鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉時代の波打ち際 7

2021年07月12日 | 鎌倉時代の波打ち際

「鎌倉時代の波打ち際6」を書いたのは2018年でした。
古い時代のデーター探しですが、
現代の地図データで納得してしまいます。
例えば1970年代の地図

これで、ある程度の地形は掴めますが、微妙な事は判らない
近頃は、この微妙な高低差を示す地図が有ります。


此れなら納得でしょ??
こんな処で結論に成っていたのです。
古い地図は明治15年に造られた迅速図と言うのが有ります。

古い分、適当な地図と考えて居ましたが、、
詳細な地図が存在し、 今回見つかりました。

如何でしょうか、
見どころは、海に注ぐ滑川の脇に砂丘が明確に記載されている。
三角点も有り、標高11.53m となっています。
等高線も5mと10mが描かれています。
その価値は何でしょうか??

高低差を示す現代の地図は、ドンナニ正確でも、過去の状態ではない。
この場所は関東大震災で津波が押し寄せた場所です。
長谷駅の周辺の坂の下は津波で全滅した。 
過去の地震では大仏近くまで津波が来た話も有ります。

 
写真は、関東大震災で津波が襲った坂の下や稲瀬川、奥の微妙に高い場所が砂丘です。

その様な訳で、宅地を造成する時は、必ず盛土をしたと想定し、
現代の地図には、屋敷を想定した四角い盛り上がりがある。
明治の地図には、砂丘が書かれ、其の砂丘は由比ヶ浜南遺跡の石防塁が有る場所! 
そして、等高線5mの先は「鎌倉市内で古墳時代の石棺墓発掘8」の場所へ、、
由比ヶ浜は、平坦な砂浜では無い証明です。

更に高低差のある場所が砂浜に存在し防塁が存在した訳です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする