近代的な信頼のできる 明治15年に作成された迅速図です。
ほぼ江戸時代の状態を示した地図と考えられます。
未だ 小田急線や246号道路も無い時代です。
問題は、
紫色に示した矢倉沢街道です。江戸時代はこのルートと考えられます。
赤色に示した道は栃窪の古老に聴くと大住郡の郡道で在ったと説明されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/30/fb3e128459117b2128a717f71acb7198.jpg)
地図の中央は渋沢村で、矢倉沢街道は四十八瀬川に降りていきます。
この周辺の街道の道幅は、当時は一間程と伝え聞いています。
渋沢村から四十八瀬川に降りる道は、途中に車止めがありその後は本来の道幅と考えられる一間幅の道と成ります。
この川沿いの道の現状は小田急の路線上でったり、藪の中となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f4/46ba0d3cc9c4086417fd10eda6f2eea9.jpg)
更に四十八瀬川に降りると、痕跡も消える廃道となります。
地図の方位は、上が北です。
次の図は、鎌倉方面から矢倉岳方面の西を向けた図面と成ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/92/ba9c4cabfafaff7a905536e6f93c4902.jpg)
詳細を解説すると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6d/f167072314cf5adbc48d761f15237004.jpg)
この様な概念図と成ります。
次回は、富士見塚脇の古代東海道の痕跡です。