院生と学部生の差 2002年06月18日 | 大学院修士1年(通学) 学部を卒業し、院への入学が決まったとき 短大時代の恩師がこんなことをおっしゃっていました。 「これまでは学生と呼ばれていましたが、これからは院生ですね」 当時、私はこの意味がわかりませんでした。 しかし今ならこの意味がわかります。 先生方はなんだか急に冷たくなったような気がして、 どうしたのかな??と思っていました。 先生方は冷たくなったのではなく、私を院生としてみていたのです。 私の気分はまだ学部生のままな気がします。 そうならば、それを変えていかなければいけません。 学部生と院生の違い。 それをはっきりと教わったことはありません。 しかしそれは暗黙の了解、常識であるようです。 それを身をもって知ったのはつい最近のことでした。 この場を借りて強くなろう。 より責任感を強く持とう。 そう思いました。
夢にまで出てくる論文 2002年06月15日 | 大学院修士1年(通学) 先日、心理学専攻の演習で、私の頭の中からは研究が離れないということが判明しました。 常に頭の中にあるというか・・・でもそれってM1なら誰しもあるかなぁと思ってしまいます。 少し体調を崩し、そのまま眠ってしまったのですが、夢の中に論文の続きが出てきました。 さすがに心理の授業で言われたことはあたっているかも… と思ってしまいました・・・ たまには勉強のことを忘れて・・・と思うのですが、どうもそれがうまくできないんですよね。 この辺がバランスよくできたらなぁって思っているのですが、またペースがつかめていないのかもしれません。 自分の好きなこと人没頭できる幸福な期間・・・大学院時代。 がむしゃらにやるもよし、今後を考えながらもよし、 つっぱしるのも大事だけれど、私は時には立ち止まったりもしてみたいです。 そして自分が今どこにいるかを確認したいですね。
論文の変化 2002年06月11日 | 大学院修士1年(通学) 久しぶりに論文を読み返してみました。 私が卒論で扱った樋口一葉の『裏紫』関係です。 1970年代くらいのものから、1990年代くらいの論文だと 70年代は作品のよしあしや、作家絡みが多く 90年代になると作品のよしあしではなく、テクスト論が主流になってきます。 つまり、一度作家のことなどを遮断して、作品自体をていねいに読んでいこうじゃないかという姿勢です。 明治20年代後半なら、当時の法律や生活習慣をあげてくるなどして、その作品の可能性を膨らませたり、ひとつを論じるのにも論拠がきちっとしているのです。 私は『裏紫』に関しては近年の論文の引用が多いです。 なぜなら『裏紫』はすごい!! という論より、その作品にどんな意味があり、どんなことが読み取れ、どんな可能性が秘められているかがわかるほうが面白いからです。 そして自分の論じたいことに近かったりするので、引用しやすいのです。 院に入る前、学部の頃は論文を読むのが嫌いでした。 なぜなら難しいからです。 難しい言葉の羅列で何を言っているかわからなかったので、今読むと、情けないくらい当時は読み落としをしていることに気づきました。 今もまだ読み落としをしてしまうのですが・・・ こればっかりは論を読む練習をしていくしかないなと思っています。 そういった意味で演習はやっぱり大事だなと・・・ はやく私の論文のスタイルが出来上がるといいな。
古典で発見!! 2002年06月10日 | 大学院修士1年(通学) 研究発表会のテーマがだんだん見えてきました。 いろいろ悩んでいたのですが、あるキーワードがきになっていたので それを絡めて論を展開させていこうかな?と、キーワードを意識しながらテクストをチェックしていました。 今日、源氏の演習へ行ったら、今回私がキーワードにしている言葉が演習の問題点として挙げられていました。 源氏(中古)と一葉(近代)では言葉の意味も異なったりするのですが、一葉は源氏の愛読者だったので、かけ離れているともいい難い・・・ やっぱりアンテナをはっておくことは大切だなぁと・・・ こんなところにも転がっていた!という感じです。 結局演習で問題になった意味と、私が取り上げていた意味は異なっていたのですが、それはそれでOKであって、よりキーワードを意識させてくれたことに感謝です。 源氏など、古典からは離れたいといった意識があったのですが 今回の件で、古典も頑張るぞ!!という気持ちが生まれました。 研究発表会に臨む気持ちも倍増し、とても嬉しかったです。 今度は結果をだすぞ!!
樋口一葉研究会にて 2002年06月08日 | 樋口一葉 今日は初めて樋口一葉研究会へ顔を出した。 私がメインで勉強している(まだ研究なんていえる段階じゃないわ)のは一葉です。 一葉が好きな人や一葉の研究者が集まって、一葉の発表をしている… こういった空間はめったいないので、私にとっては新鮮でした。 そして調べることの細かいこと… 自分のテクストの読みの甘さや穴ぼこだらけの勉強に なんだかあきれてしまいました。 けれどそんな気持ちを背負って帰るわけではありません。 前々からK先生の論文が大好きだったのですが そのK先生に初めてお会いし、お話しすることができました!! 嬉しかったです。 私は 「先生の**の論文、とってもよかったです!!」 と伝えたのですが、実は私が言っていた論文は他の方の論文で あぁ~しまった!!緊張のあまり混乱していた!! と後の祭りとなってしまったのですが、 K先生は気持ちよく対応してくださいました。 私もあんなふうに素敵な女性になりたいです。 アドバイスもいただけたし、頑張るぞ!!という気持ちが よりいっそう強くなりました。 この調子で研究発表会に臨みたいです。
ダメだ、うまくいかない・・・ 2002年06月05日 | 大学院修士1年(通学) 今日はふたつのモヤモヤが私の中から離れません。 ひとつは演習での質問のことです。 私の質問は論につながる質問というより、 それを質問したからどうなるの?という質問が多いのです。 授業に参加しよう! そう思って予習もする、論文も読んでくるけれど いざ言葉にして質問をすると、 自分の読みの浅さや、まずは質問!! ということばかり頭にあって、内容がついてきていないのが現実・・・ もうひとつは今月末にある研究発表会の発表内容が まだ決まっていないことです。 グラグラとゆれて、何にテーマを絞ればいいのか 混乱状態だったりします。 こんな状態では当日がおもいやられます。 さすがにため息がとまらず、論を追いかけていても なんとなく脱力感があり、いつものようなpassionに欠けているのがわかります。 ここが勝負のしどころなのですが、理屈じゃない何かがあるのです。 そういえば、卒論のときにもこんなことがありました。 院ではそれがほぼ毎日なので、まだ慣れていないのかもしれません。 少し一息ついて、また論文にうつろうと思います。 大学院生活、誰もが通る道ですよね。 ここで負けないように頑張ります。 落ち込んでいる暇はありませんしね。
質問 ―恥をかくこと― 2002年06月03日 | 大学院修士1年(通学) 私は毎回の演習でなんらかしゃべります。 それがその演習に関係ないことだったりもしますし、 疑問におもったことだったりもします。 単純になにもしゃべらないで、ずっと聞いていることが苦手なんです。 こんな質問したら恥ずかしいというような質問をして 「この子はこんなにバカなのにどうして院にいるんだろう?」 とまわりに思われているかもしれない…とふと思いました。 正直バカだなぁと思うことも多いのですが、 ここでしか恥をかけない!というのがやっぱり本音です。 もし、知ったかぶりをしてしまい、後のほうで やっぱり知らなかったことがばれたらもっと恥ずかしいですし・・・ 質問をして「それはテクストに書いてあるでしょう?」 といわれて恥をかいたりもしました。 けれどそこで「あぁ、また読み落としている」 と、今の自分がわかるんです。 どんな位置にいるのかが・・・ そういった意味ではやっぱり質問は大事な気がしました。 どうやら大学院は質問をして恥をかいてもいいところのようです。 それはちょっとありがたいところですね。 ここで鍛えよう!と思いました。