続、東山道相模路の巻 終り
「鎌倉軍は武蔵路を守る為天神山に陣を張った。」
「新田軍は化粧坂を攻める為に、州崎(天神山)を攻めた。」
これは、何を暗示しているのでしょう?
取りあえず、古代駅路の痕跡と考えられる場所を、図で示しました。
一、武蔵大路1のライン(赤)です
二、武蔵大路2のライン(暗赤)です。
三、東海道のライン(青)です。
これらのラインは、✖印の処で道の痕跡は消えるのです。
天神山を守る理由は、武蔵大路2の防衛の為と考えるのです。
それは、鎌倉時代に言われた武蔵大路はこの「武蔵大路2」である根拠です。
全体を見てみましょう。
■武蔵大路1は、初期の武蔵大路、、、と言うよりは東山道武蔵路(東山道相模路)と言い換えた道の痕跡であり、海蔵寺裏の大堀切(武蔵大路切通)へ抜けたと考えられます。
■武蔵大路2は、平安時代より鎌倉時代初期まで、使われた考えられる道で、奥州古道と名前を変え、町田の野津田を通り、座間の星谷寺から海老名國分寺より水道伝路と呼ばれる藤沢を通る道です。
初期は、藤沢の立石から鎌倉の天神山に向けた道が、後年白旗神社より石上の渡し竜口寺より七里ガ浜、稲村へ向けたと考えられる。
■そして、古代東海道も✖印の処でその痕跡は曖昧になる。
さて、、✖印の処で道は消えた???
そうでなくて、道を隠した形跡が在るでしょう??という事です。
どの様に隠したか?
それは 鎌倉幕府が、道を隠すパターンが有るのです。
一番明確なのは、海蔵寺裏の大堀切です。
この大堀切と呼ばれる切通しを閉鎖した土橋構造を参考に✖印の周辺を探せば、見つかる訳です。
この続きは「隠された大切通し」 「謎の大堀切」の話へ飛びます。
「鎌倉軍は武蔵路を守る為天神山に陣を張った。」
「新田軍は化粧坂を攻める為に、州崎(天神山)を攻めた。」
これは、何を暗示しているのでしょう?
取りあえず、古代駅路の痕跡と考えられる場所を、図で示しました。
一、武蔵大路1のライン(赤)です
二、武蔵大路2のライン(暗赤)です。
三、東海道のライン(青)です。
これらのラインは、✖印の処で道の痕跡は消えるのです。
天神山を守る理由は、武蔵大路2の防衛の為と考えるのです。
それは、鎌倉時代に言われた武蔵大路はこの「武蔵大路2」である根拠です。
全体を見てみましょう。
■武蔵大路1は、初期の武蔵大路、、、と言うよりは東山道武蔵路(東山道相模路)と言い換えた道の痕跡であり、海蔵寺裏の大堀切(武蔵大路切通)へ抜けたと考えられます。
■武蔵大路2は、平安時代より鎌倉時代初期まで、使われた考えられる道で、奥州古道と名前を変え、町田の野津田を通り、座間の星谷寺から海老名國分寺より水道伝路と呼ばれる藤沢を通る道です。
初期は、藤沢の立石から鎌倉の天神山に向けた道が、後年白旗神社より石上の渡し竜口寺より七里ガ浜、稲村へ向けたと考えられる。
■そして、古代東海道も✖印の処でその痕跡は曖昧になる。
さて、、✖印の処で道は消えた???
そうでなくて、道を隠した形跡が在るでしょう??という事です。
どの様に隠したか?
それは 鎌倉幕府が、道を隠すパターンが有るのです。
一番明確なのは、海蔵寺裏の大堀切です。
この大堀切と呼ばれる切通しを閉鎖した土橋構造を参考に✖印の周辺を探せば、見つかる訳です。
この続きは「隠された大切通し」 「謎の大堀切」の話へ飛びます。