鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉の砂鉄 5

2010年06月01日 | 鎌倉の古代
写真の右側は稲村ガ崎。
写真の左側は江ノ島方向で、七里ガ浜の駐車場が写っています。

慶應義塾高等学校3年の研究レポート「稲村ヶ崎の砂の起源」があります。
このレポートには、潮の流れの図が在り、その図を参考に結論を出してしまった。
結論は「潮の流れに乗り、西の方向から砂が運ばれた!」
潮の流れは、図面に示されるほど単純ではなく、、私の小学生から25歳までの海水浴やヨット遊びの体験とは全く違った物で、鎌倉江の島の海ではサキ潮と呼ばれる東より西へ向かう潮流しか経験が無い。
潮流は満ち引きで方向は変わり、満ち潮時には反時計回り、引き潮時には時計回りに流れる。しかし潮流以上に黒潮の海流の影響が強く、 その相模湾内の反時計回りの海流(葉山→逗子→鎌倉→藤沢→小田原の順で向かう潮の流れ)が大半でサキシオと呼んでいる。
江ノ島の西浜で遊ぶと必ず「小田原方面に向けて流される」のです。
慶應の研究レポートにある潮の流れの図とは、、逆の方向です。実際の海に関わらない机上論を慶應の研究に感じます。
基本の考え方は、砂浜の砂は、、川により運ばれた砂が浜になる。海の底から湧いて出る物ではない。
近年、川には防砂堰堤が無数に作られた事から、川から海に砂が運ばれずに砂浜が痩せてきた問題が起きている。
学生がテーマを与えられ、短期間で結論とレポートを出した机上論とは思いますが、看板付きの研究成果は権威を感じ信頼するのが一般的なので残念です。

写真をご覧ください。
左の駐車場の在る浜は白くて、稲村ガ崎に近寄る程黒くなるのが理解できると思います。
要は、極楽寺川より、、、黒い砂は運ばれてくる。
証明は、、単に川底を覗けば判定できると思います。
皆さんの判定は,、如何ですか?

追伸 Google Earthの画像は、この写真の10倍鮮明です。
   ぜひEarth画像をご覧ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする