鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

篠窪から関本へ6

2020年01月16日 | 古代東海道
明けてから、、大分経ちました!
暖冬で、彼方此方と歩き回っています。
さて、秦野から大磯丘陵 越えの話です。
古代東海道の話ですから、ナダラカな坂と直線的な道路並びに路幅9mの道路が、どんな経路を通っているか?
 大宝元年(701年)の 駅制・伝馬制 から 1300年も経った道路に痕跡は有るのか?
栃窪のZ字道路の切通状の道は、軟弱な赤土(富士噴火灰と考えられている)が1300年の雨水で作り上げたモノと考えられますが、その際に本来の古東海道が有ると想定しています。
その道路に対応する道路跡が富士見塚の脇にある。

①から⑤迄は、写真の位置です。


① 富士見塚とその脇にある矢倉沢街道と呼ばれる2〜3m幅の道です。
この状態ならば、9m幅の道は、即作れそうな余裕のある場所です。


② 富士塚の脇を降り、振り返った写真です。
道のわきに在る赤いのは車で、その上に冨士見塚がある。
問題は道の左にある広い野原です。
これが、古代東海道の痕跡と考えるモノですが、、
単なる野原に思えますね、、、

③ この野原に入る場所が在ります。
この場所に曰くは、何かあるのでしょうか?
どの様に管理されている場所なのでしょうか?
個人所有?

④ この野原の右を見ると、、 富士見塚方面ですが、、
さしたるモノは無い!



⑤ 左を見ると、、
やはり、野原ですが、、、
これが問題の場所の現状です。
この写真からは、語れるモノは無い。
  次回は、
この場所の数年前の写真から始まります。 お楽しみに!
コメント
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