ご近所さんばかり25人?が最寄り駅に集合。
近所とはいえなかなか顔を合わせる機会もない。
賑やかに電車とバスを乗りついで、歩く出発点の御陵前で下車。
このあたりから羽曳野にかけては「近つ飛鳥」と呼ばれている所。
資料の地図を見ると「飛鳥川」が流れ、あちこちに「太子」の字
が見える。
ここは母・父・妃はじめ関係する多くの人が眠る「聖徳太子のゆ
かりの地」だった。

街角の交通安全にも太子君が マンホールには「和を以って貴しとなす」
飛鳥のそばに住んでいるものとしては、飛鳥が別の所にもあり、しかも
そこが「近つ飛鳥」と呼ばれ、こっちが「遠つ飛鳥」と呼ばれているのは
妙な気持だが、難波の宮を基点にこう呼ばれているようだ。
蘇我氏と繋がりのある天皇や皇族の御陵が梅の5枚の花弁に似るところか
ら梅鉢五陵といわれる5つの御陵のいくつかと周辺を回った。
今日は主にMさんが説明してくださった。他にもお世話役のみなさん。
ありがたいことだ。
①先ずはバス停から近い仏陀寺・古墳へ。
仏陀寺には親鸞聖人が刻まれた阿弥陀仏が奉納されている。
秘仏になっている阿弥陀仏を特別に拝観させてもらえた。
想像とは違いほんの10センチぐらいのかわいい阿弥陀様だった。
太子が母 間人皇后のお棺を担いだクスノキの棒を挿したものが根付いた
というそのクスノキで刻んだといういわれがあるそうだ。
その境内の奥には山田寺を建立した倉山田石川磨呂のものではないかと
いわれる古墳があった。

仏陀寺本堂 倉山田石川磨呂の古墳?
ツバキの根元に露出した石棺
②遣隋使となった小野妹子の墓所へ。
階段を登ると科長神社 さらに登ると 小野妹子の墓所
曇り空から小雨が降りだし、ちょうど裏手にあった公園の東屋で
早めの昼食。
③二子塚古墳へ。こここそ本当の推古天皇と竹田皇子の墓では?と
言われる。
そのひとつは石槨の石が一部露出しており中に石棺が見えた。

二子塚古墳の一つ 古墳入り口
そこから遠くにこんもりと見えるのが宮内庁のいう推古天皇の御陵。
田畑の間を歩いてそちらに向かう。
④推古天皇磯長山田陵

推古天皇磯長山田陵 遠望 推古天皇磯長山田陵
御陵は宮内庁管理のどこも同じような整った姿。
本当の推古天皇陵はここか?二子塚?
⑤次に訪れた用明天皇河内磯長原陵
用明天皇は聖徳太子の父 御陵は方墳で規模は大きい。改葬でここに
葬られたそうだ。
⑥叡福寺・聖徳太子磯長御廟
太子の冥福を祈るため推古天皇の勅願で建てられた。
正面に聖徳太子磯長御廟がある。
天皇でないため御陵とは言わないらしい。

叡福寺境内のサツキやハナショウブがきれいだった。

聖徳太子磯長墓 「太子」と母「間人皇后」妃「膳部夫人」との合同墳。
右)近くの公園にあった墓の石室の模型 奥に太子手前に皇后と妃の棺
聖徳太子ゆかりの地を巡りながら蘇我氏が徐々に天皇と関係を深めてい
ったことなどお話を聞く。
いつもながら説明役の方の博識に感嘆するばかり。
帰り道

このあたりはブドウ産地 ビニールハウスの中にはひとつひとつ紙を
かけられたり、まだ粒の小さいブドウの房が見えた。
近所とはいえなかなか顔を合わせる機会もない。
賑やかに電車とバスを乗りついで、歩く出発点の御陵前で下車。
このあたりから羽曳野にかけては「近つ飛鳥」と呼ばれている所。
資料の地図を見ると「飛鳥川」が流れ、あちこちに「太子」の字
が見える。
ここは母・父・妃はじめ関係する多くの人が眠る「聖徳太子のゆ
かりの地」だった。


街角の交通安全にも太子君が マンホールには「和を以って貴しとなす」
飛鳥のそばに住んでいるものとしては、飛鳥が別の所にもあり、しかも
そこが「近つ飛鳥」と呼ばれ、こっちが「遠つ飛鳥」と呼ばれているのは
妙な気持だが、難波の宮を基点にこう呼ばれているようだ。
蘇我氏と繋がりのある天皇や皇族の御陵が梅の5枚の花弁に似るところか
ら梅鉢五陵といわれる5つの御陵のいくつかと周辺を回った。
今日は主にMさんが説明してくださった。他にもお世話役のみなさん。
ありがたいことだ。
①先ずはバス停から近い仏陀寺・古墳へ。
仏陀寺には親鸞聖人が刻まれた阿弥陀仏が奉納されている。
秘仏になっている阿弥陀仏を特別に拝観させてもらえた。
想像とは違いほんの10センチぐらいのかわいい阿弥陀様だった。
太子が母 間人皇后のお棺を担いだクスノキの棒を挿したものが根付いた
というそのクスノキで刻んだといういわれがあるそうだ。
その境内の奥には山田寺を建立した倉山田石川磨呂のものではないかと
いわれる古墳があった。


仏陀寺本堂 倉山田石川磨呂の古墳?
ツバキの根元に露出した石棺
②遣隋使となった小野妹子の墓所へ。


階段を登ると科長神社 さらに登ると 小野妹子の墓所
曇り空から小雨が降りだし、ちょうど裏手にあった公園の東屋で
早めの昼食。
③二子塚古墳へ。こここそ本当の推古天皇と竹田皇子の墓では?と
言われる。
そのひとつは石槨の石が一部露出しており中に石棺が見えた。


二子塚古墳の一つ 古墳入り口
そこから遠くにこんもりと見えるのが宮内庁のいう推古天皇の御陵。
田畑の間を歩いてそちらに向かう。
④推古天皇磯長山田陵


推古天皇磯長山田陵 遠望 推古天皇磯長山田陵
御陵は宮内庁管理のどこも同じような整った姿。
本当の推古天皇陵はここか?二子塚?
⑤次に訪れた用明天皇河内磯長原陵
用明天皇は聖徳太子の父 御陵は方墳で規模は大きい。改葬でここに
葬られたそうだ。
⑥叡福寺・聖徳太子磯長御廟
太子の冥福を祈るため推古天皇の勅願で建てられた。
正面に聖徳太子磯長御廟がある。
天皇でないため御陵とは言わないらしい。


叡福寺境内のサツキやハナショウブがきれいだった。


聖徳太子磯長墓 「太子」と母「間人皇后」妃「膳部夫人」との合同墳。
右)近くの公園にあった墓の石室の模型 奥に太子手前に皇后と妃の棺
聖徳太子ゆかりの地を巡りながら蘇我氏が徐々に天皇と関係を深めてい
ったことなどお話を聞く。
いつもながら説明役の方の博識に感嘆するばかり。
帰り道


このあたりはブドウ産地 ビニールハウスの中にはひとつひとつ紙を
かけられたり、まだ粒の小さいブドウの房が見えた。