
築地市場海幸橋門前から、北側へ向かって伸びている道路を撮影しました。この場所にはかつて、「海幸橋」という名前の鉄橋が架橋されていたのですが、現在は撤去されています。

築地市場の敷地北側には「築地川東支川」という名前の都市運河が流れていました。高度経済成長期にほぼすべてが埋め立てられていて、この場所に架橋されていた海幸橋の鉄橋だけがしばらく残されていたのだそうです。

その海幸橋の鉄橋も、2002年になって撤去されてしまいました。現在の「海幸橋」という名前は、築地市場の敷地北側の入り口の名前として残されている状態です。

2016年11月19日に築地場外市場の敷地内に開業したばかりの「築地魚河岸」の商業施設の建物群を撮影しました。小田原橋棟と海幸橋棟の2棟の商業施設の建物で形成されています。

海幸橋跡地前から、北側へ向かって伸びている道路を見渡して撮影しました。北西側一帯は、築地場外市場の広大な町並みが広がっているのが見えます。

海幸橋跡地の敷地南側には、「波除稲荷神社」の境内が広がっています。この波除稲荷神社は今まで何度も来たことがありますが、1月中旬の時期だったので、入ってみたいと思います。

前述の通り、「築地魚河岸」の新しい商業施設が開業したのは2016年11月19日のことです。築地市場が豊洲に移転した後の築地場外市場の発展のために造られた施設だったのですが、ご存じのように豊洲移転自体が凍結されています。

そのため、築地市場が存続されている状態のまま、新しい商業施設が開業してしまうといういびつな状態が2017年初頭の現在も続いています。数年後には豊洲移転は100パーセント実現することになるのでしょうが、もう少し混乱が続きそうですね。

波除稲荷神社の入り口前から、築地場外市場の中を東西方向に通っている「波除通り」のメインストリートを撮影しました。一日を通して、この辺りは多くの人で賑わっています。

波除稲荷神社の本殿の全景を撮影しました。1月の中旬の時期だったためか、人通りが普段よりも多かったです。

築地市場や場外市場のそばにある神社という場所柄からか、すし塚や海老塚、鮟鱇(あんこう)塚などの食材に感謝する碑が多く並んでいます。東京鶏卵加工業組合が設置した「卵塚」と、末社殿を撮影しました。

正面に建っているのが東京都鮨商環境衛生堂共組合が設置した「すし塚」を撮影しました。1972年11月に設置されたもので、そばには説明板が設置されていました。

すし塚の右側、東天会てんぷら料理協同組合と海老の大丸によって設置されている「えび塚」を撮影しました。1973年9月に設置されたものです。

築地市場の一帯の埋め立てが始まったのは、江戸時代中期の明暦の大火後のことです。築地の埋め立て工事が行われましたが、荒波の影響で工事は難航します。その最中のある晩、光を放ち漂う御神体が見つかり、万治2年(1659年)に現在地に社殿を建て祀っています。

その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、以降厄除けの神様として信仰を集めることとなっています。波除稲荷神社の鳥居前から、築地六丁目交差点方面へ向かって伸びている道路を撮影しました。

開業したばかりの築地魚河岸の商業施設内を通り抜けていきます。
