マンネリ防止には・・・ 2002年04月23日 | 大学院修士1年(通学) 院の授業は演習が多いです。 そんなせいか調べることが多く、多くの文献に目を通したりと、 デスクワークが非常に多く、あまり体を動かすことが少ない気がします。 家と大学の往復・・・というマンネリになりがち。 だからこそ上手に気分転換をしたいところです。 卒論を書いていたときもそうだったのですが、 論文とにらめっこをしているときはあまりいいアイデアが浮かばないのですが 移動時間など、ちょっと環境の変化があったときに、ふっといいアイデアが浮かんだりしたものでした。 なのでやっぱり「環境の変化」は大切だなぁと思います。 院生の友人が「勉強する場所を変えたりした」と言っていました。 そう言えば卒論執筆を家にこもってやっているより、図書館に出向いたり、地域の図書館や他大の図書館、文学館の図書コーナーなどに勉強する場所をかえるだけで、ずいぶん新鮮な気持ちになれたのを覚えています。 あとはたまには勉学を忘れて遊びに出かけるのもいいですね。 しっかり遊んでしっかり研究。 何事もバランスが大事ですね。
今日から「お友達」 2002年04月18日 | 大学院修士1年(通学) 風邪が完治しないまま大学へいってしまいました。 風邪薬は眠たいです・・・ 今日、演習で『「いき」の構造』を扱うと 先生に言われ、なんだか聞いたことあるタイトルの本だなぁと思う程度でした。 けれどタイトルだけでも十分魅力を感じてしまって 今まで「いきだねぇ!」という「いき」という言葉を特に意識しなかったのに、 急にこの言葉が浮き出てきて、私の中で「いき」という言葉に出会うと反応してしまうような状態になってしまいました。 それは以前に卒論を書いたときも同じような現象がおきました。 「姦通」「自我」「夜風」「ひらきなおり」「結構人」 など卒論で使った『裏紫』に関係するキーワードのような言葉に すぐ反応してしまい、今回の論文とリンクしないか? と頭がすぐ論文モードになってしまいまいした。 けれど、これらの言葉も『裏紫』に出会っていなかったら 特に気にもしなかった言葉だったと思います。 今まで目に飛び込んでこなかったようなことが 飛び込んでくるようになる。 これはちょっぴり世界が広がったような気持ちになります。 アンテナは常にはっていたいです。
音読 2002年04月17日 | 大学院修士1年(通学) 風邪をひいてしまいました。 昨夜からなんだか喉の調子が悪くて なんだろう??と思っていたら・・・ 授業に出れなかったのが痛かったです* お昼にずっと寝ているのも落ち着かず 一葉全集を取り出して『闇桜』を音読。 実は一葉をやりたいと言っておきながら、 彼女の文体になれていないのが現状* ならば慣れるしかない!! と、卒論の頃にやっていた音読を開始しました。 黙読だと頭に入ってこない私だけれど、 音読だとリズム感があるおかげか頭に入ってくる。。。 3回読んで、だいたいの流れがつかめました。 明日は他の作品でTRY。 こうしていけば、だんだんあの文体にも慣れてくるかなぁと・・・ やっぱり直接自分が接しないとだめなんだなぁと思いました。 地道にいきます(笑)
それは「便利な道具」 2002年04月16日 | 大学院修士1年(通学) 履修登録も済み、キャンパスにもなじんできた今日この頃。 演習発表などを控えて私は資料を探しをしていました。 資料を探すということは、卒論や学部時代の演習などで覚えたことが 院での演習準備に役立っています。 最近はほとんどの大学図書館がパソコンで蔵書を検索するようになりました。 私の頃はパソコンを使うやり方と、そうでない書物から探すやり方の二つがまた存在していた頃で CD-ROMが出ていない頃は何冊もある分厚い『国歌大観』をめくって和歌を探していたこともありました。 現在ではCD-ROM化され、キーワードをいれるだけで、そのキーワードを含む和歌が検索され、とても便利になりました。 図書館の資料も似ていて、先日国内で発表された国文学関係の論文の目次等が載っている『国文学年鑑』である論文を探していました。 希望する論文がどういった雑誌にのっているかまではわかったものの、 雑誌検索をしても大学図書館の蔵書にひっかかりませんでした。 「あぁ、うちの大学にはないのか。どこかで探してみるかぁ」 そう思い、何気なく「こういった雑誌を探したんだけれどなかったんですよ」 という相談をすると 「あるじゃないか」 と言われ、検索に私の探していた雑誌がhitしたことを教えてもらいました。 私は「雑誌」で検索していたのですが、その論文は雑誌ではなく、他の書物の部類でhitしました。 私は 「しまった…」 そう思い、便利になった世の中に頼りすぎていたことを情けなく思いました。 パソコンに頼りすぎていたんです。 いつもパソコンは「便利な道具」だと思っていました。 しかし検索やネットだけで研究が進むかといったらそれは無理です。 やっぱり所詮道具なんです。 どんなに便利になっていっても、やっぱり道具には変わりないのです。 それを雑誌で検索してなかったので諦めてしまった自分。 その論文が本当にほしいならば、もっと工夫をするべきだったと思いました。 パソコンに向って検索エンジンに頼っているだけではダメなんだと… これからもパソコンは使っていくけれど、やっぱりこれは道具。 調べることには貪欲になり、とことん調べて見つけ出してみせる。 それくらいの気持ちがなければだめだなと… 「本は探しているとその人の手に吸い付いてくる」 求めていた本を探して探して探してやっと見つけた人の言った言葉です。 ちょっとやそっと探しただけで「うちの大学にはないのか」などと決めてしまって自分が情けないです。 99%確実で残りの1%が確実でないならば その1%に目を向けるのが研究をしていく人の姿勢なのでは?と思った今日この頃でした。
現代語でない研究書 2002年04月15日 | 大学院修士2年(通学) 今日は初授業でした。 といってもまだ授業(演習だけれど)の形態の発表くらいで 本格的なことはやっていないんですけど… ビックリしたのが源氏の授業。 短大時代に源氏を少しかじって、当時にしては 変体仮名で読んで、しかもレジュメにしてまとめたのだから かなり頑張ったと思っていたのですが、 今回はもっとすごいことに・・・ 俗に言う現代語訳などについて疑ってかかるのが研究。 「それっておかしくない?」 となぜおかしいのかを論証していくのが院生。 今までのように現代人が書いた注釈や読み方でなく、 その昔藤原定家などが書いた源氏の研究書など、 古文で書かれている注釈書を読まなければいけない・・・ 学部と院の違いを感じた瞬間でした。 けれど確かに現代語にある注釈等は現代人のある研究者の考えで 本来平安時代に書かれた現時を研究するならば、初期に研究されたことまでさかのぼっていくのが常識なんですよね。 そう思うと大変だけれど、遣り甲斐はすごくありそうです。 はぁ、どうか当時の注釈書が読めますように・・・ そしてそこから「おや?これはおかしいぞ?」 という問題点を読み取らなくてはいけないので 今の私にはかなり難関ですが、 やるしかないなと思う今日この頃です。
好奇心からのスタート 2002年04月11日 | 大学院修士1年(通学) まだ院へ通うの慣れない今日このごろ。 時間割も落ち着いてきて、来週からは授業の見学に行くことになりました。 履修は慎重。一日3コマくらいをこなすので、ちょっと疲れそうです。 前期はドクターの先輩方の発表があるので、わりと院に慣れる時間がとれそうです。 けれどその分後期に発表が集中してしまうので、今のうちのできることはやっておきたい。 何ができるか? 修論の準備などが考えられるのですが 「知りたい!!調べたい!!」 の気持ちを大切にしていきたいので 今は好奇心の赴くままに、本を読んだり、 一葉作品や同時代の作家の作品、 そして文学散歩などを中心としていこうと思います。 きっと後期はそういった時間がとりにくいと思うので・・・ 本をいっぱい読みたいな(^^)
履修登録に悩む 2002年04月09日 | 大学院修士1年(通学) なれない通学のため、自宅に帰ってくるとバタンキュウです。 校舎も多く何号館になにがあるのかもわからず あちこちを駆け回る毎日。 まぁいずれ慣れると思うのですが・・・ 履修登録に悩んでいます。 「演習」は今まで一年に数回しかとらなかったので それが5,6コマあると思うと正直ゾッとしてしまいます。 図書館にこもるのは好きだけれど、体がもつのかなぁなど 不安の材料はいっぱいです。 ビックリしたのは学部の頃のように とりあえず履修しておくか! という感じで履修をし、あとでやめることは 避けた方がいいとのこと。 一度履修したら最後までやりぬくことがうちの院では 礼儀というかあたりまえのようです。 ならばなおさら履修に戸惑ってしまいます。 院の科目はすべて演習。 演習自体は好きだけれど 自分が興味を持っている作品以外なども 調べなければいけないのです。 いろいろなことに目を向けることは大事だけれど それがやがて血となり肉となるのだけれど やっぱり慣れないうちは大変そうです。 やるしかない そう思いました。
入学式 2002年04月06日 | 大学院修士1年(通学) 今日は大学院の入学式。 学部生に混じってサークル勧誘の嵐のなか無事体育館に到着。 卒業式のあとはオリエンテーションなどがありそうなのですが、 すぐ学部のオリエンテーション等のお手伝いをすることに・・・ 大学が出版している国文関係の冊子などは 院生が協力して出版しているということが発覚。 さぁ準備はできているからいらっしゃい! という感じではなく 院生がやらなければ、大学の国文学活動がそこでとまってしまう・・・ という感じで、ビックリ・・・ こんな忙しいのにゼミの発表をしたり、 資料を集めてレジュメや論文を書いたりするのだから とても大変そう・・・ さすがに慣れなくて、バタンキュウでした。 朝早く家を出たのにもかかわらず、帰ってきたのは夜の11時前でした・・・ いい社会勉強にもなりそうです。 少しずつでも慣れていくといいな。
芭蕉の句碑を発見!! 2002年04月02日 | 大学院修士1年(通学) 息抜きに江ノ島へ行ってきた日のことです。 「息抜き」ということだったのですが、 普段あまり足を運ばない土地に行くと ついつい文学碑などに目が行ってしまいます。 そこで私の好きな芭蕉の句碑を発見しました!! 句碑や文学碑は変体仮名で書かれていますが それもある程度は大丈夫。 院試対策等で学んだ変体仮名は今も なんとなくですが頭に残っています。 これはおそらく**と書いてあるんだな。 そんなことがわかるとちょっぴり嬉しくなります。 芭蕉は「はせを」と書いている これは短大時代の『奥の細道』学部時代『去来抄』をかじった時 記憶にあったので、きっとこれだろうなと推測できました。 ちょっとしたことでもわかると、何気なく行った土地に対しても 「ここを芭蕉が歩いたのかぁ」 と思うとなんだか嬉しくて嬉しくなってきてしまいます。 国文学を勉強してきてよかったと思う瞬間です。 最近はそういった瞬間が多いので、喜ばしい限りです。
山梨県立文学館へ 2002年04月01日 | 大学院修士1年(通学) 本日山梨から横浜へ帰ってきました。 なぜ山梨へ? それは一葉の両親のふるさとが山梨にあり、 一葉の作品「ゆく雲」にも山梨の描写があるからです。 山梨にある山梨県立文学館に資料があるということは 以前に一葉記念館へ行ったときから知っていたので これは絶対に行きたい!!と思い 大学生最後の日、3月31日に行ってきました。 閉館前で急いで見たのですが、それでもとてもよかったです。 一葉の作品「ゆく雲」の舞台となった山梨の描写についてがはやりかかれてあり、ビデオなどもありました。 慈雲寺の文学碑の映像もあり、あぁ行ってみたい!!という気持ちは募り、 閲覧室では映像で筆写本をみることもできました。 (「九雲夢」です。初めてみました!漢字で書かれており、 一葉の書く漢字は初めて見ました。いつも連綿なので…) いろいろと質問をしたり、館長がなんと卒論指導でお世話になった紅野先生のお父様、紅野敏郎先生ではありませんか! 司書の方に敏郎先生のお話を伺ったり、文学館のことについてなどのお話をしてもらいました。 文学館でこうした出会いがあるのは嬉しい限りです。 特に司書の方が好印象で、また来たい!! そう思いました。今度は敏郎先生がいらっしゃる日に行ってみたい… 文学に出会えたおかげで、たくさんの人との出会いがありました。 これからもきっとそういった出会いがあるんだろうなと思うと嬉しいですね。 研究もいいけれど、人と人とのふれあいもいいなぁと思う今日この頃でした。