緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

1月の小石川後楽園:八卦堂跡~梅園と稲田周辺~赤門まで PART2

2017年04月16日 06時01分00秒 | 文京・白山


小石川後楽園内の枯れ木状態の梅林内を散策していきます。




琴画亭跡前から、梅林内を見渡して撮影しました。正面には八卦堂跡がある丘陵地帯が広がっています。




梅林の敷地南側を流れている「神田上水跡」の水路を見渡して撮影しました。




梅園内から、松原の広場方面への散策道を歩いていきます。




神田上水跡の水路ですが、現地で眺めてみても、地図で調べてみても、東京ドームの真下を通っているように見えます。




南東側から梅林の全景を見渡して撮影しました。




小石川後楽園の敷地内を通っている神田上水跡の水路の行きつく先ですが、東京ドームの真下を通り抜けて、湯島や水道橋地区の神田川方面へ流れているのだそうです。




松原の広場へ向かって歩いていきます。




「不老水」の井戸跡前にやってきました。この井戸はいかなる旱魃にも水が枯れず、またいかなる洪水時も水があふれ出すことが無かったことから不老水と名付けられています。




休耕状態の「花菖蒲田」前にやってきました。光圀が、農民の苦労を彼の嗣子・綱條の婦人に教えようと作った田んぼです。




東側から、花菖蒲田を見渡して撮影しました。




松原の広場前に戻ってきました。広場のそばに建っている「九八屋」の休憩所の建物を撮影しました。




九八屋の建物の裏側へ向かって伸びている散策道を歩いていくと、小石川後楽園の「赤門」前にやってきました。赤門までの散策道は、ここで行き止まりとなっています。




この赤門も小石川後楽園の門だったのですが、赤門の敷地東側は東京ドームの敷地に切り取られているので、門だけが中途半端に存在している状態です。




東京ドーム(以前の後楽園競輪場)との境界線の壁を撮影しました。



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1月の小石川後楽園:八卦堂跡~梅園と稲田周辺~赤門まで PART1

2017年04月16日 06時00分00秒 | 文京・白山


小石川後楽園の敷地の北西角にある「八卦堂跡地」前にやってきました。江戸時代からこの場所に建物が建っていたのですが、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失しています。




八卦堂跡地の広場から、東側へ向かって伸びている下り坂の散策道を歩いていきます。この散策道を進むと、梅林前に出ることができるはずです。




下り坂の途中にある「小町塚」を撮影しました。塚石が常陸の小野の産地であることから、光圀が戯れて小町塚と呼んだと伝えられています。




更に下り坂の散策道を歩いていきます。




前方に、枯れ木状態の梅林が見えて来ました。




正面に東京ドームの巨大な建物を見ながら、枯れ木の梅林の中を歩いていきます。




1月下旬の時期の散策だったので、梅の花は所々に咲いている状態でした。




梅林の最奥部の「藤田東湖の記念碑」があるエリアにやってきました。この辺りも人の気配は全くありませんでした。




藤田東湖という人物は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士であり、水戸学藤田派の学者です。1855年(安政2年)の安政の大地震の時に母親をかばって死亡しています。




藩邸跡である東京都文京区後楽には「藤田東湖護母致命の処」と記された案内板があります。藩邸跡に建立されていた記念碑は道路拡張の際にここ小石川後楽園へと移されています。




藤田東湖の記念碑のそばから、枯れ木の梅林を見渡して撮影しました。




2月に入れば梅の花も「満開状態」になっているのでしょうが、1月下旬の季節だとこんな感じです。




梅園内では、写真を撮っている人の姿が少し見受けられました。




「琴画亭跡」前から、梅園内を見渡して撮影した。




私はあまり草花の撮影はしないのですが、咲いている梅の花を撮影してみました。



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