7月29日 NHK「おはよう日本」
今年2月に96歳で亡くなった日本文学の研究者 ドナルド・キーンさん。
三島由紀夫や川端康成らとも親交があり
東日本大震災のあと日本国籍を取得したことでも知られている。
そのキーンさんは
20万を超える人が犠牲になった74年前の沖縄戦にアメリカ軍の1員として従軍していた。
キーンさんには向き合い続けた思いがあった。
ドナルド・キーンさんは7年前 生前最後となった沖縄を訪れていた。
このとき自身が体験した沖縄線について語った。
(ドナルド・キーンさん 那覇市の講演会で)
「首里は王国の都があったとは思えないくらいでした。
何もなかったです。」
沖縄への特別な思いを言葉にしたとき
涙があふれた。
「私は心から沖縄の方々に感謝しています。
ありがとうございました。」
県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦。
日本語を学んでいたキーンさんは住民に投降を呼びかける任務を担当した。
住民を救いたいという思いがあった。
長年キーンさんと交流を続けてきた人がいる。
琉球史の専門家 井上秀雄さんである。
知人の紹介で交流が始まったのは24年前。
沖縄の各地を案内し
亡くなる直前まで交流が続いた。
井上さんには忘れられないキーンさんとの思い出がある。
それはアメリカ軍嘉手納基地を案内しようと提案したときだった。
(井上秀雄さん)
「“ご厚意はありがたいですけども私は基地は見たくありません”って。
理由はおっしゃらないです。」
沖縄戦で1人でも多くの住民を救おうとしたキーンさん。
しかし住民が戦闘に巻き込まれていくのが目の当たりにした現実だった。
基地はそうした過去を思い起こさせるのではないかと井上さんは感じた。
(井上秀雄さん)
「“自分は軍服は着けているけども人殺しに来たんじゃない”と。
1人でも民間人を救いたいというのが念頭にある。
それでも救えなかった。
だから基地ということに対して抵抗していたんじゃないか。」
キーンさんが講演で流した涙を見て心を動かされた人がいる。
沖縄県在住の作家 近本洋一さんである。
キーンさんの著書を通じて“冷静な研究者”というイメージを持っていただけに
感情をあらわにした姿に驚いたという。
(近本洋一さん)
「思っていたのと違う人なんだ。
涙を流すほどの事をこの土地で経験した。
それはどんな経験だったんだろう。」
その理由に迫りたい。
近本さんはキーンさんの思いに触れてきた井上さんを訪ねた。
(井上秀雄さん)
「ご本人の話ですよ。
軍服を着けているけれども武器は持たなかったと
最後まで拒否したとおっしゃっていましたね。」
(近本洋一さん)
「武器を持たなかったというのは初めてうかがいました。」
(井上秀雄さん)
「ピストルも持たなかったと聞いた。」
(近本洋一さん)
「僕は幸いものを書いて発表する機会を与えてもらっている人間なので
キーンさんからつないで
また言葉にして残していきたい。」
人が人を傷つける戦争を否定し続けたキーンさん。
平和への思いは受け継がれていく。