午後から妹を誘って當麻町へ出かけた。
車を役所に止め、目的地を探す。
実は、磐城駅から車で5分ぐらいの村の中にある「現徳寺」としか知らないで来た。

オギの群落
今日もまた野山? いいえ、県道沿いの空き地です。
適当に南へ歩いたら長尾神社があった。式台大社と書かれていた。
鳥居の前の左右に「狛ガエル?」がいた。いわれがありそう。

向かって左 背中に子ガエル 向かって右
しばらく行くと「大磯虎女の旧跡地」と書いたお堂があった。
討ち死にした曽我五郎・十郎兄弟の菩提を弔うため出家してこの草庵「地蔵院」に
わび住まいして供養をしたとされるところだそうだ。
肝心の「現徳寺」は、途中で村の人に聞いたがはっきりした答えはなく、あまり感
心がないみたい。
やっとたどり着いた。
ゆったりとした本堂の落ち着いた風情。
さっそく人けのない境内に入ると、目的の「松柿の木」は石柱に囲われて「県の保
存樹」との立て札がありすぐわかった。

松柿の木

接いだところ 柿の実がなっている
立て札によると「文明18年 蓮如上人がお立ち寄りになった時、松の木を台木に
柿の木をお接ぎになったものといわれ、松の木肌の柿の木という珍しい木」だそ
うだ。霊木として毎年実をつけ、それを食べると腹痛が治るとか。
本当に松に柿を接げるの?
こんなもんかな?という感じで、本堂の横に回ってみる。
すると・・・

縁の下に鬼瓦など古い瓦がいっぱい置いてある。
よく見てみると、横に「嘉永元年甲6月吉日 曽我村瓦屋利助 作」とか「享保4年
6月吉日 柏原村住人・・・」と作者や寄贈者?の記銘が彫ってあったり、判読でき
ない文字が刻まれているものもある。


「嘉永元年甲6月吉日 曽我村瓦屋利助 作」と彫られた瓦
彫りも深く、手作業のノミ跡がわかる立派なもの。
今の瓦と違って血が通っているように感じた。温かみがある。
牙や角の一部など欠けているものもあるが、大きくどっしりとして、こんな縁の下
で置いておくのはもったいないなあ。
本堂の屋根はきれいな今の瓦がきっちりと並んでいる。
閉じられた門も古いものらしく、これは古い瓦のままのよう。
木の彫刻も立派だ。
「松柿」を見に来たつもりが「お宝を発見」した気分だ。
車を役所に止め、目的地を探す。
実は、磐城駅から車で5分ぐらいの村の中にある「現徳寺」としか知らないで来た。

オギの群落
今日もまた野山? いいえ、県道沿いの空き地です。
適当に南へ歩いたら長尾神社があった。式台大社と書かれていた。
鳥居の前の左右に「狛ガエル?」がいた。いわれがありそう。


向かって左 背中に子ガエル 向かって右
しばらく行くと「大磯虎女の旧跡地」と書いたお堂があった。
討ち死にした曽我五郎・十郎兄弟の菩提を弔うため出家してこの草庵「地蔵院」に
わび住まいして供養をしたとされるところだそうだ。
肝心の「現徳寺」は、途中で村の人に聞いたがはっきりした答えはなく、あまり感
心がないみたい。
やっとたどり着いた。
ゆったりとした本堂の落ち着いた風情。
さっそく人けのない境内に入ると、目的の「松柿の木」は石柱に囲われて「県の保
存樹」との立て札がありすぐわかった。

松柿の木


接いだところ 柿の実がなっている
立て札によると「文明18年 蓮如上人がお立ち寄りになった時、松の木を台木に
柿の木をお接ぎになったものといわれ、松の木肌の柿の木という珍しい木」だそ
うだ。霊木として毎年実をつけ、それを食べると腹痛が治るとか。
本当に松に柿を接げるの?
こんなもんかな?という感じで、本堂の横に回ってみる。
すると・・・


縁の下に鬼瓦など古い瓦がいっぱい置いてある。
よく見てみると、横に「嘉永元年甲6月吉日 曽我村瓦屋利助 作」とか「享保4年
6月吉日 柏原村住人・・・」と作者や寄贈者?の記銘が彫ってあったり、判読でき
ない文字が刻まれているものもある。



「嘉永元年甲6月吉日 曽我村瓦屋利助 作」と彫られた瓦
彫りも深く、手作業のノミ跡がわかる立派なもの。
今の瓦と違って血が通っているように感じた。温かみがある。
牙や角の一部など欠けているものもあるが、大きくどっしりとして、こんな縁の下
で置いておくのはもったいないなあ。
本堂の屋根はきれいな今の瓦がきっちりと並んでいる。
閉じられた門も古いものらしく、これは古い瓦のままのよう。
木の彫刻も立派だ。
「松柿」を見に来たつもりが「お宝を発見」した気分だ。