goo blog サービス終了のお知らせ 

日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

W杯から再び世界の舞台へ

2016-01-19 07:30:00 | 報道/ニュース

おはよう日本


去年のW杯の活躍で一躍時の人となった五郎丸歩選手。
帰国後は様々なイベントに呼ばれ
各方面からひっぱりだこである。
練習や試合の合間を縫って積極的に参加する五郎丸選手。
そこには強い思いがあった。
Q.本当に忙しい日々を送っていると思うが自身ではどう受け止めている?
(ラグビーW杯日本代表 五郎丸歩選手)
「もうこれは僕に与えられた使命。
 皆さんにラグビーを知ってもらうという。
 ラグビー選手って寿命が長くないから
 ラグビー人生の中で自分ができることはすべてやり終えて引退したい。
 いまを点で見たら頑張りすぎているかもしれないが
 それを通じてラグビーを知っていただけるならありがたい。」
Q.W杯改めてお聞きしたいのですが今どんな思いですか?
(五郎丸歩選手)
「本当にこの4年間努力してきてよかった。
 失敗して初めて気づくことだったり得るものが本当に大きいと思った。」
失敗から学び成長につなげる。
それは五郎丸選手が胸に刻んできた教訓だった。
29歳で初めて挑んだ去年のW杯。
初戦直前の国歌斉唱
その目には涙が浮かんでいた。
この舞台は5年前に味わった大きな挫折を乗り越えつかんだものだった。
(五郎丸選手)
「いろんな経験をさせてもらった中で思いがこみ上げてきた。」
強豪早稲田大学で1年生からレギュラーとして活躍した五郎丸選手。
19歳で早くも日本代表デビューを飾り順風満帆の選手生活を送っていた。
しかし2011年のW杯
大会直前最終メンバーから外されグラウンドに立つことが出来なかったのである。
Q.2011年のW杯では代表から外れてしまいましたよね?
(五郎丸歩選手)
「なんとなくラグビーをしていて
 もちろん努力はしたが今と比べると努力が足りなかった。
 去年のW杯に対する意気込みとその当時の自分を照らし合わせたとき
 まず出る権利がなかった。」
この苦い経験を成長につなげ次のW杯には必ず出場する。
そこで五郎丸選手は得意のキックを世界で通用するものに磨き上げようと決意した。
チーム練習の後1人残って練習する日々。
30分以上蹴り続ける日もあった。
その中で徐々に作り上げていったのが
“ルーティン”と呼ばれる一連の動きからのキックである。
一つ一つの動きに集中することで
緊迫した場面でも正確なキックができることを目指した。
そしてこうした動きを10点満点で自己採点し改良を重ねていった。
そしてようやくたどり着いたW杯の舞台。
1次リーグでは全選手中2位となる58得点をあげた。
1つの挫折を糧に
五郎丸選手は大きな進化を遂げたのである。
(五郎丸歩選手)
「失敗しないと自分自身が得るもの少ない。
 成功ばっかりしてても。
 何か逆境が来てもそれをチャンスだと思えばすべてが順風満帆になったと言える。
 いいことがあってもそれが自分にとって良くないと思えばそれは逆境になってしまう。
 考え方だと思う。」
そして今年
五郎丸選手は新たな舞台に挑む。
それは正解最高峰のプロリーグ スーパーラグビー。
そこにはW杯に出場した一流の選手たちが集結する。
Q.初めての挑戦で不安はない?
(五郎丸歩選手)
「不安はない。
 成功することが楽しみじゃない。
 失敗していろんなことに気づいたりするのが楽しみ。
 このまま日本でプレーし続けていれば
 あまり失敗もせず指摘もされずやっていく。
 失敗した先に何かあると僕は思う。
 本当にゼロからのスタートだと思ってやっていく。」
W杯をきっかけにラグビーを始める子どもたちが急増した。
日本ラグビー界の未来のために
五郎丸選手はスーパーラグビーでの活躍を誓う。
(五郎丸歩選手)
「今はサッカー界も野球界も海外に出ていって
 海外で活躍した選手に対して子どもたちはあこがれを持つ。
 もう時代は変わっている。
 世界でいかに活躍できるか。
 別に世界を美化するわけじゃない。
 日本も素晴らしい部分たくさんある。
 ただやっぱり子どもたちが目指すところは
 今海外で活躍しているプレーヤーだというのは
自分も十分理解している。
 僕はプレーヤーなんでプレーで皆さんに示したいというのが自分の思い。」
Q.成し遂げることはまだまだあるということですね?
(五郎丸歩選手)
「楽しみにしておいてください。」
 


コメント