だけでなく、日常生活も充実させたいです。
きっと日常は私の論文にリンクする!
そう信じているので、自分らしく生きたいなぁと思ったりする今日この頃。

それには美味しいものを食べて、いろいろなところへ出かけて、いろいろな人に出会う。
まずはこれかな??

恩師の顔

2002年02月28日 | 母校&恩師
もうすぐ3月。

3月は卒業式やらいろいろイベントがあるけれど
それが終わったら4月になってすぐ院の行事が待っています。
大学が通信制だった私にとっては、他大学の院は不安もいっぱいあるけれど
反面楽しみだったり・・・

ゼミとかついていけるかなぁと思ったり
私って論文のことわかっていないかもと思ったり
今までお世話になった恩師はどんな気持ちで院に進学したのかなぁって思ったりします。

時々短大時代の恩師に会うと
恩師も未だに論文を書くにあたって、ありきたりでなく
違った角度からの論文を心がけているようで
学生の先生でありながらも、別な面では研究者として
机に向っているんだなと最近思うようになりました。

短大時代は先生方が研究をしながら講義をしているなんて思ってもみなかったんです・・・
時々学校から出版される「**国文学」とかに論文が載っていると

「難しそうだなぁ」

と思い、目も通さなかったけれど(先生ごめんなさい)
きっと論文発表とかで徹夜の日々とかが続いていたんだろうなと思いました。
私が発表することとはレベルが違うし、発表される分、へんな論文は書けないだろうし・・・

当時はわからなかったけれど、今はちょこっとわかる気がします。
今度恩師と話す機会があったら、そんな話をしてみたいですね。

いい経験

2001年12月12日 | 母校&恩師
最近は卒業に向けての提出書類が多いです。
教員免許、一括申請の件で、母校を訪問することになり、
またもや母校に行ってきました。

チェックするのは研究室。
今回はほとんどの先生方がお休みでしたが
授業は受けたことがなかったのですが、
何度かお話したことのある教授が研究室にいました。

声をかけて、簡単な自己紹介をすると

「ああ~覚えているよ!確か進学したよね!まぁまぁ座って」

と教授と久しぶりにお話をすることができました。
教授が私のことを覚えてくれていたのも嬉しかったし、
通教のことを話していると

「じゃあ日大で鍛えられたんだね!」

と、嬉しそうにお話する教授を見て
ここの短大を卒業して本当によかったと思いました。

なによりも嬉しかったのは、母校の教授は口をそろえて

「いい経験をしたね!」

と嬉しそうにおっしゃるのです。
一般的に言えば大学に3年間も在籍していたら、
どうして2年間で卒業しなかったの?!
と思う気がするのですが、
そういった発言は全くありません。

もしかしたら気を遣ってくれているのかもしれません。
けれど敢えてそのまま「ありがとうございます」
と素直に受けとめたいです。

経験は今後に生かしたいです。

たくさんの恩師に恵まれて・・・

2001年11月25日 | 母校&恩師
最近は恩師の話題が多い今日この頃です。
恩師と言っても複数存在します。
それだけ「恩師」と呼ぶにふさわしい方々と
かけがえのない出会いをしてこれたことに
とても感謝しています。

秋は学園祭の季節で母校に足を運ぶことが多く、
今月だけでも2回ほど母校を訪問しました。

私が樋口一葉研究をするきっかけとなった恩師と一年ぶりにお会いすることができました。
体調を崩されていると耳にした時はショックを受け、心配でたまりませんでしたが、
思わず恩師と目が合った時、お互い笑顔がほころぶと同時に、私のほうは安心してしまったのか、涙がポロポロとこぼれてしまいました。
それだけかけがえのない恩師であり、元気なお顔をみるだけで、ホッとしてしまう・・・不思議なものです。

卒業論文とテクストを持参し、みてもらおうかと思ったのですが、訂正箇所があまりにも多く、こんな論文は見せれないと、結局「完成したら、ダメでもなんでも送ります!」ということになりました。
正直論文を送ることは恥ずかしく、

「なんだ、まゆみはこんな論文しか書けないのか」

と言われてしまいそうで、不安だったりするのですが、

「ここまでこれました」

という意味でも現状の自分をみてもらおうと思い、学校に提出し終わったら、恩師に送る予定です。

その頃には、懇親会で一緒に撮った写真ができあがっているころ。
写真を一緒に同封できたらと思っています。

卒業論文に四苦八苦していましたが、恩師の存在で、ずいぶん先進的にも励まされました。
おそらく国文学の大先輩だからでしょうね。
私にとって恩師は遠くて近き存在です。

恩師の言葉

2001年11月09日 | 母校&恩師
先日、恩師のいる短期大学へ行ってきました。
何人かでお食事をして、おしゃべりしながら文学トーク。
ついでに卒論の始めのまえがきをみてもらいました。
すると恩師が

「この書き方はダメだよ。卒論だってちゃんとした論文だからね。ここだけ訂正したほうがいいよ」

と言われて、ショックを受けてしまいました。
しかし

「正直に意見を言ってくれるのは恩師だからだよ。
 指摘されることはとてもいいことなんだからさ」

と友人が言ってくれました。

「そっかぁ・・・」

恩師の言葉をすべて受け入れることはできないけれど、
一部自分の中で変更してみようと思いました。
人の意見ばかり気にしていて、自分の意見が見えてこない論文もどうかと思うけれど、
やはり第三者の意見はとても大切だと思いました。

はじめて書く卒業論文。
わからないことだらけですべてが初めて・・・
でも誰もが「初めて」だったはず。
目の前にいる恩師も、初めて論文を書いたときは
とまどったんだろうなと思いました。

卒業してもう何年もたつのに、
今もこうして文学のことを真面目に話せるのは
なんだか嬉しいし、辛口な言葉も
愛情に感じる今日この頃でした。