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昭和43年白堊野球物語14-作:佐藤泰久(S42)

2016年09月01日 | 白堊野球物語
◆沖縄・興南との戦い-1

準々決勝は翌々日の20日、それまで6人まとめて、大川君の叔父さん・山本秀郎先輩(S6年盛中卒)宅にやっかいになることにした。

昭和6年卒は「松緑会」と称し、大川君の親父さん、舟越保武、小川博三、岩動道行、などそうそうたるメンバーで知られていた。津久見に勝った夜は当時まだ少なかったカラーTVで津久見戦のニュースを見た、感動した。なかでもM旗の色鮮やかさは38年たった今も忘れることはない。その日はカレーをご馳走になりながら昼の戦評をし、にぎやかに終わった。実においしいカレーだった。

準々決勝の相手は復帰直前の沖縄、興南高校、津久見よりは格段に取り組みやすい相手だった。新聞の予想も盛岡一有利の評価だ。
こういうときが危ない、一抹の不安はあったが、ここまでくれば「真紅の大優勝旗」を、という思いも交錯した。

選手諸君もそうだったろう、主将の高橋君の口からも「優勝」の2文字が出る。

19日は皆ゴロゴロしていたが、応援幟を作ろうということになり、激論の末、文言は「奮え杜陵の健男児」になった。中川君の達筆で完成。

そして20日当日。ともにベスト8まで勝ち上がってきた秋田市立が目の前で敗れ、いよいよ決戦だ。