右足のダメージはまだ少し残っていたが、地域の皆さんと一緒に出羽三山のお参りに行ってきた。
近所の先輩にもう十年近くも前から会社を終わったら行こうと誘われてきたが、数年前に定職を自主的に終わりにしたにも関わらず、人間関係不得手の私はのらりくらりと不参加を決め込んできた。
長時間バスという小さな空間で過ごせば、話題がなければ『私(個人的な)』の話になる。
どこに住んでる?
歳はいくつ? ○○って知ってる?
仕事は?
・・・
歳はいくつ? ○○って知ってる?
仕事は?
・・・
実は、こういうのがとても面倒でパスしてきたのだが、今年も年初に声をかけてくれた先輩にほだされ、半分お付き合いで参加を決意したしだい。
年一回は旅をしようというのも『自分清算会社小路てくてく』の事業の一つなので、今年はこれが旅イベントだと、シルバーバイトの約一月分の旅費を渡し、出発の日が近くなるにつれ、知らない事への好奇心・期待が沸いてきたところでの階段転落だった。
旅の初日は湯殿山、羽黒山の参拝。
足を着く角度によっては多少違和感もあったが、この二山は神社付近までバスで行けたので初日は無事参拝ができた。
湯殿山のお湯が足に効いたのか、二日目は嘘のように痛みが軽減した(^◇^)。
羽黒山側の月山八合目までバスで行き、初登山に挑戦。
天候が悪く山に入るのを躊躇したが、一番平易なルート※らしく、先達もつき、地元の先輩たちも励ましてくれたので歩きだした。
(※今回のルート:羽黒山側の月山八合目から上がるコースは初級、下りのリフトコースも初級らしい)
雨と風、すごいガス(雲)の中、景色はまったく見えない山道。
ただただ踏みしめる足元の岩を、雨でくもったメガネ越しに探し、一歩一歩歩を進める時間だった。
風が吹き付ける側のメガネレンズが特に曇るので、片目状態で遠近感がつかめないのだ。
正直、一人だったらヤバイ!と感じた。
正直、一人だったらヤバイ!と感じた。
メガネ友達の先輩のひとりが、足を滑らせ谷側の熊笹の上に転倒した。
幸い笹などがクッションとなり、打撲もなく衣服を汚した程度で、事後の笑い話で済んだが、転落していれば今頃この記事を書いているような状況ではなかっただろうと思う。
山頂付近の雪渓にはまだたくさんの雪が残り、一部登山道も雪の上を歩いた。
山頂もこんな感じ。
みなさんカッパを着ていてもびしょびしょぐしょぐしょで、体温を奪われ山小屋のストーブで温まりながら、持参のカップ麺や小屋の美味しい味噌汁を飲んでいた。
下山時には天候が好転し、多少景色もみられた。
実は雪渓の画は下山時のものだ。
実は雪渓の画は下山時のものだ。
月山八合目からの登山・参拝は観光地ではある。
でも、あなどってはいけない、そう感じた。
千葉の最高峰は標高400m程度。
この程度の山野でも尾根から転落して亡くなる人もいるわけで、『月山登山』は最低限の山歩きの装備と精通した地元の先達などの助けを借りるべきだと痛感した。
バスで冷たいビールを飲みながら、自分は自己中100%の人間だけれど、日々みんなに助けられてなんとかやっているし、多少は周りの役にたっているのかもなぁ、と自己中に実感。
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<今日は何の日>
1247年(鎌倉時代)の今日、時の幕府の執権北条時頼が、道元を鎌倉に招きました。
道元が、権力近づかず自分と向きあい仏の教えを追及する姿勢を確立した出来事だと言われています。
『道元禅師』(立松和平氏著 新潮社)、こんな小説も読んでいるのですが、なかなか進みません(笑)。
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