「鎌倉時代の波打ち際6」を書いたのは2018年でした。
古い時代のデーター探しですが、
現代の地図データで納得してしまいます。
例えば1970年代の地図
これで、ある程度の地形は掴めますが、微妙な事は判らない
近頃は、この微妙な高低差を示す地図が有ります。
此れなら納得でしょ??
こんな処で結論に成っていたのです。
古い地図は明治15年に造られた迅速図と言うのが有ります。
古い分、適当な地図と考えて居ましたが、、
詳細な地図が存在し、 今回見つかりました。
如何でしょうか、
見どころは、海に注ぐ滑川の脇に砂丘が明確に記載されている。
三角点も有り、標高11.53m となっています。
等高線も5mと10mが描かれています。
その価値は何でしょうか??
高低差を示す現代の地図は、ドンナニ正確でも、過去の状態ではない。
この場所は関東大震災で津波が押し寄せた場所です。
長谷駅の周辺の坂の下は津波で全滅した。
過去の地震では大仏近くまで津波が来た話も有ります。
写真は、関東大震災で津波が襲った坂の下や稲瀬川、奥の微妙に高い場所が砂丘です。
その様な訳で、宅地を造成する時は、必ず盛土をしたと想定し、
現代の地図には、屋敷を想定した四角い盛り上がりがある。
明治の地図には、砂丘が書かれ、其の砂丘は由比ヶ浜南遺跡の石防塁が有る場所!
そして、等高線5mの先は「鎌倉市内で古墳時代の石棺墓発掘8」の場所へ、、
由比ヶ浜は、平坦な砂浜では無い証明です。
更に高低差のある場所が砂浜に存在し防塁が存在した訳です。