鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

富士山中に東海道 序 4

2013年04月13日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
大化の改新駅路と「延喜式駅路」の違いは文献や他の資料の根拠がなくても、この十里木峠と足柄峠の間で見つかる道路痕跡で考察ができる。
(上の赤矢印は蒲原で、ピンクのマークは十里木の「忠ちゃん牧場」で、下の赤矢印は足柄です。十里木東の痕跡は「忠ちゃん牧場」を目標に探すと見つけ易い。)
駅路の経路が混乱する原因の基は、時代により、経路が変化することです。
◆大化の改新駅路、
 大和朝廷の力を誇示し、目的地へ向け直線的で道幅の広い道を作った。
◆大化の改新駅路以降、延喜式等を含めた平安時代の駅路。
 実利優先で、大化の駅路より道幅縮小、道筋変更、道路の工作の簡易化をしたと考えられる。

似た場所を通っても、時代で成り立ちが別と考えられ、実態は遺構を調べる事で区別できる。
大化の改新駅路で判っているのは、東海道駅路は路面9mの巨大道路である。

古代東海道については、文献は限られ資料は少ない発展途上の学問ですが、
開放されたインターネットの世界では、簡単に駅路の痕跡を追える資料が手に入るのです。
古来、文献には権威が沸きます。しかし人が意図を持って書くからには、公平性は保てずに真実も嘘も混在する。
 権威に頼るより、現実の遺構や痕跡を根拠に文献を検証するのが科学的であり、正攻法と考えています。

この写真は、方法2の
googleのアースで表示する衛星写真です。
5年程前のアースは、都市部だけ解像度が高く、、山間部は極端に荒く使えなかった。
今は山間部も解像度が高く、道の溝を判別できる様になった。この部位のEarthを拡大すると、、、道が浮かび揚ります。
 巨大駅路の痕跡はパソコンの中から探せます。
必要なのはgoogle Earthを思考錯誤して思いのままに使いコナス事ですが、、、
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大鎌倉城 隠された切通し編 6 | トップ | 富士山中に東海道 序 5 »

コメントを投稿