まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

まだ乗ることにした

2018年03月02日 | 日記
新車登録からまる15年たった、相棒の軽四を車検にだした。
 
二年前の今頃、『軽自動車の車検(2016年03月15日 | 家事・雑草との日々)』という記事を書いている。
早いもので、もう二年の時間が過ぎ去ったことになる。
 
当時は、「この車検が満了する頃にはどこか壊れてしまうのかな」と思っていた。
そうしたら、二年後には、燃費の良い新しい車を買って、これに十年くらい乗る。70歳過ぎたら、免許を返納して車の運手は止めにしよう。
そんな心境でいて、車更新の資金は、早期退職前から生活費とは別に確保してあるが、これを使うのはもう少し先になった。
 
この二年、チョイノリだが相棒の軽四に頼ることが多くなり、ほぼ毎日エンジンをかけるので、エンジンの調子はすこぶる良い。ゴム部品やバッテリーなどの消耗品も暇にまかせて少しずつ交換してきたので、日常使いにはなんら支障がない。
していえば、外観が古い、多少の錆や塗装の劣化があるが、”ジイサンマン”の乗物としては、それらしくていいと思っている。
 
実際のところ、10年以上乗った古い車が、今の調子で乗れることに驚いている。
 
二年前にも書いているが、「あたしが乗るのをやめれば、もうポンコツ」である。
まだまだ働ける、できることはあるのに、あなたは歳だから、もう仕事はやりません的な扱いは、衰えてきた自分と重なり身につまされる。
 
夕方には検査も終り戻ってくるだろう。
修理工場の奥さんが「古い代車でごめんね」と貸してくれた車が、『やけに新型!』と感じるほど相棒は古くなったけれど、面倒をみながらもうしばらく走ってもらおうと思う。
 
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<今日は何の日>
1840(天保11))年の今日、遠山金四郎景元(遠山の金さん)が、江戸北町奉行となりました。
今日は、遠山の金さんの日だそうです。
 
遠山の金さんは、時代劇の印象が強いんですが、実は、史実の人で、江戸幕府小普請奉行、作事奉行、勘定奉行、北町奉行、大目付、南町奉行などを歴任。
今でいえば、建設大臣、財務大臣、警察庁長官、都知事などとなるのでしょうか。かなり有能な行政官だったようです。
 
千葉県いすみ市岬町岩熊という地は、遠山家の知行地だったところで、法華寺というお寺には、金さんの息子さんの妻(遠山多嘉)の墓石が残っていたりします。
今は昔の物語です。
 
コメント
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