秦野の「大道」と平塚「構之内遺跡」の古代道痕跡が有りますが、、、
その間に下大槻より、古代道の遺構が検出されている。
以下は、発掘途中と、2015年の状況(2車線道路に変っている)です。
2004年4月平塚市東中原E遺跡第4地点の説明会では、5年前に発掘された下大槻の古代道の遺構は古代駅路とは無関係とされていました。
詳細は「相模の古代東海道 9 補足」に記載した状況です。
公式の訂正文は有りませんが、、、
当ブログにおいては、下大槻の痕跡は、古代東海道の駅路である!という前提で話を続けます。
上の図で、
緑の丸は、秦野市で大道の地名の有る場所。
赤い丸は、下大槻道路遺構。
赤いラインは、東中原E遺跡。
それぞれの関連性がご理解頂けるとおもいます。
この場所の特徴として、金目川が運んだ土砂の堆積された平地より一段高い丘を道が通る訳で、
この様な場所は、切通を作って丘に上がるのが定番です。
その、探索方法は?
その間に下大槻より、古代道の遺構が検出されている。
以下は、発掘途中と、2015年の状況(2車線道路に変っている)です。
2004年4月平塚市東中原E遺跡第4地点の説明会では、5年前に発掘された下大槻の古代道の遺構は古代駅路とは無関係とされていました。
詳細は「相模の古代東海道 9 補足」に記載した状況です。
公式の訂正文は有りませんが、、、
当ブログにおいては、下大槻の痕跡は、古代東海道の駅路である!という前提で話を続けます。
上の図で、
緑の丸は、秦野市で大道の地名の有る場所。
赤い丸は、下大槻道路遺構。
赤いラインは、東中原E遺跡。
それぞれの関連性がご理解頂けるとおもいます。
この場所の特徴として、金目川が運んだ土砂の堆積された平地より一段高い丘を道が通る訳で、
この様な場所は、切通を作って丘に上がるのが定番です。
その、探索方法は?