今までは、めったに人里では見かけなかった動物を、「ふつう」に見るようになり、久しくなりました。
私の家の周りでは、夜になると家のすぐ横をイノシシが出歩いています。
野菜を食い荒らします。
朝には、鹿が出てきます。
鹿は、人里に生えている木の柔らかい葉を好んで食べます。
日本全国に似たような現象が見られます。
このように、動物が人里に現れるようになった理由は、いろいろと言われています。
一つは、山中に食べ物がなくなったから。
二つめには、人の活動範囲が拡大して、住処を失ったから。
三つめには、個体数が増えたから。
ほかにも、理由が言われていて、説得力のある説明は、山と里の区別がなくなったからという考えです。
今までは里に荒地はなく、きれいに草や樹木が刈られており、山と人里の区別がはっきりしていました。
ですから、山から出てきた動物も「ここから先は入ったらダメ」という「仁義」がありました。
しかし、いまや、日本全国で過疎化、農家の高齢化が進み、荒地が増え、動物もどこまでが山で、どこからが人里かの区別がつかなくなりました。だから、人里に動物が出没します。
事実、滋賀県のある地域で、荒地の草刈り、伸び放題になった樹木の伐採をして、整地をしたら動物が出なくなったという報告があります。
そういえば、私の家の周りも、地主さんが農地を放置しています。
生まれてずっと田舎に住んでいる私としては、最近の環境の変化に、危機感をもっています。
人と自然が適度に折り合いをつけて生活し、資源や自然の恵みをわかちうという国や自治体の展望がなければならないと考えます。
その実現の担い手となるのは、やはり人です。
三中生のなかにも、将来は、地球規模で自然との共生を志向して、田舎で生きる人材になる人が必要ですし、そういった活動に従事する人が出るかもしれません。
あるいは、田舎に住まなくとも、緑や生物の役割を意識して、都市特有の生態系への理解を深め、住みよいまちづくりに取り組む人が出るかもしれません。
自然と共に生きためには、まずは自然の理(ことわり)を理解して、自然を愛して、自然を正しく畏れることが大切です。
また、自然の恵みは、自分一人のものではなく、人と人の関係の中で、恩恵を受けるものです。
自然は、いくら科学が発達しても、人工知能が優れていても、人間の思いどおりにコントロールすることはできません。
私たちは、大自然の力の大きさを、東北地震にしてもしかり、今年の大阪北部地震にしてもしかり、台風による水害にしても、今夏の異常ともいる暑さを通して思い知らされています。
人と自然がどう共生していくか、私たち一人ひとりに対して、自然がつきつける課題であると、私は最近、強く思うのです。