まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

交通事故の悲惨さ、理不尽さ

2016年11月04日 | 日記

先月下旬に、横浜市で認知症と思われる男性の運転する軽トラックが原因で、集団登校していた小学生9人が巻き込まれ、このうち小学1年生の男の子が死亡。愛知県一宮市では、交差点でポケモンGOをしながらわき見運転していたトラックにひかれ、小学4年生がなくったというニュースが流れている。

登下校中の小学生等の列に車が突っ込みたくさんの死傷者を出すような交通事故は、あってはならないが振返ると定期的に起こっている。

認知症・発作的な病気、飲酒・薬物使用、過労状態にある人は運転してはならないし、運転しながら携帯電話やゲームなどをすることは、やってはならないルールとして決められている。
それでも、人は、予測されるが確定していない危険より、目の前にある自分の具体的な欲求をまず満たそうとするのだと思う。

そういう判断は、車の運転者である自分も陥りやすい部分で、「私は加害者には絶対なりません」とは言い切れないところがある。ふっと自制心が薄らいだとき、事故の当事者になる可能性は十分ある。

自分本位だけの行動は、理不尽な、悲惨な結果を生む。交通事故の当事者は、その瞬間まで、面識も、縁もゆかりもない他人の場合がほとんどだろう。
ルールを守って行動していた方の命が奪われ、守らなかった加害者が生きている。子どもに自分の未来を見ていた親は、何の因果もなく、知らない人に一瞬でそれを奪われる。

人の世は、なぜこんな理不尽ことが多いのだろう。

人が車を走らせること自体が危険な行為で、事故は避けられないと思う。でも、ハンドルを握る時、自分の目的、欲求を第一にする前に、事故という結果の部分の責任を考えたい。できれば、防げる事故は、起こしたくない。

車は田舎の必需品ではあるが、いつかくる免許返納の判断をする日のこともイメージしておこうと思った。

 

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