鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

陰陽師 安倍晴明その2

2024年12月17日 | 鎌倉時代の人物

大江広元(ウィキペディアより) - 朝廷に仕える下級貴族官人)だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、大蔵御所公文所(後の政所)と鎌倉幕府の初代別当を務め、幕府創設に貢献した。

その様な訳で 鎌倉幕府に絡む重要人物の大半が武人ですが、中で唯一人 大江広元だけが官人であり、宮中に絡む陰陽師と関連すると思われる。 更に、大江家の領地の木曽福島には、安倍晴明の墓が存在するのです。陰陽師の安倍晴明を鎌倉に呼び寄せたのは大江広元であろう! っと推察する理由です。

大江広元の話は更に後の時代に影響していきます。その後の戦国時代は、毛利家に秀吉が水攻めをやっている最中に、信長が本能寺で死んだ話となり、鎌倉攻めに間に合わなかった薩摩は、江戸時代に迄生き残る。更に幕末には薩長連合の薩摩と長州の元が此処にある。

此処を上がると立派な墓が3ヵ所有り、毛利季光の墓、大江広元の墓、島津忠久の墓と成りますが、この毛利、島津の影響は明治維新まで影響を及ぼします。

取り敢えず、陰陽師の安倍晴明は鎌倉に結界を張るだけにトドマラズ、建長寺にも結界を張った痕跡は次回。

 

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