まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

無職の恐怖

2014年10月10日 | 早期退職
9月末に辞令をもらって10日たった今は、もうすっかり割り切れてしまい”無職の恐怖”を感じているわけではないのだが、9月中旬以降年休で休んでいた一時期、社会からの疎外感というか寂莫感というか、不安定な思いがあった。

自分で割り切って辞めるのに、なぜだろう、まだ会社に未練があるのかな、などいろいろ考えてみた。

一つには、それまでたくさんの人たちに囲まれて仕事をしてきたので、自分で辞めると言ったものの、「自分は会社で必要とされている」「自分は会社の役にたっている」という思い込み、帰属意識のようなものが染みついており、休み始めた当初はまだ意識の中に残っていたのだと思う。

辞める前提で休み始めると、仕事の方は急速に離れて行く。

仲間たちからの連絡も入らない。

後任も決まり、仕事はそちらを中心に回りだす。

会社にかかわっていた時間が長ければ長いほど、深く関われば関わるほど、在職中と辞めた後の落差は大きく、疎外感が強くなってくるのだと思う。

もう一つ、世の中のおおかたは、会社等で働いている人=普通の社会人という見方があり、特に田舎は、定年前からおやじが家にいることを心配してくれる目が多いということだ。

心配してくれても、現実問題として次の仕事の心配をしてくれたり、経済的な援助をしてくれるという人は皆無、噂話のネタなのだが、周りから感じる視線というか雰囲気に気まずさ、引け目を感じている部分もあったのだと思う。

当面食べていけるのかとか、年金とか保険とかの不安より、このまま世の中から見捨てられて、このまま一人で生きて行けるのかという変な不安感だった。

考えてみれば、会社とは労働契約で働き、その中で役割分担しているだけ。
辞めるとなれば、お互い精算事務だけで、余計な連絡はなくなるのは当然。
なんということはないのである。

無職ということは、時間がたくさんある。
今までできなかったり、迷惑をかけてきた地域の仕事もやろうと思えばできる。
結構なことではないか。

朝寝、朝酒、朝湯を決め込んで、ゴロゴロしているわけではない。
家事をこなし、ゆっくりした時間の中で、読書などを楽しみ、時間を送っている。
身体を動かすので、よく眠れ、すこぶる快調だ。
強いて言えば、少しストレスが欲しいなぁという部分があるが、これはまだ無職、駆け出しの心境、修行がたらないということだろう。

社会と関わりを持ち続けたければ、新たに自分の生活ペースにあった仕事なり自営業を見つければいいだけの話しだ。

今はむしろほとんど考えていなかった資金計画をきちんと考えて、節約+多少の収入源を見つけたいと思っている。

今日の退職後の気持ち:
20年以上前にクリスマスギフトについてきたモミの木が大きくなり伐採に着手。ようやく整理ができそうだ。良い汗!(^^)! 
コメント
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